はじめまして!Z世代だと言いたいけどギリギリ言えないお年頃の田村裕太郎と申します。
突然ですが、私は今はひとりで山奥で暮らしています。
(ポツンと一軒家をみるような軽い気持ちで読んでいただけたら嬉しいです!)
さっそく捜索開始!
ここは愛媛が誇る石鎚山の麓、旧大保木村の一部です。山全体で150人弱、私の住んでいる小さい集落には3人しかいません。
我が家周辺
お!家けっこうあるやん!と、私も最初は思ったのですが、ほとんどボロボロの空き家なんです。その中で奇跡的に生き残っていたお家に住まわせてもらっています。
もちろん獣の方がたくさんいます。猿は果物をとっていくし、夜は鹿がピーピー鳴くし、猪は庭を荒らすし、食べ物が出しっぱなしならネズミに食べられるし、キツネやタヌキやウサギは道に飛び出してきて轢きそうになる。。。
ゴ●●リはむしろそんなに出ない。オオゲジとかアシダカグモとかムカデの方がよくこんにちはする。
荒れ果てた放置林の中、日当たりの悪い古民家でカビとたたかう日々。梅雨に脱ぎっぱなしの服なんて放っておいたら秒で腐海。
自分が小人になったらこんな感じであろう。
沢にパイプ突っ込むのが上水道。時々水源を見に行かないとパイプが詰まって水が使えなくなる。雨が降らなければ問答無用で使えなくなる可能性も。
そしてとにかく寒い、外気温と同じ室温。大地と接続している。地球に体温奪われる。家なのに。
文章だけ見たら全然楽しくなさそう・・・
いやいや、これが最高に楽しいんです!
春は本能の赴くままに山菜とり!
夏は本能の赴くままに川遊び!
秋は本能の赴くままに木の実とり!
冬は本能の赴くままに狩猟!
炭づくり!炭治郎に負けるな!
気が向いたら薪でお風呂沸かして竈門でご飯炊いて、、、
1人ですけど太古の家族というものを想起させるような生活。
何が出ても不便でもそれが自然ならば仕方ない。
人類感じてます。
なぜ山奥へたどりついたお主
私は新潟県新潟市で育ちました。
物心ついた時にはバスケットボールと勉強に打ち込んでいて、高校生まで何の疑いもなくそれだけやっていました。
特にやりたいことや成し遂げたいことはなく、成果が出ればみんなから認められるのでやっていたと思います。
それはそれで楽しかったのですが、そこに意志はあるんか?と聞かれたらうーん。
大学に入ってからはちょっと変わりました。
これまではほぼ惰性で続けてきたバスケットボールも、大学の部活動で全力投球していたら好きで堪らなくなってきました。
自然がすごく好きで、奥多摩に修行しに行ったり、自転車で東京⇨新潟⇨香川の旅をしたり、人口360人くらいの島で1ヶ月生活したり。人間の幸せってここにあるやん、なんて思ったり。
しかしいざ就活!となったときに私は思考停止しました。
仕事は仕事でしょって。完全に考えるのやめてました。
いやいや、そこでちゃんと自分と向き合って、何に喜びを感じるのか見つけて、みんな羽ばたいていくわけでしょ。という声がどこからともなく聞こえます。。。
ただの怠惰な人間です。本当にどうもありがとうございました。
世の中の、就活や仕事とはこういうものだ、というイメージだけを深掘りせず脳にぶち込んで仕事はなんとなくで決め、なんとなく働き始めました。
そして働き始めた瞬間気づきました。あかん、やったらあかんことやってもうた。
とりあえず世間一般でよしとされてる方向に向かう癖がついていたので、やりたいこと、面白いこと、居心地がいいところを見つけ始めていたのに、その声を無視して進んでもうた。
働く前に気づけよ当時の私!
そして入社後、配属されてから1ヶ月くらいしか経ってないのに上長に辞めたいと伝えました。
辞めたいです・・・
はやいな・・・笑
おっしゃる通りや。。。そっちじゃないだろ馬鹿野郎。間違ったとしてもすでに戦場にいるんだからまずはそこで頑張れよ小童が。
紆余曲折あって結局もう少し仕事を続けることにしましたが、それでも仕事に本気で取り組むことはできなかったです。当然色んなミスをして各所からボコられて凹んでみせる。
甘ったれですがもうここではどうしたらいいか分からなくなっていたので、全く違う世界に飛び込もうと考えました。
全く違う世界って色々考えて、大学時代から興味をもって接していて、いつかは行きたいと思っていた限界集落に今行って働くんだと思いました。
そこなら自分でも役に立てるかもしれない。
色々抜け出して人類の原点のような生活がしてみたい。
そんな気持ちでした。
側からみたら不思議な動きだったと思います。誰も知り合いがいないところに移住するという大きな決断ができるならまずその場で頑張ってみることだってできるのでは?と思いますが、勝手に自分で自分を追い詰めてできないふりしていました。人生最大の怠慢です。
とはいえ新天地を探し始めていたので、縁あって、愛媛の山奥でキャンプ場の引き継ぎ手を探しているという募集を紹介していただき、すぐに連絡しました。
何度か現地に足を運んで関係者の方々に認めていただいて、キャンプ場でやっていくことを決めました。結局会社には丸一年間迷惑をかけ続けて退職。ほぼリセットボタン押すような気持ちでした。
しかしありがたいことに移住する前の2週間は毎日、会社の同期や大先輩、バスケのクラブチームや大学の部活など属しているあらゆるコミュニティの皆様に送別会を開いていただけました。
最後の1ヶ月くらいはなんだかんだ仕事もちょっとはするようになって評価していただけました。
腐っていたのは仕事に向き合う自分の姿勢だけで、みんな温かかったことにようやく気づきました。
多大な迷惑かけた分、今度こそちゃんと頑張って世の中にいいものを返そうと思いました。
現在のおしごと
あれから2年半程経ちました。
無事に会社を立ち上げて、キャンプ場「石鎚ふれあいの里」を引き継ぎ、どうにかこうにか運営しております。
そして地域に古民家を借りて山暮らしを楽しみつつ、暮らしをちょっと切り出して仕事に。地域の方々に教わりながら原木椎茸・乾燥タケノコの生産販売、空き家活用、学生向けの集落体験などできそうなことを少しずつやっています。最近では養蜂にもチャレンジしています。
そして今冬には自分が最もやりたかったこども向けのキャンプを開催予定です!自分の山パワーは高まり、協力していただける仲間が増えて、社会も落ち着いてきた今がチャンス!
こどもが温かい環境で自由に遊べる2泊3日のキャンプです。
詳細はこちらをご覧いただけると嬉しいです!
よくない失敗をしてきた自分だからこそ、丁寧にこどもに寄り添ったキャンプを作ることができると思っています。こどもにはすごく好かれるんです!
本当はこのキャンプについて事細かに書く予定でしたが、すでにNOTEにたくさん書いてしまったことと、参加者が集まったことで予定変更。
いい機会と思い、思いっきり弱いところに光を当てて自分に向けて書いてみました。すみません・・・
このあたりの話はなんで山奥にいるんですか?と聞かれてもややこしいのであまり話さないです。自然が〜とか集落が〜都会が合わなくて〜うまくいかなくて〜とか言ってます。どれも本当なんだろうけど振り返れば振り返るほどそんなに単純じゃなくて色々なことが絡み合っている気がします。
たてヨコメンバーやこれまでお会いした経営者の方々は遠回りをすることはあっても止まることはなく、その時々で自分がやるべきことをしっかりやって歩みを進めていて本当に尊敬いたします。
こんな失敗をしてもなお、ちゃんと歩けている気がしない私ですが、ここでは逃げずに頑張っていこうと思っています!
主な生息地
石鎚ふれあいの里とその周辺の山々です。
時々食料と温泉を求めて山から降りてきます。
最近は積極的にまちに赴くようにしているので、どこかで↓を見つけたらお声掛けいただけると嬉しいです!
ここまで全く紹介しませんでしたが、キャンプ場「石鎚ふれあいの里」もぜひご利用いただけると嬉しいです!
ご友人や家族との行楽や、各コミュニティでのイベントや研修・合宿などの会場としてお役に立てるかと思います!
こちらの山の方の事情にご興味ある方がいたらいつでもお声掛けくださいませ!
拙い文章ですがここまで読んでいただき本当にありがとうございます!