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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

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愛媛の皆さん、初めまして!!

タテヨコラムをご覧の皆様、初めまして!西田沙織と申します。

今回は初登場会になりますので、西田沙織って誰なのか?自己紹介をさせていただきます!
文豪naganoマンからのバトンを受け取ったにもかかわらず、自己紹介とか誰得?とはじめに自らツッコミを入れておきますので、お時間の許す限り私のエッセイにお付き合いいただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします!

基本データ

1990年6月13日、北海道札幌市うまれの31歳です。小学校4年生以降は現在も実家がある東京都小金井市にて育ちましたので、もうほとんど東京人ですね。

趣味はスキューバダイビング、キャンプ、スキー、節約旅行、音楽です。

特技は日常英会話、カラーセラピーとタロットカードを掛け合わせた「カラット診断」というカウンセリングです。

好きな食べ物は、ラーメンと麻婆豆腐とビールとコーヒーです。

明治学院大学英文学科を卒業して、株式会社JTB首都圏に就職しました。朝から晩まで老若男女でごった返す新宿西口店に勤務し、お客様ひとりひとりと向き合って旅のプランを練っていました。忙しいながらも非常に充実しており、幸せな職場でした。

転機

ところが、いつもどおり寿司詰めの満員電車に揺られ帰路についていたとき、ふとこんな考えが頭をよぎりました。

「私このままずっと同じ暮らしを続けていいの?」

キッカケはズバリ、失恋。

学生時から2年半付き合っていて、お互いの家族も紹介していた恋人に「距離を置きたい」と、ある日突然LINEメッセージで告げられました。理由を聞いても「最後のサークル活動に集中したいから(彼はアカペラサークルの後輩で、当時まだ学生でした!)」とだけ。集中すればいいじゃん!別に今までだってその時間を奪って会おうとしたことないじゃん!私だって仕事は楽しいし、今まで通りお互いに時間があるときに会えたらそれでいいじゃん!正直、当時はまだ考えも甘かったかもしれませんが「この人と結婚するんだ~(ホワホワ💕)」と思っていたので、もうプチパニック。でも彼に何を言っても届きませんでした。ちょうど職場で忘年会をしていた最中でしたが、同僚の前で大号泣。その彼が実は帰国子女で、思ったことはハッキリ言うし英語がペラペラだったんですね。だから好きになったわけではありませんが…幼少期から英会話に通っていたり、高校生時にホームステイを経験していたりと、海外への関心が強かった私にとって、それは彼に憧れる要素の大部分でした。

それから数か月たったころ、また彼から突然LINEメッセージが届きました。「○○と付き合うことになったから」(○○は彼の同期。つまり私の後輩。してやられた!)

はいそうですかーーー!そういうことですかーーー!だったら最初にそう言えよな!距離置きたいとか曖昧なこと言うなよな!ていうかどういう優しさなのそれ!?

吹っ切れたわけです。

でも、彼のことが大好きだった。とにかくかっこいいと思ってた。年下だけど尊敬もしてた。

だけど、ふられちゃった。傷ついた。後悔させたいとも一瞬思ったけど、そんなことより彼の存在を超えたかった。超えて、彼よりずっとずっとかっこいい自分になろうと思ったのです。

それには、まずは何より海外留学だ!私の知らない世界を知ることだ!でも、どうしたらいいんだろう?社会人だし、海外で今の仕事を続ける方法も知らないし、海外の大学に入るのはいきなりちょっとハードルが高いし…

考えに考えました。調べまくりました。そしてたどり着いた一つの選択肢が「ワーキングホリデー」です。

ここからは本当に早かった…!仕事を辞める決意をして、留学エージェントに会員登録。選んだ国はオーストラリア。渡航費、現地校での学費、序盤ホームステイのための生活費etc…およそ100万円の見積をうけて、少しでも費用を稼ぐために朝から晩まで新宿のJTBで働いた後、四ツ谷のバーで2時・3時まで働きました。休みの日は高額・単発のイベントスタッフもやりました。バーが休みの土日の夜には、帰宅後に英語の勉強を必死にやりました。

睡眠時間は平均3~4時間といったところでしょうか。怒涛の1年間でした。それでも、気持ちひとつで乗り切りました。不思議と、つらいと思うことは一つもありませんでした。希望と執念に満ち溢れていました。

躍進

そしていよいよ、渡航の日がやってきました。26年間私を大事に大事に育ててくれた両親は、成田空港第3ターミナルで最後に私を見送るとき、今生の別れのような顔をしていました。目に涙をたっぷりためて、固く握った手をなんとか離して送り出してくれました。そんな両親を振り払うようにすべてを自分一人で決めて実行してしまったことに、ちょっぴり申し訳なさも感じながら、オーストラリア・ケアンズ国際空港に向かう飛行機に搭乗しました。

初めての、一人での海外渡航。初めての、海外生活。1か月のホームステイの後には初めての、一人暮らし。携帯電話の契約、語学学校入学、現地企業への就職、海外での車の運転、日本人はいない、日本語は聞こえない、何もかも、初めて!毎日が本当に本当に刺激的でした。

いつしか、私を振った元恋人のことなんてすっかり忘れて、同じように世界各国からオーストラリアに来ていた友人たちと、楽しく、あったかく、幸せな日常を過ごしていました。一番仲良くなったのは、韓国人の女の子、コロンビア人の男の子、ベトナム人の男の子、スイス人の男の子で、5人でいつも一緒にいました。それもすごく良かった。海外生活を満喫しに、日本でできないことを体験しに来たのだから、日本人となんて絶対絡まない!時間の無駄!と考えていました。(当時の私は日本人の同志に対してめっちゃ感じ悪かったとおもいます。笑)

渡航して7か月が過ぎたころぐらいに、日本の両親と親友がいっしょにオーストラリアへ遊びに来てくれました!ホームシックには全くならなかったけど、久しぶりに会う家族はやっぱり懐かしくて、安心して、現地で会えたことがすごく嬉しかったです!

私が流暢な英語で通訳を果たしたり、すっかりオーストラリア生活になじんでいる姿を見て母が「頼もしいね」と言ってくれたことも、本当に嬉しかったです。

家族と過ごした時間は2週間と短い期間でしたが、その間にやりたいことがたくさんできました!

私は、時間がゆっくり流れて、年中暖かく人々も陽気なケアンズが大好きだったので、ずっとケアンズに住んでいましたが、家族と一緒にシドニー・メルボルン・タスマニア島へ旅行して、オーストラリア観光をたっぷり楽しみました!

その旅の後、はじめてケアンズを離れる覚悟をしました。世界遺産にも登録されている、ウール―ヌーラン国立熱帯雨林(推定1億2千万年の歴史ある熱帯雨林で、アマゾンのそれをはるかに上回ります)の中にある、マンガリーフォールズ(先住民アボリジニの言葉で「出会いの滝」という意味の地名だそうです)での仕事が決まったのです。携帯の電波も届かない僻地で何をしていたかというと、観光客や子供・学生の団体旅行を受け入れる施設のレセプション業務に携わっていました。

電話・メール対応、調理補助、配膳、ハウスキーピング、清掃…ひととおりの宿泊業務経験をここで積めたような気がしています。

私のほかに日本人スタッフも多く、外国人スタッフも含め、従業員は皆職場から徒歩2分のシェアハウスで生活し、お風呂とトイレの時間以外、朝から晩までずっと一緒にいました。その時に初めて、日本人へのバリアーは解除されました。そこで出会った仲間たちに、本当に恵まれていたんです。じつはそのなかのひとりが、今の主人です。「出会いの滝」で出会って、帰国してから付き合うことになり、結婚するに至りました。

主人とはその後も、真夏のアウトバック(オーストラリアでは砂漠・草木の生えない荒野地帯をそう呼びます)を超えてケアンズ~エアーズロックまで車で旅をしたり、東南アジアを踏破したり、アドリア海沿岸をクルーズ船に乗って旅をしたりしました。

日本に完全帰国してからは、お互いに「海外の友人に日本の魅力をもっと伝えられる人物になろう!」という熱意から、日本一周ヒッチハイクの旅に2人で一緒に出掛けました。5か月をかけたこの度の途中で、私はウェディングドレス(メルカリで¥3,000)、彼もスーツ(全身GU)を身にまとって、各地でウェディングフォトを撮影してきました(ちなみに入籍前!)。このたびで出会ったすべての人のおかげで、今も私たちは生きているし、夢を見ているし、幸せに暮らしています。一期一会の「出愛」すべてに、心から感謝をしています。助けてくれた皆さんが口をそろえて言うこと、「恩返しじゃなくて、恩送りをぜひしてね。」次に私たちが出会う後輩旅人に、やさしさのバトンをつなぐように、とのことでした。

そして今

日本一周を終えたのが2020年1月のこと。結婚の意思を固め、2人で2月には愛媛県宇和島市に引っ越してきました。私は東京育ち、主人は大阪育ち。なぜ、わざわざ宇和島市なのか?お会いする皆さんに聞かれますが、理由はごく単純でありふれたものであります。主人のおじいちゃんです。今年84歳になりますが、それまで17年間、おばあちゃんに先立たれてからずっと一人暮らしをしていました。さすがに心配になってきた主人の親戚一同で話し合いの場がもたれ、おじいちゃんと一緒に暮らしサポートをするために、私の彼が孫ターンを決意したのです。私はそれについてきただけ。宇和島市はおろか、愛媛県とはそれまでまったく縁がなかったし、道後温泉にしか行ったことがありませんでした!みきゃんも知りませんでした!

そんな私が、移住してから1年数か月の間にやってきたことがあります。自然が豊かで、柑橘・真珠・魚の養殖が盛んで、歴史が深くで守り伝えたい文化もある宇和島市の魅力を、国内外に発信することです。パート主婦の傍ら、「宇和島市オンライン体験ツアー」と銘打って、Zoomを使って疑似体験ツアーを提供してきました。これまでご参加いただいた方の中に、「行って見たくなった!」「移住先の候補になった!」と嬉しいコメントをくださった方もいれば、宇和島市在住の方にご参加いただいて「そんなこと知らなかった!」と驚き、楽しんでいただくこともありました。非常にやりがいを感じることができました。なぜこんなことをやっているのか?それには理由があります。

これからの私

いま、わたしには夢があります。宇和島市で最初のゲストハウスを開くことです!ゲストハウスって何だろう?知らない方のほうが多いとも思います。なんせ、ゲストハウスに宿泊した経験がある日本人はわずか8%(何のデータか忘れましたが数字が印象的過ぎて)。ゲストハウスとは簡単に説明すれば、宿泊・飲食・観光案内・地域との交流ができる施設のことを指します。ホテルや旅館と大きく違う点は、睡眠をとるプライベートスペース以外のほとんどすべてが共有なこと。キッチン、バス・トイレ、リビングを他の宿泊客と共有するのです。とにかく交流ありきの宿泊施設なので、苦手な人は苦手かも。でも、私はこれに強く、強く憧れているんです。

国内外のあちこちを旅してきて、宿泊先はほとんどこのゲストハウスを選択してきました。値段がとにかく安いということも理由のひとつですが、その地域でしかできない体験があふれている、それがゲストハウスです。世界各国からそれぞれの目的で同じ場所にたまたま集った老若男女が、お互いの名前も出自も知る前に、人生や旅について語り合いを始める、不思議な空間です。大好きなんです。ただそれだけ。でも、この心温まる、ときには人生を変える出会いも起こる刺激的な空間を、多くの日本人にもっと味わってほしくて、国内の、それも閉じた地方でゲストハウスを開くことを夢見てきました。

旅行者だけでなく地域の方にも憩いの場として使ってほしいので、小さなカフェを併設したい!とも思っています。さいわい、宇和島市には遍路道が通っているし、バイクや自転車で四国一周する旅人が拠点にしやすい便利な町でもあると思います。みかんアルバイトや移住体験者など短期間で滞在したい人にもお部屋を提供できれば喜んでもらえると思います。ビジネスホテルはあるけど、地域とつながれる、暮らすように泊まれるゲストハウスはまだないので、その第1号に私がなりたいと考えています!

大きな夢ばかり語って、たいそう立派なことなのですが、1年以上開業にふさわしい物件をさがし続けているにもかかわらず、まだ見つかっておりません。不動産屋さんには問い合わせしつくして、界隈でもちょっとした有名人にもなってしまいました。あとは口コミに頼るしかありません。宇和島市内で、空き物件(ちょっと大きい一軒家。もと民宿とかだと超最高!)をご存じの方がいらっしゃったら、ぜひご紹介ください!


といった感じで、Facebookを中心にずっと情報発信をしていましたら、3月の終わりごろに、「ゲストハウスは無理だけど、カフェをしたいならうち使う?」とお声がけをいただきました!現存十二天守・宇和島城の足元で、代々かまぼこやを営まれている薬師神さんです。去年新築した店舗で水~土曜日の夜のみ、「じゃこ天バル」を営業されていて、「昼は使わないから」とのことでした。さっそく見学に伺って、お話をしてみて、内装もかわいいし薬師神さんとも意気投合!とんとん拍子にお話が進んで、毎週日・月・火曜日の3日間、ランチタイム限定で店舗をお借りできることになりました!そのお店で先日、自分の誕生日6月13日に開業したのが、「Dear Uカフェ」です!Dear Uの“U”は、応援してくれる・関わってくれるすべての“You”、そして“Uwajima”の頭文字です。ずっと前から考えていたゲストハウスの名前を、ようやく披露することができました!

お店は楽しくて、忙しくて、とても充実していますが、ここがゴールではありません。スタートです。宇和島市にゲストハウスを開くことで叶えたいことは、世界中の旅人と宇和島市民が交流できる空間を作ること。四国のはずれの小さな町から、多種多様な文化の交流・発信ができる基地を作ることです!都会に比べたら、不便なことは多いかもしれない。選択肢は少ないかもしれない。だから高校生や若い人たちは、未来を求めて町を離れてしまうのかもしれない…でも、わたしはそれも有りと思ってます。いつか「やっぱり宇和島が楽しいや」「大切な人ができたら連れて帰りたい」と思ってもらえるような街づくりを、率先して頑張っていけたらいいなと思っています。それが、ご縁があってたどり着いて、この町への精一杯の恩送りだと思っています!

ゲストハウス開業までの物語をシェアしているFacebookグループページもあるので、よかったらぜひご覧ください!
https://www.facebook.com/groups/3254526557940922

ABOUT ME
西田 沙織
2020年2月、東京都から愛媛県宇和島市に移住してきました。当時まだ彼氏だった今の主人が、おじいちゃんの介助のためにUターンを決意し、わたしもそれについてきたIターン移住者となります。縁もゆかりもない土地でしたが、穏やかな気候と人の輪に恵まれ、都会の生活とは対照的な、健康で充実した日々を送っています。 東京の明治学院大学文学部英文学科を卒業し、株式会社JTB首都圏に3年間つとめた後、オーストラリアにワーキングホリデービザで渡航し、通学・通勤を含めあこがれの海外生活を満喫してきました。オーストラリアで主人と出会い、2人で東南アジア踏破の旅や、ケアンズ~ウルルのサバイバル旅、地中海周遊の旅、日本一周ヒッチハイクの旅を敢行してきました。根っからの旅人気質で、いつもどこかに出かけたくてウズウズしています。 そんなわたしの現在の夢が、宇和島市にゲストハウスを開業することです。宿泊業に特化するのではなく、カフェを併設し、旅人どうし、地域の人同士、はたまた旅人と地域の人が交流をかさね、新しい考え方や文化が日々発信されていく基地のような場所をつくり、いつでもだれでもワクワクできる場所としたいです。 ゲストハウス開業物件を1年以上探し続けていますが、いまだ市内にめぼしい物件は見当たりません。焦ることもありましたが、気持ちを切り替え自分にできることから始め、わたし自身とわたしの夢の知名度を少しでも上げるため、ネットショップの開設をしました。また、宇和島にたくさんの観光客が来てくれるよう、宇和島の魅力をつたえるべく『宇和島市オンライン体験ツアー』を主宰しています。 将来的には宇和島をひとつの拠点としつつ、国内外で仕事ができるよう、通訳案内士の資格を取得することが目標です。 国内旅行アドバイス、カラット診断(カラーセラピー×タロットカード)、日英通訳(日常会話レベル)ができます。 せっかく愛媛にいるのだから、柑橘ソムリエの資格も取りたいなぁと考えています。 月に1回焼肉に、年に1回海外旅行に行ける生活が理想です。