先日友人が、自分は何者か?と悩んでおりました。かく言う私も、そんなお年頃だったりします。
自分は何者か?という問い
この問いは、単に自分の特徴を表現したいのではなく、何をもって社会に貢献できるのか、という自分の存在意義のようなものに通じていて、仕事に深く関わる問いだと思います。
仮に、「あなたはスパイス臭のするスニーカーで、キレキレダンスを踊る読書家です」と言われても、そういうことじゃない、と彼は言うでしょう。
こうした悩みは、よく30~40代のあるあるとして扱われますが、私は時代とともに少し事情が変わってきているような気がしています。これからの時代を生きる私たちは、この問いと向き合う機会がより増えるのではないかと思うのです。
仕事が存在意義になり得た時代から…
これまでは、「働くことで社会が豊かになる」そう信じられる時代だったのではないかと思います。だから仕事にやりがいもあったし、残業してでも仕事を頑張れたのではないでしょうか。私自身はその時代に生きていないので本当のところはわかりません。しかし、今の時代のビジネスに対する違和感からそう想像してしまいます。違和感ビジネスの具体例はさておき、例えば「会社の利益=社会の役に立っている」という考え方への同意は、世代間で大きな差がある気がします。
変わりつつある仕事の意味
ロボットやAIの登場で多くの仕事が失われてしまう、と心配する声があります。しかし、何も知らない子供は、「ロボットが人間の仕事をしてくれたら、人間は遊べるね」と考えると思います。それでも私たちは、何かの仕事をしないといけない。だから焦る。今日、仕事をするための仕事になりつつあるのではないでしょうか。
そんな時代だから、これからは仕事の意味が変わるのだろうと思います。具体的には、仕事そのものが楽しい行為になっていくのだと思います。人々の生活レベルが飽和しつつあり、社会をより良くできる仕事は減ってきている。そんな中で自分を犠牲にして仕事をしても、自分を納得させるほどの合理性や精神的なリターンは得られ難いと思います。だから自分のために仕事をしなければならない。
実際、増加する転職はその可能性を示していると思います。終身雇用の崩壊という文脈で語られることが多い転職ですが、正直、定年前に職を失うという危機感から転職する人は多くないと思います。それよりも、いろんなことをやってみたい、こんなことできるようになりたい、といった自己実現(自分のため)の転職が増えていると思います。
仕事を楽しむ
仕事が楽しい、なんてのはキレイ事のようにも思えます。しかし、仮にすべての仕事をロボットが行い、人間が何もしなくてもいい世界を想像したらどうでしょうか。そんな世界は退屈で嫌だと思います。では、そのとき自分は何をしたいか。それが自分が楽しめる仕事のヒントなんじゃないかなと思います。
そう、サラリーマン集団Playfulの活動こそ、未来の仕事の姿なのかもしれません。