難病を抱えた病人に何が出来るの?僕は何もかも諦めなきゃならないんだ。今までの夢も、これからも。結婚も、子育てだって。老後もどうすりゃいいのよ。
「難病」を経験し、人生をリセットされたようでした。すべてがイチからのリスタート。
救ってくれたのが妻のマユミでした。
けれど今では、仲良し夫婦で毎日がハッピー!2人の夢もどんどん実現していきます。
そこには秘策がありました。
プロローグ
お医者さまから「治らないと言われた」ことはありませんか?
解決策が見つからず、「ちょっと様子を見ましょう」とか「病気とつきあっていかなければならない」と診断されてしまう症状は、意外に多く見受けられます。
けれど今、僕はこう宣言します。
『たとえどんな困難があっても、夢を叶える事はそんなに難しくないのだから』
難病の前兆
僕の20代は、東京を中心に仕事をしてきました。湘南で、軽井沢で、東京で。
何でも「経験」したい、という想いそのままに、何事も全力で立ち向かいました。
いつか、「好き」が仕事になるはず。楽しかったことも、泥水を啜るような辛いことも経験しました。30歳を目前に、いくつもの「失敗」という破れた夢を抱えて、故郷の松山に戻ってきました。
少しずつ病気の片鱗が現れてきます。
◆28歳の時、突如として違和感に襲われます。インド旅行中に出会った友人に招待いただいた結婚式。「ついでに久々に集まれたし、思い出作って帰ろうよ!!」と誘われた渓流のぼり。
軽々とした身のこなしで、どんどん進んでいく友人たち。岩から岩へ飛び移る動作に少しずつ遅れを取りはじめました。
「あれー。こんなに運動神経悪かったっけ?いつもと感覚が違うなぁ」
心の不安は更なる不安を掻き立てます。
◆東京青山で着物屋さんに勤めていた時のこと。慣れない下駄での接客。お客様を見送る際に、度々ふらつきに襲われます。生まれて初めての人間ドッグにいきました。結果は「異状なし」。異常があるのに「異状なし」。納得できない何かが、心の奥底に積もってきたことを覚えています。
◆極め付きは、30歳で入学した専門学校での柔道の授業での出来事です。この頃になると、違和感の原因ではなく、自分の変化に気をつける生活に変わりました。例えば、校内の階段は、ゆっくり一段ずつ歩こうと考える、というようなことです。
明らかに人と比べて「違う」と思わざるを得ない事態がありました。柔道の授業での一番最初のカリキュラムである「前回り受け身」の習得です。僕だけ、何度練習しても出来ません。毎回の定期試験は、僕だけいつも不合格。結果的にこの事が難病への診断につながります。
難病の発覚
32歳の時に、僕は脳の病気「脊髄小脳変性症(指定難病18)」と診断をされました。脳の運動失調障害が、僕の持つ病気の症状です。バランスが取りづらく、特に階段の昇降時にはふらつきが見られます。口が回りづらいのも特徴の一つです。人前で話すことが嫌になります。おそらく、極めてゆっくりと徐々に身体(脳)を蝕むだろう、と説明を受けました。一生付き合っていかなければ、とも覚悟をしました。
今まで簡単に上り下りしていた階段が、僕にとっては大きな壁に変わりました。どこに行くにも、「僕だけいけない場所に行くんじゃないのか!?」不安が不満になって襲われます。
生きる意味を与えてくれたもの
そんな僕を救ってくれた出来事が、診断から2カ月後に起こった「西日本豪雨災害」のボランティア活動です。僕は吉田町荒巻地区で、「被災宅に訪問し整体をさせてもらう」ボランティアを始めました。
災害の持つ「圧倒的」で「無慈悲」な姿に打ちのめされました。難病を宣告されてから、ずっと考えていた「生きる意味」の答えが見つけました。一晩で人生が変わることもある、だからせめて目の前で悲しむ人を支えたい。
「今ある命、人の為に精一杯生きよう」と、強く決心をしました。生きる意味を見つけました。
治療家の道を志すきっかけになります。僕が出来るのは「自分の家族のように慈しむこと、祈ること」だけです。
火曜日は公民館で脳トレ&おせっかい体操
生まれ育った椿地区の公民館で行われていた脳トレの日。開業したての僕を、「体操のお兄さん」として迎え入れてくださいました。毎週20人ほどの、おじいちゃんおばあちゃんが来てくれていました。毎週違った「おせっかい体操」と「今日の体操をまとめた冊子」を作っていました。北条に移住するまでの一年間、生徒さんの階段の昇り降りは驚くほど速くなりました。
結婚、そして理想の生活に一歩一歩近づく
こんな、どうしようもない僕に天使が降りてきました。妻まゆみとの出会いです。僕の運命がガラッと変わりました。
32歳で出会い、結婚しました。35歳の時には、北条の海辺の暮らしに憧れて移住し、理想の治療院を立ち上げました。
まさか、結婚できるなんて夢にも思っていませんでしたし、海辺の生活も、開業も、海遊びが仕事になるなんて夢みたいです。一足飛びに夢が叶っていきます。
海で僕の症状は良くなった
小さな頃から海が好き。いつか海辺で暮らしてみたいと思っていました。
結婚してわずか2年後、憧れだった海辺の暮らしが始まります。海辺までわずか30秒。海辺までの道に急な段差なども無く、まさに理想通りの物件が見つかりました。
海辺での暮らしを機に、一歩一歩ですが確実に僕の症状は良くなりました。
「現代の医学では、まだ解決の為の有効な手立て(手術や投薬)はありません」
病気が分かってから、改めて家族の大切さ、有難みをひしひしと感じるようになりました。愛する妻の為にも、両親や妹、愛犬パフィーの為にも、少しでもこの病気を克服したい。毎朝、美しい北条の海でSUPツーリングを楽しみたい。この「海の持つ神秘のチカラ」、お客様にも感じてもらわなければ!!カラダにいいものを食べ、カラダにいいコトをする。海の持つ「自然の贈り物」を手渡すことが、私たちの使命です。
当院では、治療所の目の前に広がる浜辺を使って、海との触れ合いを企画しています。
◆海辺でアーシング
アーシングとは、「裸足になって直接大地に触れる」健康法のこと。
裸足になって、10分ほど海辺や土の上にいるだけで、体の活力がみなぎってくるはずです。とてもシンプルですが、「大地に直接触れる」ことを、ほとんどの人ができていない生活を送っているのではないでしょうか。
「海辺のアーシング」では、身体(裸足)を地面に接続させます。電気的影響(電磁波等の影響)で乱れた状態を、人体が最も自然な電気状態に回復させます。次のような効果が期待できます。
・炎症、慢性的な痛みの軽減
・血流の改善
・ストレスの軽減や免疫力の増大
・睡眠や目覚めなどのホルモンバランスの安定
・ケガや手術の治癒の加速化
◆安心・安全なタンデムSUP(サップ)
スタンドアップ・パドルボードの略です。普通に出回っているSUPは一人用で立ち乗りのものが多く、今の僕には難しかったのです。当院で使っているSUP(サップ)は他には無い特徴があります。お年を召されているやバランスが取りづらい方でも、『簡単に安全に』遊ぶことが出来るSUPを見つけました。二人乗り用(タンデム)で座って乗るタイプです。
どなたでも安全に、海上クルージングを楽しむことが出来ます。昨年は70歳代の夫婦が楽々乗っていらっしゃいました。僕もまだ落ちたことがありません。いつか夫婦で「立って」サップを楽しむことが目標です。
◆波の音は癒しの音
自然界の音が私たちの心をリラックスさせてくれるのは、超音波の一種「1/fのゆらぎ」が存在するからです。波の音にもそれがあり、落ち着かない不安な心を安らげてくれる効果があります。「規則的」なものと「不規則」なものの調和した時、人は心地よく快適な気分になれるそうです。
実は、波の音は母親の胎内の音に良く似ています。母親の胎内回帰をしたような安心感を覚え、リラックスできるそうです。ビーチで日光浴をしていると、だんだん気分や体調が良くなってくるのはそのおかげなのかもしれません。
◆焚き火で遊ぼう
パチパチという薪の燃える音、揺らめく炎。見ているだけで落ち着きます。
子ども達に大人気の焼きマシュマロは、とろーり美味しい!真冬に焚き火でカップラーメンもたまりません。
◆海水=天然の化粧水?
海水にはアトピーなどの皮膚トラブルや免疫力の向上、水虫の予防、浄化作用などの効果があります。海水に含まれるマグネシウムは、肌の保湿効果を高めたり、湿疹や疥癬などの「皮膚の病気」や乾燥等の「肌トラブル」の改善も期待されます。また、天然ミネラル成分には殺菌作用があり、肌に付着している黄色ブドウ球菌が原因となるアトピーの症状の改善も期待できます。
◆海に入る=脳活
冷たい水に入ることにより、免疫システムが刺激されます。血液中の免疫細胞である白血球の数を増やし、「脳の活性化」にも効果があると考えられています。脳トレや認知症対策にも期待できます。
海辺の治療院「お節介いとうしゅん治療院 ~北条しおかぜ院~」
現代人の多くが身体的不調、精神的不調(躁うつなど)も当たり前とされてしまう時代。原因も、解決策さえ見つからない症状が増えています。西洋医学のみでは解決が困難な時があります。医学で解明されているのはごく少数の症状だけ。「自然療法は未知の世界」です。病気になんか負けない!自己治癒力を高める自然療法こそ、僕たちが目を向けるべきだと思っています。
キャッチフレーズは「難病の院長と真面目に海遊びする治療院」です。
どんな人に来て欲しい?
僕の症状を端的に言えば、人より早く「おじいちゃん、おばあちゃん」の苦労が味わえたことです。バランスを崩したり、高いところに登れない等、昔は出来たことが出来なくなった苦しみや悔しさを知りました。
「自分で治すんだ」「治るんだ」という意思をもってさえいればOK。あとは僕に任せてください。
「海で治る」なんてことは言えないけれど、治療院を通して「家族の愛」が見つかれば、きっとよくなる。
今後は、うつ等の精神疾患や発達障害、もちろん難病やおじいちゃんおばちゃんに優しい治療院であり続けたいと思っています。本人だけではない、辛いのは周りの家族や友人。言わずともお互いが感じられるような場所でありたいです。
僕が「難病の話」をするワケとは?
僕のいくつもの失敗の経験、難病を通して思ったこと、家族や友人との関係、全てが『夫婦関係と環境』に向き合うことに繋がりました。意識的に、関係性や環境を変えること(ラブラブ♡)で、思ってもみなかったことが起こり始めます。毎日が楽しくてしょうがない。どんどん夢が叶っていくのです。その夢を実現させたのには、とっておきの秘訣があるのです。
僕たち夫婦は、バツイチ子持ちの11歳差カップルです。それぞれの過去の失敗やトラウマから、あらゆる家庭の問題の原因は「間違ったパートナーシップ」にあることに気づきました。「12箇条の秘策」を自分たちで実践しました。うまくいった(成功した)体験を、僕らのベストパートナーシップ論としてまとめ、それを電子書籍にしました。
今後は「夫婦講演家」として、「パートナーシップ論」を全国に伝えようと準備中です。僕たちの経験をお伝えすることで、誰かの心に「ホッコリ」してくれればいいな。
結果、「治療院事業」や「講演・執筆」、「鑑定」、「デザイン業」‥。
全てが繋がって、「助け合い」の仲間づくりができればいいな、と思っています。
今回、電子書籍制作において、たてヨコ愛媛メンバーの「元気ファクトリー代表取締役の小島社長」と「てのひら小説作家のことりさん」に特にお世話になりました。いつもいつもありがとうございます。この場をお借りして、お礼を申し上げます。
あとがき
ひょいひょいと障害物を登る友人に、嫉妬をしたり、焦りを感じることもあります。けれど、自分は自分。ゆっくり、ゆっくり、自分自身と向き合っていくことが大事だと思います。
治療院にいらっしゃるお客さんの「辛かった毎日」が、雲を散らすように治るなんてことは僕はあり得ないと思っています。ただ、少しでも前向きになってくれればいいなと思います。
大切なのは、少し環境を変えてみること。「病気に負けない、打ち勝つんだ!」思い込むことは必要だと思います。そして、無理ない範囲で挑戦をしてみる。
そして、大切な人に感謝を伝えてみてください。まゆみ、本当にありがとう。
僕自身の症状も、少しずつ改善の兆しが見えます。諦めない、良くなる。良くなる。
『たとえどんな困難があっても、夢を叶える事はそんなに難しくないのだから』
お節介いとうしゅん治療院
伊藤駿