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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

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オンラインゲーム沼に落ちて考えた「たてヨコ愛媛」

ごめんなさい、この1カ月半皆さんのたてコラム全然読めてません!(これから少しずつ追い上げます)。実は生まれて初めやってみたオンラインゲームにどハマりしてしまったんです。

ゲーム障害

ここ1カ月半の可処分時間はほぼ全て某オンラインRPG(ロールプレイングゲーム)に突っ込みました(所得ではなく時間ですよ、念のため)。ゲーム内で起こるイベント時間に合わせて起床し、夜はコミュニティーのメンバーと協力して順位戦を戦い終わった後に食事をするといった、生活サイクルの基準が完全にゲームでした(沼落ちっぷりの描写は紙幅の都合で残念ながら割愛します、webだけど)。

国際保健機関(WHO)は生活に支障が出るほどゲームに没頭する「ゲーム障害」(Game disorder)を2019年に新たな依存症として国際疾病分類に採択しました。 私もさすがにマズいなと思い、5月20日のたてヨコ愛媛クラウドファンディング開始あたりから徐々に現実に復帰しつつあります(クラファンとこのコラムの〆切がなかったら、まだずるずるニートさながらを続けている気がします、ありがとうたてヨコ)

ゲームの功罪

ただ、物事には功罪両面があります。例えば5月2日付朝日新聞GLOBEには、「エリアレス、ジェンダーレス、ハンディキャップレスなeスポーツ」と特集が組まれています。今回は「にわかなんちゃってネトゲ廃人」体験から、それでもあえてゲームのポジティブ面に注目しつつ考えた「たてヨコ愛媛」の未来というリハビリコラムです。

ゲーミフィケーション

現在40代の私のゲーム体験は、小学生時代のファミリーコンピュータ(任天堂、1983年発売)と、中学生時代のスーパーファミコン(任天堂、1990年発売)で止まっていました。多くの家庭と同じく1日のプレイ時間が決まっていて、破るとゲームが取り上げられました。今だとスマートフォンでしょうか。SNSも一種のゲームだとの指摘はよくあります。

ゲームや遊びが「悪者」になるのは農耕生活が始まってから、特に中世キリスト教以降の現象だと言われています。運の要素のある狩猟と違い、農業や工場労働、学校教育では勤勉さが重視され、ゲームや遊びは生産性を落とすものだと見なされたからです。

しかし今や労働生産性や学習効率を上げるためのツールとしてゲームが使われるようになりました。教育アプリには「遊び感覚で学べて身につく」とうたう学習ゲームがあふれています。社会学や文化人類学では以前から「遊び」の価値が注目されてきましたが、最近では行動経済学などの立場から「ゲーミフィケーション」が取り上げられるようになっています(私も沼落ちの罪悪感にいたたまれず、せめてもと日本人コミュニティーから多国籍コミュニティーに移籍し、わずかばかり日常英会話を学習していました)。

ゲーミフィケーションとは,社会的・組織的な行為や活動をゲームと捉えて,世界を解釈し,新しいシステムのデザインにつなげる方法である.これは,企業と消費者が協力して集合知を創成するための手法として,また,価値共創プラットフォームを構築する手法とも考えることができる.これは,ゲームの概念と方法論を社会問題に適用しようというシリアスゲーム(Serious Game)の考え方を実世界まで拡張したものである.

寺野隆雄・小山友介(2015年)ゲーミフィケーション:世界をゲームとしてデザインする

ゲーム沼をデザインする

私がはまったオンラインゲームも例に漏れず絶妙でした。何時間やっても飽きず、だんだんのめり込んでいって、最初は絶対にしないと思っていた課金がしたくうずうずしてくる仕組み(デザイン)。まさに沼でした。

はまるゲームはプレーヤーに達成感を味あわせるよう緻密に設計されている

ゲームの作り手は、人間心理を突く「虜になるサービス作り」を極めている

「自分のスキルと、タスクの難易度のバランスが上手く取れていると、人は没頭できる。行為の結果を問わず、時間を忘れて夢中になった体験自体に喜びを覚える」(米心理学者ミハイル・チクセントミハイ「フロー体験」)

「最高のゲームは、フロー体験をもたらす。フローは楽しさ(fun)と同義であり、恍惚(ecstacy)である」(投資家ジョッシュ・バックレー)

NewsPicks(2021年5月22日)【図解】ビジネスに活きる「ゲームデザイン」入門

政治のゲーム化とゲームの政治化

これを政治活動に生かしたのが元米大統領バラク・オバマ氏です。

二〇〇八年の大統領選では、オバマ支援のSNS「マイ・バラク・オバマ・ドットコム」が大きな効果を生み、オバマがネット経由の選挙資金集めにおいてマケインを何倍もリードした。そして、このSNSは、単なるSNSではなく、極めてゲーム的な仕組みが埋め込まれていた。オバマのためにブログを書き、イベントに行き、勧誘の電話をかけると、SNS内でポイントがたまる。ポイントがたまって支援者としてのレベルが徐々に上がっていくとスター支援者のようなものになれる仕組みをもっていた。

井上明人(2018年)ゲームはどのように社会の問題となるのか

上記のゲーム研究者井上明人氏は「denkimeter」という東日本大震災後の社会課題解決のための無料ゲームをリリースしています。興味のある人はぜひ。

勘のいい皆さんはそろそろお気付きですね。 はい、たてヨコ愛媛もゲームに、それもオンラインRPGにしたらどうだろう提案(夢想)です。

  • たてコラムを1本書くと100pt
  • FBにコメントすると5pt
  • たてヨコアカデミアをリアルタイム視聴すると10pt
  • ・・・
  • ・・・
  • オフラインイベントに参加するとXpt
  • プロジェクトをローンチするとYpt
  • 実際に社会課題を解決するとZpt

没入感を高め、絶えず脳の報酬系を刺激し続けるたてヨコ愛媛RPGをプレーしていくと、フロー状態で恍惚としつつ愛媛の社会課題が解決されていく・・・かもしれません。

ゲーマーが生み出す循環

でもこれだけ聞くとちょっとモヤっとしませんか。

「10年先の愛媛の運命を変えたい!!」といった強い意志や主体性はなくていいのか?

サブリミナルに意志に介入されて結果が出るのってなんか怖くない?

アーキテクチャ(環境管理)型権力といわれる問題で、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため個々人の生活に権力がどこまで介入できるか、するべきかかという今、世界が直面している問題とも近接してきます。

ただ、ゲームのおもしろいところは、このアーキテクチャ型権力の外への脱出ルートをすでに胚胎しているところです。さきほどのオバマ氏の話には続きがあります。

オバマのゲームは何度も何度もゲームのバランス調整をしているのだが、何度調整しても、途中からオバマの支援などどうでもよくなり、SNSのなかで自分のランクを効率的に上げるゲームに熱中するプレイヤーがでてきてしまう。(中略)支援者というよりゲーマーになった人々にとっては、オバマの当選はある意味ではどうでもいいわけで、飽きたらすぐにやめかねない。

前掲書

ほらやっぱりしっかりした意志がないとダメじゃんという話、ではないんです。

ゲームには適応と逸脱の両面があります。ゲームのルール(設計者の意図)に適応して(従って)ゲームを楽しむ。だんだん適応度が進み、やがて過剰適応していくと、ゲームの設計者の意図から逸脱して、別のゲームとしてプレーヤーの側が遊び始める。 そこで設計者がこの逸脱を包摂しようとアーキテクチャを修正し適応する。

デザイン → プレー → ルールブレイク → リデザイン → プレー・・・

このループ(循環)が回り続けると、だんだんどっちが権力側(ルールメーカー)か分からなくなってきます。adict(中毒)な逸脱だけでなく、rational(理性的)に逸脱して、プレーヤー側がゲームのアーキテクチャを誘導・操作することも可能ではないかと思います。

ゲームによる社会創成/革命

Power to the people (games give it).

(逸脱キケン押すな)~

現在、たてヨコ愛媛ではFBのプライベートグループで「やってみたいこと」を募集しています。私からは「たてヨコ愛媛RPG化計画」を提案します。実際ゲーム制作するのにいくらかかるのか想像もつきませんが、言うだけはタダなので。

心理的安全性があるのも、たてヨコ愛媛のいいところですね。

ABOUT ME
秀野 太俊
3年間の愛南町赴任を経て、2022年4月から再び松山市勤務。記者(ライター)職のままですが、所属が編集局から営業局になりました。種々の問い合わせ随時受け付け中です。
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