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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

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洗剤CMの論理と倫理と私

✐ 洗濯用洗剤などのCMに、最近は男性タレントが起用されることがあります。
「掃除・洗濯は女性がやるもの」という性別役割分業の改善例なのでしょうか?
イマドキの若い俳優を起用することで女性を惹きつけようとしている気がします。
これは一種の「性の商品化」ではないでしょうか?


こういう趣旨の質問を、ある出版社からいただきました。
男性総合雑誌でジェンダーについて特集を企画しており、「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」を出版したメンバーから考えを聞きたい。そういった趣旨の質問状の一部です。

愛媛県立図書館ほか県内7図書館に蔵書されています。

メディアの責任と自省

「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」は昨年、全国の新聞社有志で編集し、出版しました。私もメンバーの一人でした。

日本のジェンダーギャップ指数は世界146カ国中116位です。
責任の一端がメディアにもあると考え、自分たちの記事表現を振り返りました。
と同時にSNSなどで今や誰もが発信者になる時代、一緒にジェンダー表現を考え、社会を少しでもいい方向へ変えていきましょうという本です。

興味深い質問だったので、丁寧に答えようとあれこれ考えているうちに、返答期限を過ぎてしまいました。
編集・出版チームとしては出版社にきちんとお答えしたのですが、自分の考えは伝えずじまい。
そこで今回、あらためて個人的に考えてみることにしました。
動機は本出版時と同じく、自省とちょっとでも社会がマシになるためです。
以下、留意事項です。

  1. あくまで現時点での私個人の考えであり、編集・出版チームや所属する組織・団体の考えを代弁・代表するものではありません。
  2. 一つの仮説であり、他の考え方も当然あります。この考え方を他者に強制、強要するつもりはありません。
  3. 取り上げるCMは考察のためのサンプルであり、個別のCMや商品、人物、企業を論難するものではありません。
  4. リンク・引用は論理展開上、参照が必要なものについて、できるだけアクセシブルなものという観点で選びました。必ずしも引用元の論調に賛意を示すものではありません。
2023年の国際女性デー(3月8日)のニューヨークタイムズの紙面。ジェンダーの世代を超えた平等をテーマに掲げたGUCCIの広告。

不平等な構造があり、是正必要

まず前提として

  • 現在、構造的なジェンダー不平等があり、女性らが不利益を被ることが多く、個人が属性でなく、個人として公平・平等に扱われるよう是正しなければならない

が私の立場です。
そして、その是正は男性である私を含め誰もを生きやすくすると思っています。
なぜなら、今ここでマジョリティーの人も、時間や空間が変われば誰もがマイノリティーになりるからです(身体的性、性自認、性的指向、性別表現以外にも、人種、宗教、国籍、職業、年齢、障がいの有無・・・)。
私もある面では、すでにマイノリティーです。
例えば身近の属性ベースの文化・慣習に「STFU!」と思っている時などです。

その上で出版社の質問に対する私の仮説は

  1. 「イケメン」起用のCMには、一種の「性の商品化」がある
  2. ただし、「性の商品化」即アウトではないかもしれない
  3. 人間の商品化・モノ化は、資本主義経済下では、あらゆるところで起こっている
  4. そもそも生活する上で、他者のモノ化・手段化や、逆に他者から自分がモノ化・手段化されることを完全に回避することは原理的に不可能
  5. それは女性だろうと、男性だろうと、あるいはそれ以外の立場だろうと
  6. 問題なのは、構造的に不平等な関係があり、ある属性がステレオタイプに、偏見で、差別的に扱われ、個人が搾取されている場合ではないか
  7. 本人の意志と尊厳を尊重した上で、立場が入れ替りえる構造があるなら、「性の商品化」が必ずしもダメということにはならないのではないか

です。

性的フックか多様性の表象か

具体的に見ていきます。質問をいただいた出版社が想定していたのは、例えばこんなCMです。

初期のものはYoutubeにしか残っておらず。

最近のものはメーカーの公式サイトで。

たしかに、CMは洗濯用洗剤の購買主体マジョリティーとしての「主婦」への訴求手段として「イケメン」を意図して起用しています。
“イケメン5人”のCMで主婦の心を奪った花王「アタックZERO」、日経Xトレンド)


と同時に、CMは一人暮らしの増加など洗濯を含む家事労働主体(≒購買主体)の多様化を意識した表現でもあります。
狙いは“洗濯男子”? 衣料用洗剤CMの変遷に見る男性タレントの起用理由、ORICON NEWS)


これがサンプル素材に関する情報です(本来は当事者への直接取材による1次情報が原則ですが、今コラムでは2次情報でお許しください)。

性の商品化、性的モノ化、モノ化

続いて、今回のキー概念となる「性の商品化」とはなんでしょうか。

性的モノ化(sexual objectification、性的客体化・物象化)は第二波フェミニズムの中心的 キーワードの一つである。売買春、ポルノグラフィー、レイプ、セクシュアルハラスメントなどの社会的問題を論じる際には必ずといってよいほど登場する概念である。のみならず、商業広告、美人コンテストやレースクィーン、女性のルックスの過剰な重視、社会的関係における美しくない女性の冷遇などを批判する文脈でも問題にされる。国内では1990年代に「性の商品化」が盛んに議論されたが、商品化とは女性のセクシュアリティがモノ化されたのちに、さらに市場で流通するという現象であって、性的モノ化の方が論理的に先行すると思われる。

江口聡, 性的モノ化と性の倫理学,2006

そこで、商品化に「論理的に先行する」モノ化そのもの、モノ化一般に注目してみます。

「モノ化」objectification におけるobject が、「対象」であるのか、「物体」であるのかの区別も明確ではない。以下のようにobjectが対象あるいは目的語であることを示唆するような文章も存在する。

“Men fuck Women. Subject verb object. Period.” (MacKinnon,1989, p.124)

江口聡,「性的モノ化」再訪, 2018

Sは誰? Oは誰?

英語の授業で「SVO構文」という考え方を習いました。
前段の英文は、米国のフェミニスト、C・マッキノンの有名かつ強烈なSVOです。
誰が、する、誰に。
主語、動詞、目的語。
ここで「区別が明確でない」とされた「O」の多義性にむしろ可能性が見いだせないかと考えました。

objectは、目的格であり、対象であり、モノであり、そして異議申し立て、です。

女性を「受け身の客体」objectとしてだけ扱う「モノ化」objectificationは問題です。
ただ、先般見たCMのように、男性「見られる対象」objectになります。
男性性がobject化して社会に流通しているので、原理的には「性の商品化」になります。

この時に、「男性は別にいいのでは」との意見があります。 これについては

今まで炎上CMでは主に女性が抑圧され、しいたげられていることや、性的に消費されることが問題とされてきた。しかし、日本においてその逆、男性が被害者になることに対して鈍感な場合が多いように思う。瀬治山(2020)は男性差別を描くCMについて権力を握っている側の男性を差別したりからかったりすることは「自虐ネタ」として成立し、ある程度許容されると主張するが、社会における男女平等が進んでいくにつれてその構造は崩れていく可能性は十分にある。

正路歌,日本のテレビCMにおけるジェンダー表現,2022
これは学部生の卒論ですが、指導教官の東京都立大・水越康介教授(マーケティング論)ゼミHPにて公開されています。県内の大学も学部生レベルから成果をもっともオープンにすればいいのではと思っています。

という考え方があります。

これを「男だってつらいんだ」という女性の被害・被抑圧の相対化としては読まないでください。
そうではなく入れ替え可能性に開かれていることを示す意図です。
それは欲望的視線の一方的で固定的な性質を解体するからです。

さきほど「原理的には」と言いましたが、それは

I gaze you. I gaze them. I gaze myself.

の代名詞に、あらゆる立場の人が入りるということです。Sにも、Oにも。
例えば女性がSになること、男性がOになりえることのポジティブな面の探索です。
双方向的で公平なobjectificationを是とすることで、既存の秩序の脱構築を図る試みです。

逆にもし、SがOに対して一方的にずっと、対象objectであることを強いるなら、それには強く異議申し立てをする。Sがいかなる立場の人だろうと、です。
誰が? モノobject化された個人が、それに連なる個人が、つまりは社会が、です。
objectにはその力が内在しています。

手段と同時に目的として

一方的に人をobjectに扱うことを強く戒めた言葉として、思う浮かぶのはこれです。

汝の人格と他者の人格の内なる人間性を、手段としてのみではなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ

E・カント『実践理性批判』

資本主義の現代において、人間自身の手段化、非人間化(疎外)は避けられません、残念ながら。
ただし、「常に同時に目的として扱う」、ここが大事なんだと思います。

特に広告では、不可避的に人間を手段として、対象として、鑑賞物として使用している部分があります。
ただし、「常に同時に」本人の自由意志と同意と尊厳が伴い、一個の人格として、その人自体を目的(end=到達点)として接すべし。
カントの箴言を、そう理解しています(もちろん自由意志とはそもそもなにか、一切の強制性を排除した純粋な同意など存在するのか、という問いがありることは承知しています。それはまたいつか別の機会に)。

性的資産を抑圧しない

また、Oと入れ替わるS、subjectの観点からは、性的客体化としてではなく、むしろ性的主体として振る舞う資質・資産をナレッジ・キャピタル(知的資産)やソーシャル・キャピタル(社会関係資本)などと並立する、エロティック・キャピタルとしポジティブに扱う考え方あります。
性的なもの、性的化されたもの一切を認めないということがあれば、むしろその方が抑圧的なのではないか、と。

凡庸な結論とともに

というわけで、出版社の質問に極私的に回答するなら

✐ CMはこれまで多くの場合女性を「性の商品化」してきました。
今、時には男性が「性の商品化」されていることも確かにあります。
ただし、大事なのは単なる手段ではなく目的として、人格への尊重が含まれているかどうか。
固定的な単なるモノ化には社会で声を上げ、変えていくべきだと思います。

 

結論はすごく凡庸です。

こんな凡庸で当たり前なことについて、ジェンダーについて、誰もが構えることなく気軽に話せるようになればいいなと思っています。
その話し合える環境自体が、ジェンダー不平等の解消に寄与すると思っているからです。
ただし、気軽に話すことと、ふざけた口調で、あるいは無責任に話す(投稿する)ことは違います。
そこを切り分けた話法を考えたのですが、編み出すまでにはいたらず。
ベタなカタい話法になってしまいました。

違った立場の誰かが、たてヨコラムでこの話題を引き継いでくれる中で、そんな話法(mode)が生まれてくれればいいなと思っています。

文脈共有的なイシューでもあり、リアルでならもう少し踏み込んだ話ができるのでは、と思っています。BLAST NIGHTなどでどうぞお声掛けください。

最後に今後、BLAST NIGHTでこんな場面があれば、一緒にobjectしましょう。とても好きなCMです。

ABOUT ME
秀野 太俊
3年間の愛南町赴任を経て、2022年4月から再び松山市勤務。記者(ライター)職のままですが、所属が編集局から営業局になりました。種々の問い合わせ随時受け付け中です。
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