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家が決まったのは、松山へ引っ越す3週間前だった

はじめまして。松山で「コビトロジック」という屋号で、ひとりで仕事をしている角田と申します。

去年の夏に、東京から愛媛へ引っ越してきました。まだ1年も経っていない新参者ですが、毎日ずいぶん居心地よく過ごしています。

稲見さんから「何か書いてみませんか」とお声がけいただきました。せっかくなので、なぜ愛媛だったのか。住んでみて何が良かったのか。そして、ここで何をやろうとしているのか。そのあたりを書いてみます。移住を考えている人にも、ずっと愛媛にいる人にも、なにか一つ持ち帰ってもらえたらうれしいです。

妻の第一希望は、北海道

移住を考え始めたのは、2020年ごろ。きっかけは、たぶん皆さんと同じです。コロナで仕事が急にリモートで回るようになり、「これ、東京にいる必要あるんだっけ?」と一度は思った、あの時期です。

最初、妻は「北海道がいい」と言っていました。僕もいいなと思ったのですが、ひとつだけ引っかかった。雪国で、冬を越せる気がしなかったんです。憧れだけで乗り切れるほど、雪と縁のある人生を送ってこなかった。じゃあ西日本だね、と探し始めました。

同じころ、人生で初めての転職活動もしていました。応募先は、奈良の山間部の「地域プロジェクトマネージャー」。地域おこし協力隊より少し収入が高めの、地域に根ざした働き方です。妻も「そこでもいいよ」と一緒に考えてくれました。

結果はあっさり不採用(笑)。でも、これが分岐点でした。「移住」という軸と「仕事」という軸が、このとき初めて自分の中でつながったんです。 同時に痛感しました。移住してリモートで仕事して食べていくなら、もっと分かりやすいキャリアとスキルがいる、と。

そこからは二人がかりでした。僕は会社で実績を積み、妻はあちこちの移住先候補を調べてくれる。福岡は二人で見に行ったりもしました。あのとき地道に積んだものが、いまの独立にそのままつながっている実感があります。そうして数年かけて、「来年こそ移住する」と本気で決めたのが2024年でした。

決め手は、移住体験ツアー

最終的に選んだのが、愛媛・松山です。四国旅行で一度だけ来たときの「なんだかここ、居心地がいいな」という感覚が、夫婦のあいだで一致していました。(余談ですが、みきゃんの存在も大きい。数あるゆるキャラのなかでも、群を抜いてかわいいと思うんです。

でも決め手は、移住体験ツアーでした。愛媛の方々と実際に話して、その温かさに触れたんです。よそから来た僕らを、身構えることなくすっと迎えてくれる。「ここでなら暮らしていけそうだ」と、理屈より先に体で分かった感じでした。

移住を決めたのが2025年の4月ころ、退職を会社に伝えたのが6月、引っ越したのが8月下旬。そして松山の住まいが決まったのは、東京の家を引き払う3週間前です。我ながらギリギリでしたが、なぜか「なんとかなる」という気持ちのほうが勝っていました。

「○○といったら、ここ」の心地よさ

住んでみて何が良かったか。

「自然が近い」「静か」——それはもちろんあります。でも、それはどの移住記事にも書いてある。なので、もう少し正直なところを。

僕にとって一番効いたのは、「選択肢が多すぎないこと」でした。

東京にいたころ、僕は選ぶことに疲れていました。店が多すぎる。ランキングが多すぎる。ラーメン一杯食べるにも「この駅ならどこが一番うまいのか」を調べ、レビューを見て、外したくないから慎重になる。便利なはずなのに、毎回、判断を消耗していた。

愛媛に来て、それがふっと軽くなりました。東京ほど店の数はないし、開いてない日もある。でも「○○といったらここだよね」が、ちゃんとある。この「選ばなくていい」楽さは、首都圏から移ってくると本当に如実に感じます。選ぶことに使っていた気力が、まるごと空く。そのぶんを、目の前のことにちゃんと向けられる。

良く行く三津浜焼き

三津浜のスナックでの一夜

もうひとつ、住んでみて分かったこと。愛媛の人は、けっこう受け入れてくれる。

三津浜に、ちょっとディープなスナックがあります。あるとき隣に座った方となぜか意気投合し、最後はカラオケでセッションまでする流れに。その勢いで「僕、交流会やってるんですけど来ませんか」と誘ったら——断られると思っていたら、その方、本当に来てくれた。

ママさんもそうです。よそ者の僕を当たり前みたいに受け入れてくれる。でも、ここが大事で——受け入れてくれるけど、干渉しすぎない。 ぐいぐい来ない。適度な距離がある。

これ、移住者にはありがたいんです。「よく来たね」と迎えてくれるのに、こちらの領域には土足で入ってこない。その塩梅が、たぶん愛媛の人はうまい。地元の方は当たり前すぎて気づいていないかもしれませんが、外から来た人間には、すごく心地いいバランスです。

2025年の暮れ、独立

新卒で入った会社に、15年いました。長くやったのは営業です。DMやWebマーケティングといったサービスを扱い、最後は5年ほどは物流事業のマーケティングを担当していました。「モノやサービスが売れる仕組みの裏側」を、いろんな角度から見てきたことになります。

移住と同じ時期に「そろそろ仕事も変えたい」という気持ちが出てきて、会社を辞め、しばらくのんびりしたあと、2025年12月にコビトロジックとして独立しました。

正直、移住そのものに覚悟は要りませんでした。 生活コストは東京よりずいぶん下がって、むしろ気持ちは楽になったくらいです。覚悟が必要だったのは、独立のほう。後ろ盾がなくなって、食いっぱぐれないようにしないといけない。この緊張感は今もあります。だからこそ、目の前の相手にちゃんと寄り添おう——それがいまの仕事の芯です。

屋号の「コビトロジック」も、そこから来ています。大きな会社ではなく、小人(コビト)のように小回りがきいて、相手のロジック——事業の理屈や事情——に寄り添う。そういう願いを、そのまま名前にしました。

サイトとデスク回り

「終わりなき交流会」という場

いま2か月に1回くらい、「面白い人とゆるくつながる会」を開いています。名前は「終わりなき交流会」。名刺を配り合って、また会うかも分からない——そういう交流会に、僕は少し疲れていました。会が終わると、関係も終わる。だったら逆をやろう。そう思って始めました。

先月のvol.2は、三番町の立ち飲み屋さんに15人ほど。柑橘農家さん、道後で古着屋をやっている方、僕と同じくリモートのIT系の方——顔ぶれが本当にバラバラで面白かった。中には、台風で大阪のイベントが流れて急遽来てくれた方まで。その人が当日、別の参加者とその場で意気投合しているのを見て、思わずニヤッとしました。自分が声をかけて集まった人同士が、盛り上がっている。 あの瞬間が、やっていて一番うれしい。

ここで、暮らして働く

終わりなき交流会は、これからもっと頻度を増やしていきます。朝活や壁打ち会、勉強会(マーケやSNS運用など、テーマは思案中)みたいな形にも広げていきたい。あと、そのうちゴルフでも始めようかな、なんて思っています。

仕事のほうも、できれば愛媛・松山の方々と一緒に、何かやってみたいんです。

いまは東京の制作会社さんと一緒に、HubSpotというツールでWebサイトをつくっています。マーケティングの自動化ツールとして有名ですが、実はWebサイトを簡単につくれるCMSとしても優秀で。高機能なのに驚くほど手軽に扱えるし、AIとの相性もいい。惚れ込んで使っています。こういうものに興味がある方がいたら、ぜひ気軽に声をかけてください。

ここで暮らして、ここで働く。その両方がつながっていったら、こんなにうれしいことはありません。

この記事を読んで少しでも「話してみたいな」と思ってくださったら、ぜひ一度、お話させてください。

仕事のことは コビトロジック に、交流会の振り返りは note に書いています。よかったらのぞいてみてください。

ABOUT ME
和樹角田
はじめまして。コビトロジックの角田和樹(かくた かずき)と申します。 2025年の夏に、東京から松山へ移住してきました。前職は上場企業で15年、営業からキャリアを始めて、DMやWebマーケティングのサービス、最後は物流事業のマーケティングを担当。「モノやサービスが売れる仕組みの裏側」をいろんな角度から見てきました。 移住と同じ年の12月に独立し、いまはBtoBマーケティングの支援をしています。戦略の設計から、HubSpotやGA4を使った実装まで、同じ人間がひと続きでやるのが持ち味です。屋号の「コビトロジック」は、大きな会社ではなく小人のように小回りをきかせて、相手の事業の理屈にちゃんと寄り添う——そんな願いをそのまま名前にしました。 松山では「終わりなき交流会」という、面白い人とゆるくつながる会を2か月に1回ほど開いています。会が終わっても、つながりが終わらない場にしたくて。朝活や勉強会にも広げていく予定です。 愛媛・松山の方々と、仕事でもそれ以外でも、いろんな形でつながれたらうれしいです。気軽に声をかけてください。
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