Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイデザインファッション教育

『ポン』の4半世紀に渡る奮闘記

ご挨拶と自己紹介

初めまして、たてヨコ愛媛の会に入会して初めての投稿になります。
未熟な文章力ではございますが、楽しみながら一読いただけますと幸いです。

佐藤功人(さとうのりひと)通称:ポン
東京都渋谷区在住/宇和島市出身
有限会社シヤ 取締役社長
企画プロデュース・コンサルタント・マーケター・芸能プロデュース・イベントプロデュース・ファッションデザイナーなど…..

宇和島市と言う片田舎に生まれ、ファッションデザイナーに憧れ、松山へ2時間かけて洋服を買いに出かけた高校時代から現在に至るまでの4半世紀に渡る波乱万丈?の人生を振り返ってみたいと思います。

どうぞ!気軽に『ポン』と呼んでください!と、普段ならお声がけするのですが、このコラムはたてヨコ愛媛の会…どうしようと言った感じです(笑)

殆どの人が『ポン(ポンジュース)』になってしまう…..

※当時、他県で愛媛出身というだけでポンとつけられた人がきっと多いはず!

以前、mixiが盛んな頃にポンで検索したら、愛媛出身でポンのニックネームの方が100人以上いました(汗)

子供服店の長男としての幼少期~高校時代(宇和島編)

宇和島市の商店街にあった「子供服:みっちゃん」の長男として生まれた時から洋服に囲まれて育ちました。高校時代も校則などに不満もなく楽しく過ごしました。振り返れば一番洋服を買った時代だったと思います。

高校入学時には美大を目指していました。理由は偏差値・学歴社会と言われていた時代で進学社会だった事、そして美大出身の世界的なデザイナーもいた事から…しかし思いは急転換!春休みのデッサン講習をうけに多摩美大の予備校へ行った時に悟りました。『これは目指す事と違う!』ひたすら円柱のデッサンを繰り返す内容にズレを感じて早々に専門学校へ進路変更。

振り返るとペランポランながらも目的と目標をシッカリ持って自分の個性発掘をしていたのではないかと思います。この時代のテーマとしては『とにかく仲間と共に楽しむ!』昼!も夜?も全力で楽しんだ(笑)高校時代でした。

ファッションデザイナーになる!夢を持って上京した愛媛のポン!

文化服装学院
高田賢三・コシノジュンコ・山本耀司・渡辺淳弥・高橋盾…

あげきれない数々のデザイナー・芸能人・著名人を今でも排出しているファッション専門学校へ入学。

バブルを体感する事もなく、ひたすらデザインに打ち込み型紙をおこして縫う。そのような毎日を過ごした”夢と希望”に溢れていた時代。

入学して直ぐに『愛媛出身?ポンジュースだね!じゃ~ポンでいい?』ポンポンポンとリズミカルな会話でこの先”ポン”として生きていく事が確定(笑)。個人的には響きも良いし呼びやすいニックネームでお気に入りです。

一人一人が個性的な学校に入学。自分の個性を探しながら周囲の仲間と切磋琢磨しながらデザイナーの道を目指した学生時代は何にも代え難い財産になっています。現在は週一で非常勤講師として母校の教壇に立ち、次世代のデザイナーを目指す生徒達相手に講義をしています。

当時の装苑賞の公開審査風景(3点エントリー)

学生時代に学んだこと / 諦めない事も才能の一つ

色々な個性がぶつかった学生時代。何が正解だったのか….その答えは現在でも出ていません。元気にクラブ通いをした同級生は、ノリの良さを身につけ、広範囲の繋がりを作り、現在に活かしている。その逆で、ひたすらファッションデザイナーを目指し、自己と向き合いコンテストに没頭した者は晴れて自分のブランドを起こし東京コレクションを行ったり…十人十色の人生を歩んでいます。その仲間達との出会い、交流は現在でも続いてます。文化服装学院時代の付き合いは全てが財産になっています。

高校時代に美大は違うと早い段階で判断をしましたが、文化服装学院時代を通して今も頭に残るワードは『諦めない事も才能の一つ』という先輩が残した言葉。自分の才能を信じるという事にも繋がります。信じるからこそ物事の深堀りをして創造力を発揮する。

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恩師と副担そして名誉学院長の小池千枝先生

物と情報が溢れすぎた時代だからこそCore competence(コア・コンピタンス)の重要性が高まります。他には負けない何かを探求する姿勢。諦めてしまっては何も花を咲かす事はない。信じて楽しんで継続する事の重要性を学んだ事が現在のプロデュース・コンサル業にも活かされています。

コンテストでは受賞者と落選者の違いについて実感・体感。受賞した時に舞台の上から見下ろした事でアチラ(観客席)とコチラ(舞台の上)の違いが分かりました。違いなんてほんの僅かな事でした。感じていた壁が取り除かれた瞬間でした。絶対的なコンセプトやデザイン力も必要ですが、その道を諦めてしまえば、そこで終わり。諦めず続ける才能によって開花する事を今も信じています。

YVES SAINT LAURENT/オートクチュール

文化服装学院を無事卒業。就職はしませんでした。就職活動時期にコンテスト作品の製作に追われていた事も理由の一つ。当時はグランプリを受賞すればデザイナーデビューが出来るかもしれない….そのような時代背景もあり、作品創りに没頭していた時期でした。※あるコンテストのグランプリ・その他いくつかの賞を受賞。

そして就職したい会社が募集をかけていなかった事が最大の理由。そのような事でアルバイトを選択。

西武系列の子会社が運営するアトリエでお針子としてアルバイト。YVES SAINT LAURENTイヴサンローラン/オートクチュール パリのイヴサンローラン社から生地とパターンを買い付けてきて日本でサロンショーを行いオーダーをとる…そのアトリエに勤務。本場の素材やパターンに触れる事が出来た貴重な時代。

『佐藤さんアナタが行きたがってたコムデギャルソンが新人&中途採用を募集してるわよ』

バイトをしていたある日の事、恩師から電話がかかってきました。

高校時代から憧れ続けていた世界的ブランド

COMME des GARCONS
世界的なファッションクリエイトブランド。ファッションの世界を目指す人間で知らない人は皆無と言っても過言ではない日本を代表するブランドです。非常に興奮しました。迷わず応募。

※ここから先は門外不出の話でたてヨコ以外でコピペ等での投稿はお控え下さい。

20年以上も前の事ですが、今でもハッキリと覚えています。

1次面接は総務/人事の面接。

2次面接で常務とCOMME des GARCONSのチーフパタンナーの面接。

そして3次面接ではカリスマデザイナー兼社長の川久保玲さんの面接

通り一辺倒の面接ワードを用意する事なく、ただただ…川久保さんに会えるという事で興奮したまま面接に挑みました。ここからは今でも鮮明に覚えている面接時の様子を…面接室に入って座った一言目から!

川久保さん
Q:貴方にとってファッションとは何?

ポン:心の中の言葉も交えます
内心:いきなりキターーーー汗
ファッションとは直訳で流行…なんてつまらん事を言ったら死亡だろうな…

A:自分で自分の事を語る事です。

中略….

川久保さん
Q:装苑賞は誰に出してたの?

※装苑賞:数々の有名デザイナーを輩出してきたコンテスト。当時は現役デザイナー8~9人位・学院長・教員に向けて応募者側で審査員を選んでデザイン画を送る形式でした。

ポン
えっ!?装苑賞の応募形式とか知ってんだ!ビックリ!

A:山本耀司さんが審査員の時は必ず応募していました。

※COMME des GARCONSと双璧ライバル関係と言われていたブランドです。

川久保さん
Q:だったらヨウジに行けば良かったじゃない?

ポン
アイターーーー!まじか~~~

A:審査員に川久保さんがいらっしゃらなかったので

ヨウジヤマモトとコムデギャルソンの関係からも理解していただいたと思います。

鉄仮面と言われた川久保さんの表情が緩み..
『そう….ふふふ・・・』と笑みがこぼれた
アノ時間を忘れる事はありません。

面接を無事通過して技能試験もアクシデントを起こしながらも通過!何と狭き門をクリアして念願のコムデギャルソンに就職する事となりました。

まだまた書きたい事が沢山あるのですが、話も長くなるので、この辺りについては、またいつか何処かで記事に出来ればと思います。

新人ながらコレクション部隊に配属。

日々クリエイションと向き合う濃い…本当に濃い時間を経験する事が出来ました。

当時手掛けたアイテムの一部です。

COMME des GARCONS時代の経験が基準となり、クリエイションとは何?ホンモノとは?オリジナルって何?と常に自分自身に問いかけながらの人生を歩んでいます。

数社を経て2000年に(有)シヤを設立

COMME des GARCONSを退社後、NICE CLAUP(ナイスクラップ)beige shop(ベージュショップ)と2社のアパレルブランドで働いた後、2000年12月に有限会社シヤを設立。

展示会を開くも一年半オーダー0!いわゆる売上¥0!積み上げた自信も崩れ落ち、資金も一気になくなり、人も離れ…そして離婚も経験💦いきなりの暗黒時代…そして修羅場を体感。

そんな時に自分を救ったのは…

学生時代に学んだ諦めない姿勢。ココからは精神力がモノを言いました。鬱を寄せ付けない鈍感力と前向きな敏感力。経営者としてプライドより実益と方向転換。即座に神宮前の一等地に借りた事務所を撤収して自宅兼アトリエに…..態勢を整えてから自転車屋操業で命と会社を繋ぎながら立て直しを図りました。

まずはブランド名を会社名でもある Cya シヤ ➡ norihito sato ノリヒトサトウに変更。ブランドコンセプトも大幅に見直しました。時流を気にせず自分らしいファッション。ありそうでない大人服を展開する事に注力しました。

この時に学んだ事…..失敗を認めて受け入れる。次に向けて活かすという事。根底にある諦めずにしっかり向き合う事を実践。落ち込んでいい…ただ目を背けない事。辛いのは当たり前です。勇気を振り絞って前に進む事。

しっかり自分と向き合った事で、徐々にオーダーをいただくようになり、雑誌にも取り上げられ始めて、地獄のような日々から抜け出す事が出来ました。

現在、学生たちには『決して失敗を恐れたらダメ!成功するイメージを持って挑んで、失敗すれば事実を認めて修正する』その言葉を毎年かけるようにしています。むしろ学生時代なんて失敗の連続でもいい。そこから学ぶ事の方が多いと思います。

それから少しずつ周囲にも認められて、スポーツのMIZUNOのゴルフブランドを立ち上げた事を皮切りに、デサント(マンシングウェア)・フェニックス(KAPPA)・グローブライド(ONOFF)その他サッカーブランドなどスポーツ分野のデザイナーと自身のファッションブランド…そして外部のアパレルメーカー・学校の講師など2足どころか3足4足の草鞋を履いた時期もありました。

ここまで一読いただき「おもろい奴だな!」と思っていただけましたら、これまでの経歴・業務概要をコチラからDLしてご覧下さい。➡ クリックCLICK

現在のポンの活動『OHRAI

義父である故:生賴範義
(おおらいのりよし)
あのジョージ・ルーカスをも唸らせた世界的イラストレーターの絵の保存と認知を広げる為のブランド活動に注力しています。ウィキペディア

昭和・平成の街角で見かけたであろうイラストの数々

商業用イラストとして描かれてきた絵を一つ一つ理解しながら、色々な企業とコラボレーションをしながら新たな命を生み出して、次世代に繋げるよう活動をしています。先月から今月にかけてモノゴトが大きく動き始めました。あらためて生賴範義を紹介するドキュメンタリー番組を作ろうという動きが始まりました。

日本の宝・職人魂を後世に残す活動

本格的に活動し始めて一年。いよいよこれから新しい事が起きそうで私自身ワクワクしています。

このOHRAIの活動を通して、アパレルだけではなく飲食・ホビー業界・ゲーム業界・芸能界….その他…お付き合いの幅も広がり想像を超えたマッチングなど生まれると思います。

最後に…..愛媛への思い

ここまでご覧いただき、誠にありがとうございます。

最後のまとめとしまして、たてヨコ愛媛の会に参加させていただいた理由と愛媛県への思いを述べておこうかなと思います。高校卒業後に愛媛県宇和島市を飛び出し、四半世紀が過ぎました。実は今でも家庭内ではバリバリの宇和島弁です。『イケんやろ』『どがいもこがいもならん』などは日常茶飯事です。愛媛県大好き人間です。

コロナ禍になるまでは毎年お祭り時期には(和霊大祭)には帰郷していました。

これまでやってきた事で何か愛媛県に…そして宇和島市に役に立つ事が出来ないだろうか?現宇和島市長にもお会いしました。

イベントでもいい、単なるコンサルティングに留まらないモノやコトのお手伝いが出来たら幸せだな..と

そして、両親も高齢になり度々帰る愛媛で仕事が出来れば理想的!どのようにしたら良いか思案に暮れていました。CAMPFIREパートナー(クラウドファンディング)としての伴走支援の提案も含め、地元宇和島の人間と色々と話をしてみましたが、ほぼ全員クラウドファンディングに懐疑的(苦笑)クラウドファンディング自体知らない人間も多く驚きました。

そのような中でFacebook上で『たてヨコ愛媛の会』を知りました。

きっと活動的な方々がいるはず!と思い、まずは雰囲気と熱量を感じながら、生まれ育った愛媛の現状を知ろう!日々そんな思いでいます。6月にはたてヨコ東京支部の方と初めてお会いして楽しいひと時を過ごしました。このような愛媛の真面目?なジュース『ポン』です。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

そして宜しければ、気軽にFacebookフレンド申請をして下さい。最近は変なアカウントからの申請も多いので『よろしく!ポン!』の軽い一言をいただけますと幸いです。

番外編_芸能プロダクションの仕事も手掛ける

実はココ最近このような事も手掛けております。

アークプロモーション株式会社
所属女優:村山優香

ウルトラマンデッカーのヒロインを務めた彼女を筆頭に未来の女優やモデルを目指している娘達を芸能系だけではなく、ブランドとのコラボレーション企画やアンバサダー契約・商業施設・イベント企画など、自分の得意分野でお手伝いをしています。彼女以外にも有望な人材が在籍しています。

イベントのお誘い、TVやラジオの出演など気軽にお問合せ下さい。

ABOUT ME
佐藤 功人
コム・デ・ギャルソン/ナイスクラップ/beige shopを経て 2000年12月に有限会社シヤを設立。 独立後は自社ブランドをセレクトショップ中心に展開。 その他、外部デザイナー業務を請負う。 スポーツアパレル 新ブランド立ち上げのディレクションを請け負う ・MIZUNO 美津濃㈱ ・Munsing wear ㈱デサント ・KAPPA ㈱フェニックス ・ONOFF ㈱グローブライド その他 メンズ/レディースブランド・ユニフォーム業界と幅広く精通。 様々な販売形態にも対応 アパレルブランド・店舗型SPA 通販カタログ・TVショッピング等。 2018年3月に公表された陸上自衛隊 常装制服改正にも携わる。 近年はマーケター・プロデュース業に加え、企画コンサルティング・クラウドファンディング伴走サポート業も請け負っています。 2020年OHRAIブランド立ち上げ スターウォーズ『帝国の逆襲』・『平成ゴジラ』・ゲームソフト『信長の野望』『三國志 イラストレーター 生賴範義(おおらい のりよし)の認知活動に注力。アパレルブランドの活動以外にも異業種との取組みをメディアも巻き込んで企画中。 そして芸能事務所の業務も兼務 アークプロモーション㈱マーケター・プランナー・マネージメント 所属タレント 村山優香(ウルトラマンデッカー ヒロイン) その他8名所属 企画から販売出口まで共に考え実行します。
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