井の中の蛙。
今更の説明ではあるが、中国の荘子の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」(井戸の中にいる蛙はずっと狭い世界しか見たことがなく海を見たことがないため、視野が狭くありきたりの知識しかない)という、どちらかと言うとネガティブな記述から始まる。
「このことわざには続きがある!」( ・`ω・´)キリッ
と聞いたことはないだろうか?
だが、実は本当に続きがあるのではなく、後の日本人がこのネガティブことわざを奇跡的にポジティブ化させると言う荒技を繰りだし生み出した「続き」が下記である。
井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知る。
他、亜種としては「空の蒼さを知る」や「天の高さを知る」とする場合もある。
荘子からすると「そーじゃねーよ! ぺこぱかよっ!」って突っ込みたくなるのは間違いない。当の井戸の中に居る「蛙」すらも若干複雑な気分になったに違いない。
蛙の人生
私は正直言って、どう考えてもこのことわざでは「蛙」の人生は語れまいと思うのだ。
とあるタイミングの「蛙」の状態を切り取っただけであり、実際には時間軸が存在する。
きっと、過去、未来において、蛙にも蛙社会における事情があったはずだ。
私達にもそれぞれ複雑な事情があるようにだ。
そもそも、この蛙は何故に井戸の中にいるのだろうか?
井戸の出口まで出て行く体力を持っていなかった?
大切な伴侶、家族が井戸の中にいた?
外にでて捕食されるリスクより、井戸の中のほうが安全と判断したとか?
きっとその心中複雑な「蛙」の取り巻く行動の可能性を紐解いてみると、新しい私達の視点も見えてくるのではないかと期待を込めて分析してみた。
人生の分岐
蛙を取り巻く行動の可能性。つまり、蛙の人生における分岐を紐解くと下記の要素を見いだせる。
・「井戸の中に留まった」or「外界に出た」
・「能動的に」or「受動的に」
・「自発的に」or 「他動的に」
となるかなと考えた。
そしてこれをパターンとして展開したのが下記。
行動パターンとしては8種。
これを元に展開すると彼らはこんな感じかと。
1)井の中に居たくて、井の中に居続けた「蛙A」
2)井の中に居たくて、井の中に居させてもらった「蛙B」
3)井の中に居たかったけど、外界に出た「蛙C」
4)井の中に居たかったけど、外海に出ざるを得なかった「蛙D」
5)井の中から出たかったけど、井の中に居続けた「蛙E」
6)井の中から出たかったけど、井の中に居ざるをえなかった「蛙F」
7)井の中から出たくて、外界に出た「蛙G」
8)井の中から出たくて、外界に出させてもらえた「蛙H」
ただ、それぞれに様々な事情を抱えることを考えると、分岐は8パターンなれどその実情はきっと、18歳の愛媛人口と同じ1万2千パターンはあるのではないかと言える気がしてくる。
こうなってくると次に気になるのは、このそれぞれの蛙さんたちはそれぞれ外界のこと、そして、自分の現状についてどう思うのだろうか?と言う点。
いつものお得意妄想をしてみる。(デザイナーの職能!と言い切っておこう)
妄想中♡
1)井の中に居たくて、井の中に居続けた「蛙A」さん
俺さ、なんとなく外に行く理由もないし、友達も井の中に結構残ってるから楽しいケロよ。
外界については、そりゃ都会とかも楽しそうケロだけど、うるさいし人多いの嫌いケロなのよね。
2)井の中に居たくて、井の中に居させてもらった「蛙B」さん
私はもともと外に行きたくなかったんだケロ。井戸の中って親居るから楽だしケロ。
外界については、旅行とかで行けば良いし、井戸の中の方が住みやすいケロよね。
3)井の中に居たかったけど、外界に出た「蛙C」さん
結局さ、いとこや兄弟も外にいったから、なんとなく出たかな。井の中好きなんだケロね。
外界はそれなりケロね。でも住むなら井の中に戻りたい気持ちもあるケロ。
4)井の中に居たかったけど、外海に出ざるを得なかった「蛙D」さん
自分としては、自分の夢を実現するには、井戸の中だと無理なんでしょうがなく外にでた感じでケロ。
外界は外界で面白いケロ、やっぱり井戸の中の方がいいよ。みんな優しいケロよ。
5)井の中から出たかったけど、井の中に居続けた「蛙E」さん
僕は、井の中ってジメジメするから、外にでたら気持ちいいかなって思うよ。なんか楽しそうだしケロ。
でも、結局井の中が一番。井の中友達も多いしケロ。
6)井の中から出たかったけど、井の中に居ざるをえなかった「蛙F」さん
俺っちさ、本当は出たかったんだけど、家庭的な事情もあって、出て行けなかったケロよ。
今でも外に出てみたいって思うよ。でも色んな事情で簡単には行けないケロよ。
7)井の中から出たくて、外界に出た「蛙G」さん
絶対に手足生えたら、マジ外に出る気だったし、出るための準備とか結構頑張ったケロ。
やっぱ外界は良いよ。井の中かにないものも多いし、なにより他の蛙がおおいから刺激になるケロね。
8)井の中から出たくて、外界に出させてもらえた「蛙H」さん
はじめは家族も渋ってたけど、最終的には説得して出てきたケロ。
外界でこのまま生活したいケロ、井の中の親も気になるんだケロよね。生活が外界になってるから迷うケロ~。
さて、皆さんはどのタイプの蛙だろうか?
愛媛は快適な井戸
友人や知人の顔を重ねながら、それぞれの事情を妄想する。
たてヨコ愛媛のメンバーは国内外から参加してると思うので、どちらかと言うと「外にでた蛙」がマジョリティーではないかと思う。かくいう私は「蛙G」で有りながら、帰媛して3年半が過ぎた。
何処に住んでいても蛙の子は蛙。
蛙にもそれぞれ事情があっただろうことは解ってきた。
ただ、この井の中のコミュニティに属していると蛙の違いも見えてきたりする。
・井の中で毎日を生きる蛙
・井の中でチャレンジする蛙
・一度外界を知って井の中をよくしたい蛙
・別の井戸から来てるのにここの井戸を好きになってくれた蛙
・外界から今もこの井戸を気に掛けてくれる蛙
もちろんここにとても書けないネガティブ属性の蛙も、実はかなり多く存在する。
むしろよく見かける印象だ。そういう蛙とは少しづつ距離を取るようにしてたりする。
愛媛県は世界的に見ても素晴らしく快適で暮らしやすい「井戸」だと実感している。
なにも外界に出ずとも経済は回り、そこそこモノも買え。そこそこ流行のコトも少し遅れてでも入ってくる。
井の中の蛙を甘んじて全面的に受け入れてくると、不満、不平、不思議と言った「3不」は発生しにくい。
イノベーションのタネである「3不」が少ないと言うことは、ここがが住みやすい街というアンケート結果が出てることでも証明されてると言える。そう、きっとそういうことなんだろう。
ヘビに睨まれた蛙の如く
ただ、私個人としては愛媛に移住する前から一定の不安というか、恐怖心を抱いていたりする。
「一体私の外界にでて身につけた思考はいつまで脳内に存在するのか?」
実は、蛙はあんなつぶらな瞳をしていながら視力が悪い。動体以外はほぼ見えてない。彼らの環世界においては動かないものは完全なる「無」となり認知することも存在することすら無い。きっと何十年というこれからの時間の中で、私も例外なく頭上の穴を眺めて「空」や「天」の変化に鈍感に成っていくのだろう。
果たしていつまで「空」や「天」をきちんと意識し、認知し続けられるだろうか。
今一度、自分に問うてみる。
さあ、私はどんな蛙になるのだろうか。
それぞれの蛙の時間軸上には未来がまだある。
様々な事情があるにせよ、変わること、変わらぬこともまだ選べる。
ただ、蛙達がその井戸から所詮外界に出たとて「地球」という名の井戸の底にしがみついてることは間違いない。宇宙も、海底も。何処まで行っても「外界を見たい」とい興味こそがその世界を拡げるのなら、置かれた状況の中で精一杯外界に興味を持ち続けていたいものだと私は思う。
私も井の中の蛙。
されど、まだ知らぬ世界に興味を馳せ続けるケロ。