ヒュルリーラ~と言えば
さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
吹き止まない春の風 あの頃のままで
君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香り戻ってくる
二人約束した あの頃のままで
ヒュルリーラ ヒュルリーラ
はい!脳内無限ループになった人 挙手!!(笑)
他の歌と間違えた人 そっと手を下げましょう
この時期、デスクワークのBGMはこれで決まり!「こまった時のよしはらさん」吉原匡樹です。家族からも「はい、いつもの季節ね」と呆れられるほどケツメイシのこの曲が大好き。移動中の車、デスクワークでは無限ループ。もちろん、これを書いている今もかかってます。さて、居住地の三重県では今日4/5からF1日本グランプリ。F1のエンジン音、駆け抜ける車体と共に桜吹雪が舞い散るシチュエーションを期待され方は少し早かった!!
日本人に一番なじみ深い花ともいえる桜 その桜吹雪の中にみえたものは何なのか?(金さん?)桜の歴史と共にふり返ってみたいと思います(なんかイヤーな記憶がよみがえりそう)
日本人と桜
さくらの木の真下 語り明かした
思い出は 俺 輝いた証だ
さくら散る頃出会い別れ
それでも ここまだ変わらぬままで
咲かした芽 君 離した手
いつしか別れ 交わしたね
さくら舞う季節に取り戻す
あの頃 そして君呼び起こす
桜ときいて連想するもの
- 出会いと別れ、新歓
- 桜吹雪(と金さん)
- 桜餅、団子、花見
- 〇体が樹の下に埋まっている
- 毛虫(ぎゃー)
春、新歓と言えば『桜』でしょ!っていうほど日本人になじみ深い桜。昼間の桜だけでなく、夜桜を見ながら宴の席。30年前の4/1が大学入学式だった私も、先輩に誘われそのまま花見に行った記憶があります。
桜ってとても魅力的。昼間の桜に加え夜桜には魔性・妖艶といったイメージありませんか?(笑)見る人を魅了し、惑わせ、時にはマジックをかけます!お酒も進み酔いつぶれ?ここはどこ?わたしはだれ?
そして・・・・
花見の席でなんとな~く隣に座った人に惹かれる。その場を仕切る先輩に憧れ、恋をした
なんて甘酸っぱい経験があるのは私と同じ昭和世代ではないでしょうか?そんな桜 これほどまでに日本人を引き寄せる理由は何があるのか?ちょっと深掘ってみたいと思います。今でこそ、桜の代表格ともいえる「ソメイヨシノ」。でも古来は「ヤマザクラ」の方を愛していました。
桜よりも梅を愛した日本人
桜と言えばソメイヨシノと言われる程ですが、江戸時代以前は「ヤマザクラ」が主流。この時期多くの人が訪れる奈良県吉野町の吉野千本桜も「シロヤマザクラ」が主流。吉野千本桜の発祥は修験道者が修行の中で祈りを込めて植えられてきたものを代々その地域にすむ人々が守ってきたと言われています。
日本に自生する基本種は約10種 そこから派生したものまで含めると約600種あると言われています。そして我が家の近所にも天然記念物に指定された八重桜があります。みなさんの周りにもまだ発見されていない新種の桜があるかも。
でも桜と言われ思い浮かぶのはあの桜ですよね?そうソメイヨシノ
花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふるながめせしまに
「はなの色は」では遅い!「はなの」だよ!はなではじまる歌は他にもあるから(競技かるた経験者談)
小倉百人一首、有名な小野小町のこの歌。おそらく読まれたのは「ヤマザクラ」でしょう。歌に詠まれ愛されている桜
でも古来日本人は桜以上に梅を愛していました。
その証拠に『万葉集』では「梅」が「桜」の3倍にあたる119首も歌に詠まれている事実をご存じですか?奈良時代の貴族は梅を好み、鑑賞しています。元々梅は遣唐使が中国から持ち帰った「超高級品」。だから大切な舶来品を人間の手で管理・育て・愛でる。貴族の中で大切に育てられ、そして春になると他の植物よりも早く花を咲かせる「春を告げる花」として愛されていました。
もう一つ、桜よりも梅が重視された背景には日本人の精神性に関わる部分「信仰心」があると考えられます。
当時の日本人にとって桜は『神聖な木』。この桜という名前にも諸説ありますが、主に語られるのは
- あまつ神のニニギのミコトと木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の婚姻神話の中で、春に里にやってくる「神」が憑依する「座」を合わせて「サクラ」という言葉が生まれた
- 富士山頂から花の種を蒔き花を咲かせたとされる、「木花之開耶姫(コノハナノサクヤビメ)」の「さくや」をから名づけられた
なので「神様の名」の入った花という恐れ多いイメージがあったのかもしれません。
しかしその後、9世紀末期に遣唐使が廃止され、国外からの文化の流入が徐々に弱まり、並行して日本文化にシフト。その中から古来日本に自生する「山桜」が重視され始めたということ流れになります。
梅と桜の攻守交代があったと言われるこの平安時代。古今和歌集に読まれる歌の数も逆転し、梅17首 桜70首。
ひな人形で『左近の桜』『右近の橘』と言われるようになったのは、嵯峨天皇が行幸の際、京都・東山の「地主神社」の満開桜のあまりの美しさに二度、三度と車を引き返しては花を眺めた。その後御所の庭の「左近の梅」が桜に植え替えられ、雛飾りでお馴染みの「左近の桜」「右近の橘」の姿になったという説があります。
ちょうど「NHK大河ドラマ」でも平安時代を扱っています。そういった視点でみると面白いかも(写真は我が家のお雛様)
桜は「滅びの美学」?
「なんなん?滅び美学ってさ・・・迷惑なんやけど」
桜の妖精の気持ちになって考えると 夏の猛暑や台風、虫害そして冬場の雪に耐え、その成果として春に満開の花!やっと咲かせることができた!1年間生きてきた成果やー!っと思ったのもつかの間「滅びの美学」「桜吹雪?」なんやねん!それ と
都合よく武士道に関連付けられた気がします。
日本人特有の滅びの美学ともいうのか精神性。言葉を選ばずに言えば「あと腐れなく」「怨念を残すことなく安らかにお眠りください」といった精神性というものがいつの間にか「サーっと散って新緑に変わるソメイヨシノ」に結びつけるには都合よかったのか?
また、死者を冒とくしないという明文化されていないけども、浸透していた日本人の信仰心。そこに神の名を入れることで崇拝の対象としていた。そこには桜の美しさもあったのではないでしょうか?
古代日本人の精神性については私の愛読書の一つ「逆説の日本史 第1巻~古代黎明編~(井沢元彦)」で最初に出てきます。ご興味ありましたら読んでみて下さい。30年前の本ですが日本人の精神性の部分は興味深いです
冬の寒さに耐えて生活する昔の人々。春を待つ心が「梅は咲いたが桜はまだか?」という唄にあるよう何ヶ月も前からずっと、桜の満開を心待ちにしていた!!にも関わらず、その美しい桜は10日~2週間程度で儚く散ってしまいます。
その光景が『はかなさ=武士道』 散り際の潔さ的な要素で桜吹雪が日本人に好まれ、時代劇で桜吹雪が掛け合わされるのもこのあたりかも。
桜吹雪と共に武士が消え、後には切られた侍が・・・・
ちなみに、平安時代から始まったお花見も戦国から江戸時代を経て5代将軍徳川綱吉の時代以降、庶民にもお花見が推奨され始めます。8代将軍吉宗の時代には浅草をはじめとする地域に桜を植えさせ、お花見・行楽を推奨させました。いまでいうならお花見によって「テイクアウト」が広まり、商人が収益を上げる。それによって幕府は税収が上がる。そう考えるとビジネスモデルとしてのお花見はありですね。
それから一斉に咲き散るおなじみの「ソメイヨシノ」。この品種は江戸後期から明治にかけて現在の東京豊島区駒込付近で人工的?(自然交配)に生み出されたという説が有名です。元々はオオシマザクラとエドヒガンの品種を改良して作ったと言われ、その背景には江戸時代から継ぎ木が盛んでだったこともあり、一斉に咲いて散る姿にほれ込んだ人が多く、その後全国に広まったと言われています。
一斉に花弁が散る=あと腐れない 武士道の潔さ
それよりも春を待つ花という位置づけで一般市民に愛され、水を入った水田の脇に桜があるという、今でいう「桜の名所」「映えスポット」は当時農業をやる人にとっては当たり前の光景だったと推測できます
やっぱり桜は人を惑わせる
桜は人を魅力的にする舞台装置
この週末、各地でお花見日和が予想されますね
「席取りなんて時代遅れで寒いよ」と言わず、一回やってみて下さい。どうしても嫌だったら翌年は後輩にやらせない!でも席時での出会いや話を楽しむ桜のマジックにかかってみて下さい。
冒頭の30年前入学式直後のお花見出会ったのは人たちとは今でも交流があり、家族以上に長い付き合いが続いています。ここまでくると桜の妖精もきっとよろこんでいることでしょう(笑)
最後にちょっと恒例の愛媛と三重つながりネタを。
先日近隣の博物館で開かれている『刀剣アラカルト』に行き、そこで改めて愛媛と三重のつながりを実感する展示を目にしました。昨年の大河ドラマ「どうする家康」で登場した桑名藩初代本多忠勝公。その数代後の藩主にあたる松平定行公が伊勢国桑名藩主のあと、加増され伊予国松山藩の初代藩主!更に今度は数代後に伊予松山藩から藩主を迎えて桑名藩主になるという事実も!これも刀剣アラカルトに行かなければ知らない事実でした!
たてヨコロス
桜も刀もその魅力をもって人を惑わせ、引き付けます。惑わされた人は「桜のせいだ」っていうかもしれません。実際に「村正」を見ていたら本当に握りたくなりました(いやあんたの意思だろ?(笑))
人は自分にないのもに惹かれ惚れてる特性があります。時には魅力的に、時には恋に落ちたり、人が人に惚れるなんてことは当たり前のことかもしれません。
ただ、桜の代表格ともいえるソメイヨシ。1本の継ぎ木から始まったクローンであるのと違い、私たち人はそれぞれが特徴を持っていて魅力的で、時にはめんどくさい面もありますがそんな違う面があるからこそ、であった時に素敵なシナジーを生み出してくれます。人にないからではなく、自分にあるものに気がつけると自分を好きになり、自分を大切にし、自分を尊重できるではないかと桜を見ながら感じています。
そんなシナジーを体感させていただいた先月のたてヨコ5周年イベント。前回のコラムでも書いた「タテよこ三重(仮)」の稼働もこちらでは始まっており、こちらについてもおつなぎできればと思いますし、次回以降コラムを書く機会があればまた書かせていただきます。
そして、既にたてヨコロスに陥っておりますので、なんとか夏まで耐えたいと思います
花びら舞い散る(ヒュルリーラ)
記憶舞い戻る(ヒュルリーラ)
花びら舞い散る