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エッセイライフスタイル

道路ってなんだろう?

お世話になっています、酒井です。2回目の投稿になります!

普段、「これから日本の道路はどうあるべきか」みたいな大げさなことをボーっと考えながら仕事をしています。(決してボーっと仕事しているわけではありません…)

そんなとき、岡部さんのコラム「哲学」を拝読してふと気が付きました。物事の本質は何か、「そもそも道路って何なんだろうか」と。

「道路」といってもたくさんの種類があり、目的も使い方もまちまちです。車がスイスイ走るための道から、人がブラブラするための道まで。ただ一つ言えるのは、家の外に出ると目の前は道路だということ。「これまでの人生で一度も道路を使ったことがない」という人に、私はまだ出会ったことがありません。

そもそも日本人にとって道路って何なのか、そもそもどうして「道路」とか「みち」とかそういう名前で呼んでいるのか。古語辞書や漢和辞典で調べてみました。私自身も色々と勉強になったので、今回はその内容を共有させていただきます。

「みち」は神や主が領有する土地

「みち」という言葉は、「み(御)」+「ち(道)」から成っているようです。古代の日本人は、陸上で人が歩くところを「ち」、水上で船舶が出入りする所を「つ」と言って区別していました。このうち「つ」は、漢字「津」が当てられ、現在も港町などで地名としてよく見られます。「ち」は、道・方向の意味で漢字「道・路」が当てられますが、「霊」と書いて、自然物がもつ、ある霊的な力を示す語とする説もあるようです。

当時、人が通行する所には、そこを領有する神や主がいると考えられていました。人はそこを通るときは安全を祈って手向けをします。人々は畏怖の念を込め、人が歩くところ「ち」に、「神様の」を意味する接頭語「み(御)」を合わせて「みち(道・路)」と言うようになりました。「みさき(岬)」「みね(峰)」も同じ成り立ちなんだそうです。「神様の場所を人が通らせていただく」という意味で「みち(御道)」。まさに八百万の神の世界観ですね。

「道」は邪霊を祓い清めたところ

日本では「神や主」がいると考えていた一方で、古代中国では、土地には「氏族の霊や邪霊」がいて、通行の際に災いをもたらすと考えられていました。そこで、古代中国人は異族の人の首を手に持ち、その呪力で邪霊を祓い清めて進んだんだそうです。「首」を持って歩く(=「⻌」)ことから、そうして祓い清められたところを「道」と言います。日本人とは少し違った世界観が面白いですよね。このように、ある範囲を祓い清めて進んでいくことからきているので、「道」には「通り抜ける」、「抜け出る」といったイメージがあるようです。

同じく「みち」と読む漢字に、「路」があります。この「路」は、連絡の「絡」と同じで、A点とB点をつないで連絡をつけることを指しています。糸でつなげるのが「絡」なので、足でつなげるのが「路」。通り抜けるイメージのある「道」とは少し違ったニュアンスで、異なる2点を結ぶイメージでしょうか。たとえば、「しまなみ海道」は瀬戸内海を通り抜けて本州へ延びて行くので「道」。「通学路」は家と学校とをつなげるものなので「路」。よく考えると、無意識のうちに使い分けていますね。

「道路」は中国からの外来語

中国から日本へ漢字が入ってきたとき、日本人は未だ文字を持っていませんでしたので、意味が同じ漢字に自分たちの話し言葉を重ねていきます。漢字の「道」「路」は、どちらも日本語の「みち」に相当するものだと受け取った当時の日本人は、訓読みで「みち」と読むようになりました。

「道」と「路」を合わせた「道路」という語句は、紀元前1,000年頃に中国の法令集に登場するのが最古のようです。その頃の中国では、道路は道幅が狭いものから順に「径・珍・徐・道・路」と5段階に区分されており、このうち広い「道・路」のみが馬車も通れる道でした。つまり、「道路」とは「馬車の通れる広い道」という意味になるのでしょうか。

日本の書物で「道路」という語句が初めて登場するのは、奈良時代の日本書紀といわれています。当時は外来語でしたから、今でいう「デジタルトランスフォーメーション」みたいな、少々かっこいい響きだったのかもしれません。その後、明治新政府が法令の中で「道路」と規定したのを皮切りに、公用語として定着し現在に至ります。

道路ってなんだろう

道路とは一体何なのか、そう思って語源をたどってみたところ、面白いことに、日本語の「みち」も漢字の「道」も、背景にある種の宗教観があることが分かりました。標識も地図もない時代、ましていつ獣に襲われるかも分からないような状況で、人が移動するのはそれだけ危険を伴うことだったのかもしれません。

さて、人類はその後、自動車を発明します。ものすごい発明ですよね。移動のスピードは桁違いですし、荷物もたくさん運べるし、もう山道で襲われることもありません。日本はもともと地形が急峻などの理由で馬車文化が発達しませんでしたから、それまで数千年間、道路は人が歩けさえすればよかった訳です。それが大正時代以降、自動車の登場によって、道路は「自動車がスムーズに走れること」を最優先で考えないといけなくなりました。

そして現代。自動車ばかりに気を取られていたこれまでと違って、最近は道路を「楽しむ」、なんて考え方も出てきたような気がします。しまなみ海道でサイクリングとか、愛媛マラソンのコースにするとか、松山の花園町通りみたいに道路でマルシェをやってみるとか、なんだか楽しそうですよね。道路の使い方、他にもたくさんあるでしょうし、私も色んな使い方があっていいんじゃないかなと思います。道路はみんなのものなので、みんなで楽しめたらいいなぁと。

そんなことを考えていると、また「道路ってなんだろう」という問いにぶつかってしまいました。引き続き哲学したいと思います。


  • 参考文献
  • ・大野晋(2011)「古典基礎語辞典(第3版)」角川学芸出版
  • ・大野晋、佐竹昭広、前田金五郎(1991)「岩波古典辞典 増補版(第2版)」岩波書店
  • ・白川静(2005)「新訂 字訓」平凡社
  • ・白川静(2012)「常用字解 第二版」平凡社
  • ・武部健一(2003)「道Ⅰ」法政大学出版局
  • ・藤堂明保、松本昭、竹田晃、加納喜光(2018)「漢字源 改訂第六版」学研プラス
  • ・中村幸彦、岡見正雄、阪倉篤義(1999)「角川古語大辞典 第5巻」角川書店
  • ・丸山林平(1967)「上代語辞典」明治書院

ABOUT ME
酒井 聡佑
1991年松山市生まれ。九州大学在学中の2011年に九州新幹線が全線開業。「なぜこの感動を四国では味わえないんだろう」という率直な疑問から、「四国の困っていることは新幹線で大概解決できるのではないか」と考えるに至り、以後ライフワークは四国新幹線。京大大学院で都市政策・交通政策を学んだ後、2016年国土交通省入省。北海道や霞が関での勤務を経て2021年4月より現職、東京一極集中について研究している。
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