Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイ

「改めまして中村です」

こんにちは、松山市役所で公務員をしている中村と申します。

タイトルも内容も思いつかなかったので、テイトさんの回をオマァァァァァジュしました。柳田さんに倣いつつ、リスペクトを込めてCC0テイトさんとのツーショットを貼ってみます。

思えば、全たてヨコ民が号泣し、カツオの解体に歓喜したあの日から、もう2年も経つのですね。

それでは、皆さんに倣って、私も自分の過去を遡ってみたいと思います。私は基本的にずっと普通に生きてきたタイプの人間なので、あまり大した話にはならないのですが……というより、たてヨコ愛媛の皆さんが濃すぎるんです(面白すぎて大好きです)。

「海外に住んでいましたか?」「天然ですよね」

真顔でそう言われたことが、これまでに何度もあります。生まれも育ちもずっと愛媛。海外どころか、四国からもろくに出ていません。至って普通の田舎育ちです。

自分では天然だとは、正直まったく思っていませんでした。ですが、ある日その認識がひっくり返る出来事がありました。

「世の中の天然は偽物が多すぎる。『私は天然なんです』という人ほど、天然じゃない。真の天然とは、皆から天然と言われまくって、なぜそう言われるのか自分では分からず、苦しんでいる人のことを言うのだ」

友人がそんな持論を語るのを聞いた時、天地が割れるほどの衝撃を受けました。まさに私がそれで苦しんでいたからです。その日以降、「あれだけ皆に言われるのだから、私はちょっと天然入っているのだな」と認めることにしました。すると、不思議と少し楽になったのでした。

それでは、もっと過去に遡ってみましょう。

国家と世界のために尽くすことを誓った小学生

通っていた小学校(公立)は、「青少年赤十字活動」にとにかく熱心で、各教室には、アンリ・デュナンの肖像が飾ってありました。

毎週水曜日は青少年赤十字の日なので、朝から活動します。青少年赤十字のワッペンを付け、ごみを拾いながら登校し、1円玉で募金、古切手を寄附、そして全校集会。全校児童で誓いを立て、青少年赤十字の歌を歌う(校歌よりも歌う機会が多かったように思います)

「誓い、私は、青少年赤十字の一員として、心身を強健にし、人のためと郷土社会のため、国家と世界のために、尽くすことを誓います」

(アンリ・デユナン。スイスの実業家であり、赤十字社の創設者および第1回ノーベル平和賞の受賞者)

6年生では青少年赤十字委員長に就任しました。委員長は生徒会と並び立つ、いわば校内二大権力のもう一方です。松山で開かれた青少年赤十字の大会にも代表として出席し、他校の皆さんと世界平和のために、大真面目に意見交換をしました。

当時の私は「みんな同じくらいの熱量でやっているのだろう」と、何の疑いもなく思っていました。国家と世界のために尽くすことを、毎週水曜の朝から本気で誓っていた小学生――それが、私のごく普通の小学時代です。

町内で一番郵便物が届く中学生

小学生時代の使命感は、中学に上がると「文通(国内)」という形に転化しました(インターネットがなかったので、メールではなく文通です。これも当時としては普通のことでした)。

おかげさまで「町内で一番、郵便物が来ているのはゆりちゃんだよ」と、日焼けした郵便屋さんが笑いながら母に言っていたそうです。田舎の一軒家に、全国各地から手紙が続々と届く様子は、傍から見ればちょっとした事件だったようですが、私からすれば毎日ポストを開けるだけの、いつも通りの日課でした。

ただ、こうして振り返ってみると、中学生時代の私は、文通という形で、すでに県外と繋がっていたのだと思います。

成績底辺からの逆転受験

たてヨコ愛媛ができるまで」にあるように、ここのルーツは、NewsPicksのユーザーコミュニティ(ファングループ)にあります。そのため、特にコアメンバーには知識層が多いようにも感じているのですが、私はずっとアホでした。これはさすがに普通というより、平均以下です。

高校入試では実力以上の力を発揮し(得意範囲ばかり出た)、地元で一番の高校に入学しました。周りは病院の跡取りとして医者や薬剤師を目指す子どもたちばかり。私は授業についていけず(授業は眠いし)、成績はどんどん落ちていきました。

ここまでくると学校では学力回復が見込めないので、塾(代●木ゼミナールのビデオ学習)と自習室でひたすら独学。勉強が嫌になった帰り道、誰もいない田んぼの中のあぜ道にべたーっと寝転がって夜空を見上げることもありました。

(右上の小道が現場)

そして高3の夏、理学部受験を目指していたはずが、「政治・経済」の授業で裁判所見学に行き、裁判官の椅子に座らせてもらい、「黒い法服は何者にも染まらない象徴」という話を聞いた瞬間、「かっこいい、これからの時代は法律だ、法学部にしよう」と思い立ち、よくある進路変更「文転」を決意しました。

二次試験の英語をクリアし、小論文では「所有権がテーマか……あ、これ、ルソー?」。田んぼ育ちの女子高生にラッキー問題が出題されたこともあり、無事合格したのでした。

大学では刑法。だがしかし、現実の裁判はドロドロだった

大学では気を取り直して真面目に刑法を学び、超氷河期だったこともあり、裁判所事務官を目指してダブルスクール(専門学校)にも通いました。頭の中では、法廷で正義を語る自分の姿が、そこそこかっこよく再生されていたと思います。

ところが、実際の裁判の現場は、想像していた凛とした正義の世界とは程遠く、なかなかにドロドロしていました。人と人とが本気でぶつかり合う様子は、想像以上に生々しいものです。「これは、私が憧れていたやつと違う」と静かに悟った瞬間でした。よくある、理想と現実のギャップというやつです。

そんな時に参加したボランティア活動(初コラムでも触れた話です)を通じて、自分が本当に求めていたのは、誰かを裁くことではなく、誰かと誰かが支え合う場だったのだと気づきました。壮大な使命感から始まり、文通、ルソー、法廷のドロドロを経て、着地点はまさかの「人と人との支え合い」でした。

今に至る

こうして書き出してみると、我ながら至って普通の半生だったと思います。愛媛生まれ愛媛育ち、公立小中高を経て地元の国立大学を出て、県内の市役所に就職しました。特に変わったことは何もしていません。むしろ、当時の南予勢にとってはお金のかからない、親孝行な、安定した理想の「優等生コース」でした(帰省すると皆に褒められる)。

水曜の朝に国家と世界のために尽くすことを誓っていたのも、町内一の郵便物を受け取っていたのも、入試本番でたまたまルソーに救われたのも、振り返れば、どれも小さなエピソードに過ぎません。

けれど考えてみれば、あの小学生の朝の誓いは、形を変えながら、ずっと私の中で生き続けていたのかもしれません。世界を裁くつもりだった少女は、法律ではなく、人と人とが支え合う場にたどり着き、今は市役所というカウンターの向こうで、目の前の一人ひとりのために働いています。国家と世界のために、と誓った水曜日から数十年。舞台はずいぶん小さくなりましたが、根っこにあるものは、実はあの頃からほとんど変わっていない気がします。

寄り道だらけの、地味で普通な半生。それでも、この一つひとつの遠回りが積み重なって、今の私という一人の人間ができあがったのだと思うと、なかなか壮大な話だと思いませんか。

皆さんにも、きっと同じような遠回りが眠っているはずです。次はぜひ、その壮大な話を聞かせてください。

ABOUT ME
中村 優理子
環境関連の法律(廃掃法や容リ法など)が好きな人。仕事では、環境行政のほか、まちづくりやNPO活動推進、税なども担当してきました。 国や県の環境学習講師に登録していて、3Rや廃棄物講座(最近は海ごみ、食品ロス、リサイクル工作)や昆虫教室などを随時開催しています。セミとカマキリが好き。
PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com