Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

自己紹介エッセイライフスタイル

愛南町改め野村町の柳田でございます。

どうも、初めての方もそうじゃない方もこんにちは。「うみやまLabo」という屋号でひっそりと活動している柳田亮介と申します。

だいたい「たてヨコ愛媛」って何やってるか分からない人がたくさんいるよく分からないコミュニティーだと、そういう認識でいる方も多いと思いますが、ついに自分でも何やってるか分からないという人になってしまいました、はい。

今回は、改めて自己紹介を、ということで初心に帰って書いてみようと思います。書き終わる頃には自分が何をやってるのか自分で認識できるようになる、というのが本コラムの裏目的です。

それはそうと、自分の写真ってあんまりないですよね💦とりあえずたてヨコメンバーと写ってる写真ならOKでしょう、ということでテイトさんとnaganoマンさん、写真使わせてもらいますww

まずは、既知の皆さんへ最低限現状報告をば

初めましての方は飛ばしていただいた方がいいかもです。ここ一年ぐらい激動で、身辺環境もだいぶん変わったので、ちょっとした報告から。

まず、2025年6月末で愛南町の地域おこし協力隊を卒業しまして、そのまま愛南町で主に食に関わる事業(ウニッコリーを中心として)をやるという方向で準備を進めていました。一方で、愛南町内でず〜っと探し続けていた家族の居住のための物件については、私も妻も気に入る物件がついに見つからず、範囲を南予全域まで広げて探した結果、西予市野村町に素晴らしい物件が見つかったため、2025年春までに購入を完了していました。

そういうわけで、協力隊卒業後は、妻と猫軍団は野村、私は愛南を中心とした二拠点での活動ということで、「うみやまLabo」という屋号を付けました。

ところが、協力隊任期中に住んでいた物件を出る際の原状回復に関することでいろいろありまして・・・契約主体が役場であったため、自分が直接関与はできず・・・対応を待っている間、とりあえず、私もいったん野村の方に引っ込んで相手の出方を待つということになりました。当初は1ヶ月ほどで解決すると思っていたのですが、1ヶ月、3ヶ月と過ぎていき・・・いつになったら進むのか分からない状況になり・・・ということで、徐々に野村で一時的にとはいえ収入を作る必要が出て・・・それが6ヶ月を過ぎ年が明け・・・野村町でガチ目に収入を作らないといけなくなり・・・結局、全て解決したのが4月の話でした。それまでの間に仕事面でも地域コミュニティとの関わりの面でも現在の場所に基盤を築き始めていたということで、愛南町での事業を諦める腹をくくり、2026年5月、住民票を移して西予市民となりました。

愛南町での事業を諦める、の理由については少し説明を加えておきますね。

私が協力隊の期間最も力を入れ、事業の中心と考えていた「ウニッコリーの収益事業化」について、2025年5月ごろまでにある程度の目処が立ち、2026年シーズンから本格的にビジネスを稼働させるぞ、という段階にありました(ウニッコリーについてはhttps://ehimelife.net/interview/4834/で触れています)。ただ、この事業を安定的に行っていくためには明文化できない要素が多く、町役場、愛媛大学、漁協との良好な信頼関係というのが、すくなくともこの時点では必須だったのです。そんな中、役場との8ヶ月を超えるこの一件で、私の中でそこらへんがちょっと崩れた、つまり事業化してもいつハシゴを外される(もはや協力隊OBあるあるとも言えますが)か分からない、従ってウニッコリーの事業化は現時点では難しいという結論にいたったわけです。まあ、海面利用を契約にするのって、個人事業レベルではとても困難ですから仕方がないです。

まあ、そんなこんなで今は西予市野村町の中筋地区でごそごそやってます。

あらためて自己紹介

ということで初めましての方はよろしくお願いいたします。まずは略歴から・・・重要度はほぼゼロでしょうが、いろんな人が共通点を見出しやすいかなってことで書いてみましたww

昭和47年12月生まれの子年。妻と大学2年生の息子一人(松山)と猫14匹。生まれは母方の実家、島根県益田市。幼少時は陸自隊員だった親父の都合で引っ越し三昧、小学校二年生で親父の実家である松山市三津一丁目(三津 of 三津!)の古寺に越してきて、高校卒業まで過ごしました。自衛隊員の実家が寺というのが鉄板ネタでしたw

1年ほど前に西予市野村町の20軒足らずの集落に移住して、妻と14匹の猫軍団と暮らしています。ひとり息子が愛媛大学の二年生ということで、たまに松山で家族でメシ食ってます。

引っ越し人生

今振り返ると、生まれてから高校卒業までの間の引っ越しや転校などがかなり激しかった方だと思います。

島根県益田市に生まれる
千葉県柏市、広島県海田市を経て年中組から益田市に帰る
小学校入学あたりのタイミングで東京都新宿区へ
小二の二学期から松山、三津浜小学校へ。
なぜか中学受験をさせられて、よく分からんけど愛光学園にノリで合格そして入学
そもそも意味がわかってないので小学生時代と同じノリで勉強なんてしなかったら成績激悪だったので中二の二学期で退学し、三津浜中学へ。高校は北高へ。
高三の8月から1年間の米留学(Class of ’91)。帰国後は1学年下のクラスメイトと過ごす。
92年〜大学で大阪へ。阪急宝塚線の豊中→曽根→岡町と引っ越し。曽根の文化住宅時代に阪神大震災被災。下宿は半壊判定。
97年〜就職で東京へ。千葉県流山市(常磐線・千代田線の南柏)の独身寮へ。
会社を辞めた後、大阪市、柏市の飲食店を経て2000年8月に松山へUターン。すぐ出ていくつもりだったがずるずると居着いてしまう。芸予地震被災w
2011〜2013年 いろいろあって気が向いたので東京へ。上京した直後に東日本大震災被災。
2022年7月〜2025年6月まで、地域おこし協力隊員として愛南町へ
〜現在 西予市野村町在住。

みたいな感じ。

ちなみに松山にUターンしてからも引っ越しは結構してて、三津(実家)、姫原、西長戸、高砂、古川南、居合、と引っ越しは趣味というぐらいしてますね。

子ども時代を振り返っても、引っ越しや転校がストレスになった記憶はゼロで、アメリカくんだりまで行ってその町で唯一の日本人という状態でもカルチャーショックは殆ど感じなかったしホームシックにもならなかった。今考えても、環境変化へのストレス耐性が高いってのはほんとラッキーだと思います。また、住環境についてはボロだろうが汚かろうが暑かったり寒かったりしようが、(ネガティブな)環境に自分を適応させる能力は高いんだと思います。どこでも生きていけますwwま、さすがに家族ができてからはちゃんとしたところに住むようにはしてますが💦

自分は何をしてきた/何をしたい人なのか??

やってきたこと

概してあんまり物事を深く考えたり将来を見据えて何かを継続したり、そういうこととは無縁に気楽に生きてきた方なのかなとは思います。面白そう、という衝動に素直に従うことが多かったように思います。こう書くと,ダメ男を上品に表現しただけみたいですが、まあその通りw我ながらなかなかのダメ男ですw

大学は経済学部ですが、バンド三昧でろくに授業出てないし、就職活動は本当は居酒屋の大将になりたいと思いながら普通の就職で親を安心させるというよく分からん行動に出るし。ま、結局1年で辞めて幾つかの飲食店を渡り歩くわけですが、松山にUターンしてからは、ファミリービジネスに巻き込まれ携帯ショップの運営なんかをやってました。その傍らで、空いた時間を作って飲食店にバイト行ったり、うどん屋を目指して日々製麺修行を独学でしてたりしてました。

社会人になってから40歳ぐらいまで、おしゃれに言えば『ジョブホッパー』なる言葉があるらしいですが(笑)、気の向くままいろんな仕事を転々としました。結構暗黒時代とかもあったりするんですが今となってはいい思い出。肉体労働から頭脳仕事までなんでもござれで、周りの人も中卒高卒から大卒やドクターまで、多種多様な背景や価値観を持つまさに老若男女と多くの時間を共にした沢山の経験は、なんっちゅうか、一つの事象を捉えてその本質を考察する際の想像力に幅や深みを与えてくれたと思います。

で、40歳あたりからの10年間でいうと、フリーランスのコーディング業が本業になり、その後、2016年から4年間は三津の名店「踊るうどん永木」の三代目大将としてうどん屋をやることになりました(注:椿にある「踊るうどん」という店は無関係です)。この店は2020年に私の腰がデストロイされたため閉店したのですが、その後はまたコーダー業を中心にしている、という具合でした。

それからの3年間、愛南町で地域おこし協力隊員をやったのですが、その活動そのもので残ったものというのは結果的にはあまり無かったかな、というのが正直なところ。ただ、その期間中に勉強したり考えたりしてきた地域の活性化という課題に対する知見はこれからおおいに活きる重要な要素になると思います。

さて、仕事以外については一つだけ、人生を変えてくれたとも言える「山菜」にだけ触れておきます。

20代後半になったころに東京で初めて食べた「タラの芽の天ぷら」があまりの衝撃で、それをきっかけに「山菜」にハマりました。松山にUターンしてきてからは自分で採取することを覚え、春になると山菜ガイドブック片手に毎週山に出掛けては、フキノトウ、つくし、わらび、タラの芽、ユキノシタ、甘草、ゼンマイ、イタドリ、よもぎ、葉わさび、三つ葉、ウド、モミジガサ、フキやツワブキ、筍など、色々な山菜を探しまわり、料理して食べるという過ごし方をしていました。このころから、なるべく早く「山に引っ越す」ことを目指すようになりました。

ただ、残念ながら2000年代初頭の頃はまだ山に移住してもできる仕事はなかなか無かったので、少し先の夢と位置付けて大人しく松山で仕事してました。それから十数年が過ぎ、フリーランスのコーディング業で稼げるようになったことで移住が現実的になってきて・・・あ、その後うどん屋になるわけですが、運悪く腰をやってしまい閉店することになったこと、その頃に、身籠った野良猫を引き取ることになったこと、そして50歳という節目が近くなったこと、そういうタイミングで移住に踏み切った、というわけです。初めてタラの芽の天ぷらを食べてから20年以上も経ってました💦

で、移住先は山菜を覚えたてのころ通い詰めた久万〜面河あたりを考えていたのですが、「海釣りもしたいよね」ってことで愛南町に移住したわけです。ただまあいろいろあって最終的には野村町に落ち着くことになるのですが、こちらは山菜の種類も量もかなり豊富で、結果論ですが、おそらくは・・・導かれたんだと思います。

なにをしたい人なのか?

なんと、まさかのこれから本題(笑)

私はいったい何をやりたい人なのか?何を目指しているのか?これについてはシンプルで、ただこの土地にどっぷり浸かって暮らしたい、それだけなんですけど、ちょっと具体的にいうと、

春夏秋冬の山海の恵みを収穫し、加工・調理することを愉しむ。そして、その楽しみをシェアする。

山菜はもちろんですが、ほかにも畑やったり田んぼやったり、果樹を植えたり、海や川で釣りしたり、すっかり後回しになってしまっている狩猟もやっていきたいです。旬のものを楽しもうとすると、短期間に大量にできたり入手できたりするので、保存食作ったり加工品にしたり。

シェアする、というのは、作った食品や加工品を販売したり、体験をシェアするコンテンツを作ってみたりしたいと考えてます。ここらへんに地域おこし協力隊時代にいろいろ考えていたことが活きてますね。いま家の近所に地区所有の簡単な宿泊施設ができよるので、米や農作物の収穫から調理加工までの体験など、ここでの暮らしならではの楽しみをコンテンツとしてまとめたいと思ってます。ビジネスというよりは、街の仲間ともワイワイやりたいだけなんですけど。ま、こちらはまだ先の話。

こういうテーマを持った田舎暮らしって、正直めちゃめちゃ忙しいんです(いつか記事にしますね)。大地の恵みが若干過剰で、次々と熟する野菜や果物に追われる生活です(笑)。加工や消費がおっつかないから下処理して冷凍保存してみたら、専用の小型冷蔵庫と冷凍ストッカーがあっという間にいっぱいになりました。何より、春から秋までは『草刈り草刈りアンド草刈り』シーズンです。

今のところ、多少はそんな暮らしを楽しめてはいるんですけど、息子が大学卒業するまでの間はちょっと頑張って現金収入も作らないといけません。100%野村町で生計を立てる、というのは当初予定していなかったので、今はとりあえず収入を安定させるのに四苦八苦しているところです。

兎にも角にもその収入も作っていこうとなると、前段で書いた通り「コーディング」と「食」がまずは柱になります。

しかししかし、数年前には全く考えていなかったことですが、コーディング業は生成AIに取って代わられる仕事の筆頭なんですよ。なのですよ。なので、これを収入の一方の柱とすることはリスクでしかありません。コーディングは大好きなので仕事があるうちはやりたいですが、ゆくゆくは「食」をメインとして全振りしていかなければならないでしょう。ちなみに、うどんも少しばかり復活させたいと考えてます。

そういうわけで、目下、製麺業、菓子製造、そうざい製造といった食品加工の複数の許可を取れるキッチンを立ち上げるための格安物件を近所で探しているところです。普通のボロい一軒家でいいんですけど、なかなか苦労してます。野村の中筋地区で激安物件を知ってる方いましたら情報お願いします笑。それができるまでは、アチコチでいろんな仕事しながら食い繋いでいきます笑

おわりに

長すぎた💦すみません💦これでも削りました。

そういうわけで私の歩みのほんの一部を切り取って紹介させていただきました。とりあえず、「田舎でなんかゴソゴソやってるおじちゃん」ぐらいの認識でも十分でございます。住んでいるのが野村町なので、たてヨコNightにもなかなか参戦できない月が続きますが、出会うことがありましたら仲良くしていただけると幸いです。自分で言うのもなんですが、気さくでいい奴だと思いますのでw

このコラムには書いていませんが、53年間の歩みをざざっと振り返ってみて、我ながらメチャクチャというかカオスというか意味わからん人生を歩んできてると思うと同時に、もし人生をやり直せるとしても、どうせまた同じような道を歩むんだろうな、と思った次第。多分何回やり直しても似たような人生になるんでしょう。「もっとこうしておけば」とかいう後悔を抱えている人、後悔する必要ありません。やり直したとしても同じですから諦めましょうwwまあとにかく楽しい人生過ごしてますし、これから先あと何年生きられるか分かりませんが楽しい人生になるんでしょう。それでは皆様ごきげんよう。

参考:生きるを楽しむ暮らしを求めて(えひめ暮らしネットワーク記事)

ABOUT ME
柳田 亮介
松山出身 西予市野村町に越してきました(R8. 5月〜) 元々はフリーランスでコーダー/フロントエンドエンジニア→うどん屋@松山市→地域おこし協力隊@愛南町→プー@西予市野村町 R8年5月、初めての米作りに挑戦してます。楽しみ。
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