みなさん初めまして!
いどあすか と申します。
自閉スペクトラム症当事者で、1歳の息子の母でもあります。
今回は「障害者らしく」について実体験を交えて少しお話させていただこうと思います。
人生初めてのコラム。おかしい部分もあるかもしれませんが温かい目でみていただけたら幸いです。
自己紹介
1998年生まれの24歳。奈良生まれの愛媛育ちです。
8歳の時に自閉スペクトラム症と診断を受け様々な支援や療育を受けながら大きく育ち、現在は広汎性発達障害をもつ夫と1歳の息子を育てながら働いています。
趣味は楽器演奏(吹奏楽団でトロンボーン吹いたり、ドラム叩いたりピアノ弾いたり…)あと写真です。
他には愛媛県初の障害種別を問わない障害当事者会「できるだけ前向きな当事者会」を立ち上げ理事長として活動しています
障害者についてどう思う?
みなさん「障害児/者」に対してどのようなイメージをお持ちですか?
- 優しい
- 純粋
- 裏表がない
- ニコニコしている
- 心が綺麗
- 努力家
こんな感じでしょうか。テレビなどマスメディアを見ていると、このような心が綺麗でとても前向きな人がよく紹介されているのでそんなイメージをお持ちの方が多いんじゃないでしょうか。
ちなみにですが私は上記のような綺麗な心はありません
できれば一日中ゴロゴロしていたいですし、サボりたいですし。表向きはニコニコしてますけど、家では悪口も文句も言いますし…。(多分みなさんもそんなこと思う時ありますよね?)
でも、表向きでは何を言われてもいつもニコニコするようにしています。
なぜかと申しますとそうしないとめんどくさいからです。
助けてもらわないといけないから
私たち障害者というのはどうしても手助けが必要な場面が多いし、手伝っていただかないとできないこともあります。
・・・ということは、「助けよう/手伝ってあげよう」と思われるような人でいないといけないのです。
じゃあどんな人?というときっとみなさんがイメージをしてるような
真面目で、健気で、明るくて、ニコニコしてて、頑張ってて
「清く正しく美しい障害者」なんですよね。
そうじゃない障害者は無視をされ、怒られてしまうんです。
勝手にレッテルを貼られて正直しんどい
私は結構ガーガー言いたいことは主張するタイプですが、あまり主張していると
「助けてもらう立場でなにを偉そうに、障害者らしくしろ!」
とよく怒られます(これを書いている今も怒られないか心配です)
でもこの怒られ方って障害者を下に見ていますよね?
なんでこんなことになってしまっているのか。私はそれは今の世の中に原因があると思います。
しょうがいは社会にある
障害は当事者がどう頑張ってもどうあがいても、どうにもならないことの方が多いでしょう
というか、当事者からすればそれが普通です。生まれた時からそうなんですから。
じゃあ何が障害を作っているのか?それは「この社会」だと私は思うんです
2013年6月、いまからちょうど10年前に「障害者差別解消法」が国会で可決されました
多様性や異質性、個人の存在価値を認め合いながら共に生きていく社会を実現するため…でしたが
10年経った今どうでしょうか?
命は大事と言いながら、経済的な利益を優先し、生産効率や労働能力、成績、偏差値で人の価値を判断して優劣をつける社会
障害者でなくても生きづらさを感じて苦しい人は多いんじゃないでしょうか
この風潮が障害者を軽視して下に見ても良いと無意識にさせているんじゃないでしょうか
乗り越えるべき障害は、社会だとおもいませんか?
さいご
みんながみんな仲良くとはいいません
というか言えません
ただお互いを認めて、横に並んで
みんなが自分らしく、偽ることもなく生きれる
そんな社会になったらいいなと
愛媛の真ん中の方で祈っています