Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

「諸君、狂いたまえ」〜ただの会社員が起業し、狂った挑戦に身を投じるまで〜

たてヨコのみなさま、初めまして!

NEOSIS株式会社の代表、菊池修士(キクチシュウジ)と申します。

生まれも育ちも愛媛で、八幡浜のみかん農家の長男として生まれました。
2歳上の姉と、5歳下の弟がいます。

今年から、たてヨコ愛媛にも本格的に参加させていただいています。

今回は私について、ゆるりと?お話させていただきます。

※今夏、長男と瓶ヶ森に登山しました

「諸君、狂いたまえ」

吉田松陰の思想を表す言葉として知られる、この一節があります。

ここでいう「狂う」とは、ただ奇抜なことをする、という意味ではないと思っています。

頭で考えるばかりで、行動しない自分をやめること。
世間の正解や、他人の期待や、なんとなく安全そうに見える道ではなく、自分の奥底にある熱量に従って進むこと。

私にとって、この言葉はかなり切実です。

なぜなら私は、40歳を過ぎるまでずっと、

「いつか起業したい」

と言い続けていた人間だったからです。

しかも、かなり長い期間言っていました。
もはや「いつか起業したい職人」と言ってもいいくらいです。

“いつか”という言葉は、とても便利です。

何もしていなくても、少し前向きな人間に見えます。
現状維持していても、心の中では挑戦者でいられます。
居酒屋で語れば、それなりに格好もつきます。

ただ、実際には私にとっての“いつか”は、行動しない自分を許すための高性能な言い訳でした。

起業したい。
でも、リスクを背負うのは怖い。
自分なんて、社長になる器でもない気がする。
そもそも、何で起業したいのかもよく分からない。

そんな状態で、ずっと会社員をしていました。

履歴書だけ見れば、それなりに順調だったと思います。

インフラエンジニアとしてキャリアを始め、IT企業でインサイドセールスを経験し、マネージャーにもなり、IPOも経験しました。
その後、Web広告代理店でWebマーケを学び、事業会社でマーケティング責任者にもなりました。

今はコーチングを学んでいて、プロコーチも目指しています。

でも、自分の中にはずっと違和感がありました。

自分は何をしたいのか。
自分は何者なのか。
どんなことで本当に価値を出せる人間なのか。

社会の中で求められる役割は、ある程度こなせる。
でも、自分の中心がどこにあるのかは、ずっと分からない。

そんな感覚がありました。

みかん山と線路とドラクエ5

私は八幡浜の山の上で育ちました。家の周りにはみかん畑が広がっていて、小学校までは子どもの足で片道1時間くらいかかっていました。

当時を振り返ると、よく毎日そんな距離を歩いていたなぁと思います。

通学路の途中には川があって、夏はそこで涼みながら帰っていました。草をちぎって笛にして遊んだり、道端にあるものを拾っては、これは何に使えるのかと考えたり。近くに同い年の友達があまりいなかったこともあって、ひとりで考える時間が多い子どもだった気がします。

ただ、考える内容は少し変でした。

通学路の途中に線路があり、よくそこで遊んでいました。もちろん、親にも先生にもバレて注意されましたが、それでも遊んでいました。

そこで何をしていたかというと、レールに石を打ち付けて火花を起こして遊んだり、「どのくらい大きな石をレールに置いたら、電車は転覆するんだろう?」と妄想したりしていました。

念のため、強く言っておきます。線路に石を置いてはいけません。私は実際にレールの上に石を置いたわけではなく、小さい石をレールから離れたところにそっと置いて、「いや、これはさすがに違うか」と一人で考えていたくらいです。

今思えば、なかなか危ない方向に好奇心が伸びていた少年だったと思います。でも、電車を転覆させたいという悪意があったわけではなく、単純に「どうなったらそうなるんだろう?」という疑問があっただけでした。子どもの好奇心というのは、時に本当に危ないです。

あと、初めて買ってもらったゲームソフトはドラクエ5でした。

私はそのゲームで、メタルキングを倒し続け、3ヶ月くらいかけてレベル99まで上げました。今考えると、なかなか地味です。しかも、かなり時間がかかっています。

でも当時は、ただひたすら楽しかったんです。

どうすればメタルキングを倒せるのかを考えていたら、当時の私は「パルプンテを使って運ゲーで倒す」という手法に行き着きました。今思えば、効率はめちゃくちゃ悪かったと思います。

できることなら、当時の自分にそっと教えてあげたいです。

「“ひとしこのみ”という裏技があるよ」と。

※ひとしこのみ・・・特定のアイテムを持っている状態だと、会心率、モンスターが仲間になる確率が100%になるチート技。メタル系も一撃で倒せる。

※引用:8bitter on X

農家の長男としての後ろめたさ

そんなふうに、みかん山で自由に育っていた私ですが、一方で「みかん農家の長男」として生まれたことには、少し複雑な感覚もありました。

家業がある家に生まれると、明確に言われなくても、なんとなく空気で感じるものがあります。

「将来は継ぐのかな」
「長男だし、そういうものなのかな」
「親もどこかで期待しているのかな」

親から明確に強制されたわけではありません。少なくとも、私の記憶では「絶対に継げ」と言われたことはなかったと思います。

ただ、子どもながらに、なんとなく分かっていました。

自分はたぶん、期待されている方向には進まないんだろうな、と。

正直に言うと、当時の私は農業に面白みを感じられませんでした。毎日毎日同じことの繰り返し。みかんをハサミで切ってはかごに入れ、溜まったらコンテナに移し替える。只管それを繰り返します。

子供の頃からそんな手伝いをさせられていて、折角の休みの日に、ドラクエをして遊びたいのに、親から「みかん採り手伝え!」という言葉を聞くのも嫌でした。寝たフリをしてやり過ごしたこともあります。

今なら、農業の大変さも、自然を相手にする難しさも、続けることのすごさも、以前よりずっと分かります。そんな地道な努力を何年も続けてきた父親のことも、心から尊敬しています。

でも子どもの頃の私には、みかん畑での作業が、どうしても単純作業の繰り返しのように見えていました。

たぶん、親が聞いたら少し寂しい話だと思います。今こうして書いていても、少し申し訳なさがあります。

ただ、その頃の私は、自分が農業を継いでいる未来をどうしても想像できませんでした。

かといって、「じゃあ自分は何がしたいのか」と聞かれても、特に答えはありません。

ここが非常に厄介です。

継ぎたいわけではない。
でも、やりたいことがあるわけでもない。

親の期待に応えられないことは、うすうす分かっている。でも、自分が何に向いていて、どんなことで価値を出せる人間なのかも分からない。

今思うと、この「分からなさ」はかなり長く自分の中に残っていました。

高校生の頃も、大学生の頃も、就職する時も、どこかでずっと同じ問いがありました。

自分は、何をすればいいんだろう。

ただ、当時はそんなことを深く言語化できるわけもありません。とりあえず目の前の選択肢を選び、とりあえず進学し、とりあえず就職していく。

「とりあえず」という言葉は便利です。

“いつか”と同じくらい便利です。

便利な言葉ばかり使っていると、人生はそれなりに前に進んでいるように見えます。でも、どこに向かっているのかは、実はあまり分かっていない。

私の場合、まさにそんな感じでした。

みかん農家の長男として生まれたけれど、農業を継ぐ自分は想像できない。でも、別の道で何をしたいのかも分からない。

この後ろめたさと曖昧さを抱えたまま、私は大学へ進み、社会人になっていきました。

会社員として適応しすぎた時間

大学は松山大学に進みました。

正直に言うと、当時から「これがやりたい」という明確なものがあったわけではありません。大学時代にブログを書くことにハマっていたので、なんとなくIT業界に興味を持ち、インフラエンジニアとして社会人生活をスタートしました。

今思えば、かなり“なんとなく”で人生の大きな選択をしています。

ただ、なんとなくで入ったわりには、ITの世界は肌に合っていたのだと思います。サーバーやネットワークの仕組みを覚えたり、障害の原因を探したりするのは、性格的には向いていました。

その後、IT企業でインサイドセールスに転職し、マネージャーも経験しました。IPOも経験しました。その後はWeb広告代理店でWebマーケティングを学び、事業会社でマーケティング責任者も務めました。

こう書くと、わりと順調そうに見えるかもしれません。

実際、ありがたいことに、いろいろな経験をさせてもらいました。営業、マネジメント、マーケティング、事業づくり。今の自分の土台になっているものも多いです。

ただ、その一方で、会社員時代にはかなりしんどい時期もありました。

特にきつかったのは、ある上司と働いた3年間です。

指示に従わないと、2時間の説教。報告書の数字が少しでも違っていたり、その理由に矛盾があったりすると、そこからまた説教が始まる。完璧主義で、細かい。そして、部下に仕事を任せた時間で、自分は趣味やブログのネットサーフィンをしている。

なかなかパンチの効いた上司でした。(今だったら、確実にパワハラで訴えます!)

当時の私は、それでも耐えていました。

仕事とはそういうものだ。会社とはそういうものだ。上司とはそういうものだ。そう思おうとしていました。

でも今振り返ると、あの時間は、自分の判断基準を少しずつ他人に預けていく時間でもあったように思います。

怒られないように動く。間違えないように動く。自分がどうしたいかより、相手が何を正解とするかを探す。

もちろん、組織で働く以上、相手に合わせることは必要です。報告も、確認も、期待値調整も大事です。そこから学んだこともたくさんあります。

ただ、合わせすぎると、自分の内側の声はだんだん小さくなります。

本当はどうしたいのか。
何に違和感があるのか。
どこまでなら受け入れられて、どこからは違うのか。

そういう感覚が、少しずつ鈍っていく。

当時の私は、それに気づいていませんでした。むしろ、うまく適応できることを「成長」だと思っていたかもしれません。

社会人としては、それなりに前に進んでいる。役割も増えている。できることも増えている。

でも、自分の中にはずっと違和感がありました。

自分は何をしたいのか。
自分は何者なのか。
どんなことで本当に価値を出せる人間なのか。

その問いには、なかなか答えが出ませんでした。

そして気づけば、私はまた便利な言葉を使うようになっていました。

「いつか起業したい」

言うだけなら、無料です。しかも、ちょっと前向きに聞こえます。

でも実際には、起業したいと言いながら、リスクを背負うのは怖い。自分は社長になる器ではない気がする。そもそも、何で起業したいのかもよく分からない。

そんな状態が、ずっと続いていました。

今思うと、会社員としての経験は、私に多くの武器をくれました。

IT、営業、マーケティング、マネジメント、事業を見る視点。

でも同時に、自分の中にあった変な熱量や、言語化できない好奇心を、かなり長い間しまい込んでいた気もします。

ちゃんと働く。
期待に応える。
怒られないようにする。
評価されるように動く。

そうやって社会に適応しているうちに、自分が本当は何に狂いたかったのか、分からなくなっていたのだと思います。

人は、あっという間に死ぬ。そして、“いつか”は残酷に過ぎていく

そんなふうに、「いつか起業したい」と言いながら会社員を続けていた私にとって、大きな転機になったのが2024年の義母の死でした。

義母は夏ごろから体調を崩し、家のソファーで横になっている時間が増えていました。最初は、少し体調が悪いのかな、くらいに思っていました。でもある日、状態が悪化して病院へ行き、そのまま緊急入院することになりました。そして、1ヶ月後に亡くなりました。

あまりにも、あっという間でした。

人は、こんなに急にいなくなるのかと思いました。

もちろん、頭では分かっていたつもりです。人はいつか死ぬ。人生には限りがある。そんなことは、誰でも知っています。でも、知識として知っていることと、目の前でそれを突きつけられることは、まったく違いました。

その時、かなり強く思いました。

自分は今、40歳を過ぎている。このままだと、50歳になってもまだ「いつか起業したい」と言っているかもしれない。そして、その“いつか”が来る前に、人生が終わることも普通にある。

それはそれは、なかなか怖い気づきでした。

それまでの私は、「いつか」という言葉の中に、まだ時間がたくさん残っている前提を置いていました。

いつか起業する。いつか本気を出す。いつか自分に合ったことを見つける。いつか人生の主導権を取り戻す。

でも、その“いつか”が、本当に来る保証はどこにもありませんでした。

そう考えた時に、今まで便利に使っていた「いつか起業したい」という言葉が、急にかなり薄っぺらく感じました。

これは夢ではなく、ただの先延ばしではないか。

そう思いました。

そこから、起業に向けて具体的に動き始めました。そして2024年3月、会社を設立しました。

とはいえ、映画の主人公のように、急に覚醒してすべてがうまくいったわけではありません。むしろ、最初はかなり手探りでした。

起業直後は、キャリアコーチングや転職支援で事業を始めました。ありがたいことに、某転職系YouTuberの方とコラボする機会もあり、そこから収入も生まれました。

「お、これはいけるのでは」と思いました。

思いましたが、2ヶ月ほどでその契約は終了しました。

起業、そんなに甘くない。

知っていたつもりでしたが、ちゃんと甘くありませんでした。

そして会社設立の翌月、2024年4月に私はMindSet Coaching Academy、通称MCAに10期生として入りました。もともとはキャリアコーチングを事業の柱にしたいと思っていたので、プロコーチとしての力を身につけたいと考えていました。

ただ、MCAで学んでいくうちに、コーチングというものが、自分が想像していたよりもずっと深いものだと気づきました。

単に話を聞くとか、目標設定を手伝うとか、前向きな言葉をかけるとか、そういうものではありませんでした。

その人が、どんな前提で世界を見ているのか。どんな思い込みの中で、自分の可能性を狭めているのか。本当はどこに行きたいのに、なぜ今の場所にとどまっているのか。

そういう、人の内側にある見えない構造に触れていく世界でした。

正直、かなり面白かったです。

ただ、面白かったからといって、すぐにできるようになるわけではありません。

私はその時、プロコーチとして卒業することができませんでした。

これは普通に悔しかったです。

「まあ、タイミングが合わなかっただけです」と言えば、少し聞こえはいいのですが、正直に言うと、自分の実力不足を感じました。卒業後も、セッションレポートを提出して合格すれば資格がもらえる制度はありました。でも、モニターを集めることができず、いつの間にか自然消滅してしまいました。

こういう時、人は便利な言葉を使います。

「また落ち着いたらやろう」
「今は別の事業に集中しよう」
「タイミングが来たら再開しよう」

また出ました。“いつか”の親戚です。

その後、私はAIを活用した業務効率化支援やAI導入コンサルの事業を始めました。生成AIが一気に広がり始めたタイミングでもあり、企業向けにAIの活用方法を伝えたり、業務にどう組み込むかを設計したりする仕事には、かなり手応えがありました。

三福ホールディングスさんでは、AIディレクターとして10ヶ月ほど活動させていただきました。

AIコンサルは面白かったです。

経営や業務の中にあるムダを見つけ、AIで効率化する。情報を整理し、仕組みに落とし込む。これは自分の得意なことでもありました。

でも一方で、MCAでやり切れなかった感覚は、ずっと自分の中に残っていました。

人はどうすれば、本当に変わるのか。

この問いが、どうしても消えませんでした。

AIで業務は効率化できます。文章も作れる。資料も作れる。仕組みも作れる。かなり便利です。便利すぎて、たまに「人間側が追いついていないのでは」と思うくらいです。

でも、人間の側が変わらなければ、結局、同じ判断、同じ不安、同じ先延ばし、同じ人間関係のパターンを繰り返してしまうのではないか。

そんなことを考えるようになりました。

今年2月、MCAの内容が刷新されたという話を聞き、私はもう一度学び直すことを決めました。

今度こそ、プロコーチになる。

そう決めました。

私が取り戻したかったのは、資格そのものだけではありません。

一度やり切れなかった自分。モニターを集められずに自然消滅させてしまった自分。「またいつか」と言って、未完了のまま置いていた自分。

その全部を、もう一度回収しにいく感覚でした。

そして今は、コーチングとAIが、自分の中でかなり近い場所にあります。

AIは、人の思考や情報を構造化する道具です。コーチングは、人が自分の前提に気づき、現状の外側へ進むための技術です。

どちらも、表面に出ている言葉や行動だけではなく、その奥にあるパターンを見るものだと思っています。

起業したことで、“いつか”は少し壊れました。

でも、本当に自分が何に向き合いたいのか。人はどうすれば変わるのか。その問いは、まだ自分の中で動き続けていました。

夢は、ただの夢ではなかった

そんな中で、今の事業につながる大きなきっかけになったのが、ある朝に見た夢でした。

暴風雨の中、大量の魚が陸に打ち上げられている。それを見て、「可哀想だな」と傍観する夢。

※こんな夢でした!

その夢の映像が、妙に生々しかったんです。夢って、起きた瞬間は覚えていても、歯を磨いている頃にはだいたい消えていくものだと思います。でも、その夢は質感が残っていました。風の強さや、打ち上げられた魚の感じや、それを見ている自分の感情が、なぜかずっと残っていました。

最初は、ただ変な夢を見たな、くらいでした。

ただ、その夢を前日の自分の思考と照らし合わせてみると、妙につながるものがありました。

その前日の私は、AIによってビジネス環境が大きく変わっていくことや、その変化に適応できる人とできない人の差について考えていました。すると、夢の中の暴風雨は、急激に変化する市場環境のように見えました。陸に打ち上げられた魚は、その変化に対応できない下位レイヤーの存在のように見えました。そして、その魚を見て「可哀想だ」と感じていた自分の感情も、前日に考えていたことと重なっていました。

その時に、ふと思いました。

夢は、ただの意味不明な映像ではないのかもしれない。

日中に処理しきれなかった思考や感情が、睡眠中に別の形で出てきているのではないか。自分では意識していない反応や、不安や、違和感が、夢という形で表に出てきているのではないか。

そこから、AIと壁打ちを始めました。

夢とは何なのか。なぜ人は夢を見るのか。夢に出てくる映像や登場人物、その時抱く感情は、日中の記憶や思考とどうつながっているのか。

気づいたら、かなり深いところまで掘っていました。

最初は軽い興味のつもりだったのですが、1週間、2週間、自分が見た夢をAIに食わせてやり取りしていると、一貫性のある説明ができるようになり、自分でも「これ、マジで合ってるぞ・・・!ヤバいことを発見したかも知れない!」と思いました。

結論、夢とは、

「自己OSのアップデートログ」である

ということがかなり確度の高い仮説として導き出すことができました。

つまり、自分の脳というOS(オペレーティングシステム)が、明日の生存確率を上げるためのシミュレーションを睡眠中に回し、その演算結果がツギハギの映像として視覚野にログとして漏れ出している、という仮説です。
※なぜ、夢の映像やストーリーが支離滅裂なのか、などについては後述の論文をご参考下さい

AIと共同の論文「潜在レンダリング理論」の執筆に取りかかると同時に、だんだん「これはアプリにできるのでは?」と思うようになりました。毎朝、覚えている夢を音声で残す。それをAIが整理し、そこに出ている感情や反応パターンを見える形にする。そして、その日に試す行動変容につなげる。

こうして生まれたのが、NEOSISというアプリの構想です。

NEOSISは、夢を「占い」や「神秘的なメッセージ」として扱うアプリではありません。睡眠中に見る夢を、脳が処理している記憶や感情のログとして捉え、システム工学と認知科学の知見を元に、AIで構造化するアプリです。

今は、検索履歴、購買履歴、位置情報、SNSでの行動など、私たちの行動はかなりの部分がデータ化されています。でも、毎朝ほとんど消えてしまう大きなブラックボックスがあります。

それが、夢という無意識です。

夢には、その人が日中に処理しきれなかった感情や、繰り返している反応パターンが現れることがあります。もちろん、夢を見たからといって、何もかもがすべて分かるわけではありません。そこまで単純ではないと思っています。

ただ、自分の内側で起きていることを知るための素材にはなる。

私はそう考えています。

人は、頭では分かっていても、同じ反応を繰り返します。同じ不安、同じ先延ばし、同じ人間関係のパターン、同じ失敗の仕方。

なぜ、変わりたいのに変われないのか。

その理由は、自分がどんなフィルターで世界を見ているのかを、自分では見えにくいことだと思っています。自分では自然に選んでいるつもりでも、実際には過去の経験や、他人の期待、環境への適応や、セルフイメージにかなり影響されています。

だからこそ、自分の中で繰り返されているパターンを、一度外に出して見る必要がある。

夢は、そのための素材になり得るのではないか。AIは、それを構造化するための道具になり得るのではないか。

NEOSISは、そんな仮説から始まっています。

アプリは現在開発中で、2026年12月のリリースを予定しています。

そして今、

「全人類のOSをアップデートする」

という、狂った目標を立てました。

そうです。日本人でなくとも夢を見ます。

アメリカ人だろうが中国人だろうが関係ないです。

日本でアプリをリリースしたあとは、海外でもリリース予定です。

こう書くと、だいぶ怪しいですね。

でも、本人は至って真面目です。本気です。

幸いにも、こんなクレイジーな挑戦に乗ってくれる、超一流のエンジニア、PM、ビジネスプロデューサーらが続々と参画してくれています。

それは、私の狂気が周りに伝染して、惹きつけているのでは?とすら思うこともあります。

会社員時代には思いもしなかったことが、現実のものになっています。

狂うとは、自分の熱量を許可することである。

もちろん、まだ何かを成し遂げたわけではありません。アプリも開発中ですし、事業としてはこれからです。資金も、人も、時間も、何もかもが足りない。課題は山ほどあります。むしろ、冷静に考えると「大丈夫か?」と思うことの方が多いです。これから数千万円単位の借金もします。

ただ、今の私は不思議と、昔のような迷い方はしていません。

「これは自分がやることなのか?」
「自分にそんな資格があるのか?」
「失敗したらどうするのか?」

もちろん、そういう不安がゼロになったわけではありません。でも、それ以上に、自分の中から湧いてくる熱量の方が強くなりました。

たぶん、私にとって「狂う」とは、奇抜なことをすることではありません。

自分の奥にある、ずっと見ないふりをしてきた熱量を認めること。
他人の期待や、社会の正解や、「普通はこうするよね」という空気に合わせすぎて、小さくしてきた自分の欲求を、向き合って100%全力で解放すること。

それが、私にとっての「狂う」であり、正常な状態です。

むしろ、自分の感情を押し殺して、好きでもない仕事をするために電車に乗って毎朝会社に出社する。

早く週末になってほしい、もっと給料が高い会社に行きたい、やりがいのある仕事がしたい、早く老後を迎えたい。

そう思いながらも、今日と同じ明日を過ごしている。

そっちのほうが狂っていると思いませんか?

私はずっと、起業したいと言いながら動けませんでした。農家の長男としての後ろめたさもありました。会社員として適応しすぎて、自分の判断基準を他人に預けていた時期もありました。一度はプロコーチにもなれず、やり切れないまま置いてきたものもあります。

でも、そういう未完了のものを抱えたままでも、人はもう一度始められるのだと思います。

完璧に準備が整ってから始めるのではなく、どこかで腹をくくって、未完成のまま動き出す。

私の場合、それが起業であり、MCAへの再入学であり、NEOSISの開発でした。

そして今は、コーチングにも本気で向き合っています。

2026年9月現在、9月末まで有料のコーチングモニターを募集しています。

ただ、誰にでも広く届けたいというより、今の私が向き合いたい人はかなり明確です。

能力はある。
結果も出している。
周囲からも、ある程度は評価されている。

でも、どこかで周囲の期待や組織のルールに合わせすぎて、自分の人生の主導権を渡している感覚がある人。

本当はもっと行ける気がしている。自分の力で何かを成し遂げたい。
でも、自分の内なるものが何なのか、自分でもまだ言語化できていない人。

今の延長線上ではない変化が必要だと、どこかで感じている人。

そういう方と向き合ってみたいと思っています。

私自身が今まさに探究している「人が変わるメカニズム」に、一緒に向き合える方と出会いたいです。

もし少しでも惹かれるものがあれば、Facebookでつながっていただくか、私のFB固定投稿を見ていただけると嬉しいです!

また、周りに「ポテンシャルがあるのにもったいない!」という方がいれば、そっと紹介していただけるとありがたいです。

長くなりました。

八幡浜のみかん山で育ち、線路で火花を見ながら変なことを考えていた子どもが、IT、営業、マーケティング、AI、コーチングを経て、今は夢と無意識のメカニズムをAIで解き明かそうとしています。

自分で書いていても、なかなか奇運な人生だなと思います。

でも、たぶん私は昔から変わっていません。

思考実験が大好きで、世界にある未知の法則を解き明かしたい。

ただ、昔はそれをどう使えばいいのか分からなかった。
今はようやく、その使い道が明確になりました。

そんな感覚です。

たてヨコのみなさまとは、これから愛媛発でいろいろな化学反応を起こしていければ嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします!

ABOUT ME
菊池 修士
愛媛県松山市在住の40代。フリーター→インフラエンジニア、インサイドセールス、マーケティングの会社員経験を経て、2024年3月に起業しました。企業向けの業務効率化支援を行っています。複業で転職・キャリア支援を300名以上に行ったのをきっかけに、コーチングアカデミーに入学・卒業して、プロコーチも目指しています!(プロ試験に奮闘中)
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