Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイ

ランキングと私の程よい関係。

はじめまして。愛媛生まれ愛媛育ちの愛媛県人度100%、中里美咲と申します。

岡田さん、みむらさん、高田さん…といろいろ考えさせていただくコラムが続くなかでかなり緊張しておりますが、素直に私が普段から考えていることを書いてみようと思いますので最後までお付き合いいただければ幸いです。

何でもかんでもランク付けしまくる日本人

さて、皆様、「日本人はランキング好き」と言われているのを御存じでしょうか?スポーツの強豪チーム、ネットで検索されたニュースのランキングから美味しい飲食店や評判の良い病院だとか…。通販サイトでは時にリアルタイムであらゆる商品の売り上げTOP10とか出てきますよね。そういったランク付けを何か購入するものやこれから行くお店・観光地・病院等を選ぶ際の参考にした経験は日本人なら誰もがあるでしょう。そうそう、人気投票も日本人は大好きみたいです。芸能人や、ゲーム・アニメ・漫画等々のキャラクターの人気投票をしょっちゅう見かけます。そしてこれらの順位に一喜一憂しているのはランク付けされる対象の関係者(人やモノや地域もありますね)もさることながら、人気投票の場合だと投票した側(つまり、評価に参加した側)のほうだって「自分の推しの〇〇は人気がある(ない)んだ」って喜んだり落胆したりしていることが結構あるようです。そんな数多のランキングや人気投票を見ていて「なんで日本人はこんなにもランク付けしたがるのかな?」と思っていたのですが、田村秀氏の『ランキングの罠』(筑摩書房、2012)という本にはこう書いてありました。

そのような他者による評価を多くの日本人が欲しているがために、さまざまなランキングが巷に溢れているというのが内実なのではないだろうか。自らが他者を積極的に評価しようとするのではなく、権威のあるものが行った評価結果を参考にして、物事を決めたほうが楽と言えば楽である。 そもそも自分で評価しようにも、評価するための情報を漏れなく収集するのは個人レベルでは不可能に近い。それよりも、誰かが代わりに情報を集め、適切に評価し、順位付けをしてくれるのであれば、その結果を利用したほうがはるかに安上がりである。

『ランキングの罠』田村秀、筑摩書房、2012

その一方で、このような記事もあります。

https://toyokeizai.net/articles/-/376234

この記事によれば、ランキングという1つの評価軸を信じて自分の評価をこれに委ねていると、人は自信をなくしてしまうとのことです。(詳細はリンク元をお読みください)なんだか、もともと自信がないからランキングに頼ってしまうのではという気もしますが、これは卵が先か鶏が先かみたいな話かもしれません。

減点評価しすぎて褒めるのが苦手に?

閑話休題。

先ほどの記事には、ランキング等1つの評価軸やモデルを理想にしていると「減点評価」の対象になってしまう、とありました。言われてみると日本人は「減点評価」が得意ですね。すぐに誰か・何かの嫌なところ、欠点が目につきます。ゆえに「加点評価」が苦手で、だから自他ともに良いところを見て「褒める」ことが苦手なのかもしれません…という高田さんのコラムに通じる話です。

じゃあ、ランキングとどう付き合えばいいの?

戻ります。

では、私が何を言いたいかというと、大きく2つあります。少なくとも私はこうしています、という感じであり、これが絶対というわけではないです。

①「ランキングの順位≠評価対象の価値」だと捉えたほうが楽!

例えば今のこのご時世なら「人口10万人あたりの新規コロナ感染者数」の都道府県ランキングがありますが、こういうデータをランク付けするとその地域がほかと比べてどの程度コロナが感染拡大しているのか目で見て分かりやすいですよね。また、企業の売上高や業界シェア率、農作物の生産量をランク付けするのも確かにどの程度売れているのかを知るには便利です。

ここで私は思うのです。

「ランク付けされた順位は単なるデータに過ぎない、その順位を自らの価値とイコールとして捉えるべきではない」、と。

例としてここではみかんを挙げましょう。2020年産みかんの生産量ランキングは

1位 和歌山県

2位 静岡県

3位 愛媛県

…と、我らが愛媛県は和歌山県や静岡県に比べると少ないことが分かります。ここで、「愛媛のみかんは和歌山や静岡よりも価値が低い」と捉えて落ち込んだり「1位に返り咲くぞ!」と躍起になったりする人を見かけるのですが、それって正直しんどいことだと少なくとも私は感じます。「愛媛のみかんは和歌山や静岡よりも生産量が少なかった」、ハイ終わり。ここで留めておくと心持が軽やかになります。別に和歌山や静岡よりみかんの生産量が少なかったからって愛媛の魅力が下がったわけではないし、愛媛みかんが不味くなったわけでもないし、愛媛のブランド力が弱くなったわけでもない。そうですよね?

②自分の評価軸を持ち、それを信じよう

これは先ほどの記事にもありました。自分で感じ、考え、選択し、評価してみるのです。自分の基準で判断して選択したものが失敗だったら、それは「よい経験になった」ということです。また、たとえ人気投票で自分の推しているものが上位ではなかったからといって悔しい、恥ずかしいと思う必要もありません。自分が好きなものは好き、それでよいのです。

みんな違ってみんないい世界

ちなみに。

私が本当に望んでいるのは、こういう世界です。

「愛媛みかんも美味しいけれど、和歌山や静岡のみかんも美味しいね」

「Aさんは愛媛みかんが好きって言っていてBさんは和歌山みかんが美味しいって言っているけれど、私は静岡みかんが好みに合う。どれも違っていいんだ」

うーん、究極に平和な世界ですね。地方自治体でさえも地域間競争を強く意識した政策の多い現在とは遠くかけ離れているかもしれません。そう言いつつも今年5月には地方行政へ飛び込もうとしている”公務員のたまご”の私…。はてさてどうなることやら。

ところで、そういうおまえはどうなんだ!?

こんな風に考えるようになったのは、私が「相対評価で他者と比較されるとほぼ100%見劣りしてしまう」人生を送ってきたからかもしれません。

いわゆる進学校育ちの私ですが、学校の成績は常にビリに近いところにいたし、部活では「オーディション」で選抜メンバーになれたことは皆無。大学では人気のゼミの面接に落ち続け、就職活動をすれば一次面接で不合格。パート生活をしながら社会人枠の公務員試験に挑み続けるもやはり面接で不合格の連続…。比較されると見劣りすることをそのまま自分の価値だと捉えてしまい、もともとない自信をさらに失くして劣等感のかたまりになってしまいました。

だけど、人間の価値って多面的なものじゃないですか。何かのランキングが1位だから素晴らしい人格の持ち主ってわけではないし、有名企業で働いているから優れた人だってわけでもない。私には私の価値、魅力があるはずだ、それを自分で大事にしてあげよう。…と、時間をかけてここまで立ち直れたとき、他者に評価されたランキングとの付き合い方、程よい距離感に気が付いたのでした。

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます!

ところで私の自己紹介にはちょっと驚かれるかもしれない経歴が書いてありますが、それについてはまたいずれ機会があればお話しようと思います。

では、今回はこれにて失礼いたしますm(_ _”m)

ABOUT ME
中里 美咲
1991年愛媛県宇和島市生まれ。2014年松山大学人文学部社会学科卒業。自ら発起人となり18名の仲間とともに2019年6月にアマチュア吹奏楽団「ウインドアンサンブルいよかん」を創立し、2021年5月まで初代団長を務めた。2022年1月現在、松山市在住だが同年5月には某愛媛県内自治体の公務員として再就職予定。
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