Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

ビジネス

まずは、やってみる。挑戦と失敗の日々に感謝を

「やってみなはれ。」とは、サントリー創業者の鳥井信治郎の口癖です。「やってみなはれ精神」として社風にも受け継がれているその言葉には、「失敗を恐れてやらないこと」を悪とし、挑戦を続ける企業としてのスタンスが端的に表されています。

かくいう私も、今となっては「やってみなはれ精神」の大切さが身にしみているものの、ほんの数年前までは「失敗を恐れ、挑戦を避ける」ものの一人でした。「やらないこと」による機会損失よりも、「やって失敗すること」による恥や落胆を極端に嫌っていたのです。

しかし、ここ数年で考え方が変わりました。失敗に対する心理的ハードルが、若干下がったように感じます。具体的にどう変わったのか、そしてなぜ変わったのか、自分の思考を整理するためにもこのコラムをホワイトボード代わりに使わせていただいたのが、今回の記事です。

失敗とは何か?を考える

「失敗は成功の母である」とエジソンは言いました。いや、実際のところは違う言葉だったらしいのですが、的を射ているし好きな言葉でもあるので、エジソンが言ったということにします。成功するまで、たとえ100回でも1,000回でも失敗し続ける。失敗とは成功しない方法を見つけたということであり、次は別の方法を試せばよいだけ。エジソンが天才発明家と呼ばれるまでには、ひたすらに泥臭いトライ&エラーの連続があったのでしょう。

ゆえに、挑戦を恐れる必要はない……とまあ、言うのは簡単であるものの、実際に行動してみるのは難しいですよね。この言葉の神髄は、「自分にとっての失敗」を定義することができる、という点であると考えます。エジソンにとっては、きっと恥をかくことは失敗でもなんでもなかったのでしょう。失敗とは成功の対極ではなく、あくまで成功までの一過程に他ならないというスタンスが爽快です。

社会学者のルース・ベネディクトは『菊と刀』の中で「日本は恥の文化である」と語っています。失敗をひとつの着地点として捉えてしまうと、恥を感じてしまう。日本人は恥に弱い。私もそうです。失敗は恥、と捉えてしまう傾向がありました。しかし、エジソンなりの失敗の定義を用いれば、失敗は恥でもなんでもないのです。たとえ恥を感じたとしても、そこには相関関係にも似たものがあるだけであり、恥じ入る必然性もなければ、失敗に恥が附随しているわけでもありません。

要するに、失敗を恥と感じる理由などどこにもないではないか、ということですね。となれば、失敗すると恥ずかしいから挑戦したくない、という言い訳は成立しなくなります。それを自覚して初めて、「私が○○に取り組むにあたっての失敗とは何だろう?」という問いを曇りなき眼で考えることができるようになるのでしょう。

着手のハードルは低く、判定のハードルは高く

人間、10秒も時間を与えられれば「やらない理由」を考え始めるといいます。それゆえ、何かに着手するならば5秒以内にやるのが一番いいのだとか。非常に脳筋的な理屈ですが、なかなかに効果的であると思います。少なくとも、私自身にとっては非常に有用です。

何はともあれやってみなければ結果もわからない、というのが「やってみなはれ精神」の主旨です。やってみようと思ったならば、まずはやってみる。難しいことを考える必要はない、着手のハードルは限りなく低く設定するということです。

本を書きたいと思うのならば、まずはノートなりテキストエディタなりを開いてみる。開かなければ始まらないですが、開けばそれが立派な第一歩になります。事業を始めたいならば、商品を考えてみる。思いつかなくても、自分にできそうなスキルの棚卸からでも始めてみる。もしくは、ニーズ発掘のために誰かに合う、というものでもいいでしょう。目標を設定したら、あとは動くのみ。その偉大な一歩こそが肝要なのでしょう。

そして、一度始めたならば「とことんまでやりきってみる」ことを意識することも大切。常に自分に問いかけるのは、「私はこれをやりきったのか?」という言葉です。挑戦して、失敗した。達成できなかった。そう判定するハードルは、決して低くないほうがいいでしょう。見切りをつけるのも大事ではありますが、成功できるラインまで自分がやりきったのかどうか、問う視点を忘れてはならないでしょう。

それで、私は何を成し遂げた?

まったくもって偉そうに語ってきたものの、私自身はまだ何も成し遂げられていない、単なるいち会社員に過ぎません。しかし、ここ数年の変化は私の人生においてなかなかのインパクトを持っています。この変化を通して、私の中で失敗に対する意識が変わってきたように思います。

まずひとつの大きな変化として、環境が変わりました。結婚したのち、安定といわれる公務員を退職し、故郷の鳥取を飛び出して愛媛のWebベンチャーに転職しました。齢30を前にして、我ながら思い切った行動です。

これは私にとって挑戦のきっかけとなりました。公職ではなく民間企業で、特にマーケティング領域にフルコミットしたい。これまでの人生観を捨てて新天地へ移り住んだ背景には、いろいろな事情がありました。(長編映画級の話になるのでここでは割愛)

マーケティングの業務は、ぶっちゃけると想定していたよりもハードです。成功と失敗が目まぐるしく流転する日々。そんな中で、「やり切ったか?」と自問すると、「まだだ」と静かな答えが返ってきます。一度、挑戦に着手したのだから、簡単にはやめられないし、やめたくもない。何より、この挑戦が楽しいというのがいまの心境です。

もうひとつ、大きな変化としてコミュニティが変わったこともあります。この一年で参画したのが、愛媛イノベーションベースと、グロービスです。どちらも挑戦のきっかけである「学び」の場ですが、インプットからアウトプットを促す大変に大きな刺激となっています。目標を持つ人々との交流は、自らの現在地と目標地を見直すよいきっかけにもなります。(たてヨコでの活動は、このコラムを機に本格的に参加していきたいところです……!)

そう、私にとって転機だったのは、目標です。目標が先にできたからこそ、挑戦しようという気になったのです。

その目標とは、自らのビジネスを興すこと。立派な法人でなくてもいい、週末起業くらいの小さな規模でも構わない。私が私個人として、社会に対して価値を提供すること。妻が生まれ育った愛媛と、私が生まれ育った鳥取に、それぞれ恩返しをできるようなビジネスを創ること。いまの日々の積み重ねは、すべてこの目標を達成するためにあると考えています。そして目標を達成するまで、私は失敗し続けるのでしょう。

失敗とは、私にとって挑戦の足跡でもあります。これまでは振り返っても足跡が見えることはありませんでした。いまは、距離は短いものの、はっきりと見えます。その形は不格好ですが、決して嫌いではありません。

挑戦と失敗の機会を与えていただけるいまの環境に、全霊の感謝を。

ABOUT ME
谷口 宗一郎
鳥取県出身・愛媛県松山市在住。元は地元の町役場で公務員だったが、ビジネス(特にマーケティング)に関心を持ち、30歳手前で転職。現在は株式会社Shift にて広告運用を中心にWebマーケティングに取り組む。
PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com