Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイ

歳を取る。

初めてこのコラムを書かせていただきます中野泰誠(たいせい)です。

たてヨコのリアル活動に参加せずのいきなりコラムでちょっと緊張しますが・・・・はじめまして。

みなさんはGWどのように過ごされましたか?

私は久しぶりに妻の実家、静岡県に帰省をしました。

子どもたちの世話をしているうちにあっという間に終わってしまいましたが、長男と一緒にランニングをして走り方を教えることができたり、次男に本を読んでみたりと自分としては充実した時間を過ごしました。

コロナが5類に移行し、多くの人が行き交う東京を通過しながら飛行機と新幹線で移動。

いま自分が住む愛媛県との交通機能やそもそもの住環境の違いに、やはり考えさせられることが多々あります。

無い物ねだりをしてもしょうがないので、どうしていくか、が求められる仕事ですが・・。

でも、政治は一旦置いておいて、このコラムでは「歳をとる」ということについて書いてみたいと思います。

久しぶりにあった義理の両親がますます歳を取ったよーと言う中で、自分もそうだよな、別に若くもないもんなと思ったところから出発です。

みなさんは今も若い?ずっと若い?それとも歳をとった?

はてさて、歳を取ったらどうしましょう。

年齢なんて関係なくて、そもそもナンセンス!?なことかもしれません。

不快に思われる方がいれば、読み飛ばしてくださいね。

そもそも年齢の若い、若くない、この境界線ってどこにあるんでしょうか。

10代、20代は若い?自己診断、見た目?

ドラゴンボールのスカウターのように一概に数値化できない(これが古いか!?)からこそ、歳を取ったね〜まだまだ若いね〜って主観・客観入り乱れる訳ですが、年齢不詳の人っていっぱいいるし、もはや年齢で何かを語るような時代ではない!

でも間違いなく、大人の勤めとして小さい子どもや未成熟なものはしっかりと責任をもって育てていかなければなりません。

自分も子どもたちの成長を見ながら、立派な大人として生きていきたい、と思ったりもします。

歳を取るってことは、悪るくないはず。

さてここからが本題。

自分にはこの「歳を取る」ことが街や国にも言えること、というのが実感としてあります。

バブル期にある団地として造成された巨大な街。いまでは、廃墟ブームがあったりしますが東京に住んでいた時に、そういった街を首都圏でも地方でもたくさん見てきました。

例えば、その街は私鉄の沿線上に造成され、大体同年代の家族が住んで、一緒に年老いていきます。

子どもたちは、外に出ていってしまいました。

駅に降り立つと、どこを見ても高齢者だらけです。

ある街では、同世代の子どもたちが順番に歳を取っていく姿を見て、街がこうやって歳を取っていくんだなあという印象を強く受けました。

どこかしこもベビーカーに乗っていた子どもたちが、やがて手を引かれて歩き、一人で立ってボール遊びをして、最後はスケボーで飛び回り、そのうちにいなくなる。

そこから、新しく子どもが生まれたり、外から移り住んでこない時、街の新陳代謝が止まり歳をとります。

街自体の利便性がよかったり、ブランドとして人気があったりして新しい人間が住み着くエリアは、どんどん更新して街は歳はとりません。

そうして若い人向けのサービスが提供され、また人が入ってきます。

高齢者しかいない街は、サービスが順次減っていき、機能停止にゆっくりと向かっていきます。

そう思ってみると、いまの愛媛県って、歳、取ってませんか?

節々が痛んだり、錆びたりしています。血管が細くなっている部分が増えてきました。

みなさん、トシ、とってますか?

まだまだ加齢に向き合いつつ、努力をしようと思ったGWでした。

またコラムでお会いできることを願いつつ。

読んでいただきありがとうございました。

ABOUT ME
中野 泰誠
東京大学→電通→愛媛県議会議員 石井東小→愛光中・高から都会へ出て、一念発起のUターン!地盤・看板・鞄ないけど起業、選挙、辻だち、子育て、筋トレ、仲間と一緒に地域の生き残り大作戦中です!
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