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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

教育エッセイデザイン書籍紹介

飽きるほど創造的

しばらくとりとめのない話が続きます。読み飛ばしてもらっていいです。って書くとまんまと気になって読んでしまう方はそのまま読んでください。

本題はこちら。さらにさっさと結論を読みたい方はこちら

自分、めっちゃ飽き性です。

以前のコラムでスケボーの話をしました。その1ヶ月後ぐらいに人生初の肉離れを経験しました。めっちゃ痛い。ひとり早朝の公園でおじさんが悶絶している姿はさぞ異様だったと思います。だってすごい痛かったんだもん。

そして指スケを買いました。むずい。痛くない。怪我知らず。素晴らしい。

その後どうなったか。

ぶっちゃけどっちも若干飽きました。まだ目標トリックのオーリーはできていません。でもまだ諦めてはいません。エンドウォークからのショービットとオーリーはイメージの中では飛べてるのですが。現実が伴う日は来るのでしょうか。

一時期停滞気味だった学習。最近は月2〜3冊程度のスローペースですが、読書したり、読んだことを図解したり。まとめても何の利益にもならないし正直面倒ですが、たまに沸き起こる書きたい欲と熱中モードに入ると止まらない。そして書き上げたときの充実感。別に誰に見せるわけでもないのですが、間接的に仕事の役に立つこともあるし、話のネタになります。情報整理・資料作成・提案書作成の密かなトレーニングにもなります。

Y田さんは、私が楽しそうに図解で遊んでる様子を見てiPad買われたそうです。そろそろサンフランシスコから何か御礼の連絡もらっても良い頃だと思いますが連絡はまだ来ていません。

エスプレッソマシンはかれこれ15年ぐらい使ってます。今使ってるのは3代目。メーカーはずっとデロンギ。リーズナブルで高性能。電動ミルもあります。マシンの性能が良くなってるのか、ちょっと美味しそうなラテアートも描けることがあります。シルキーなスチームミルクが作れるので、子どもにはココアやミルクをふわふわ仕立てで提供することもできます。エスプレッソが安定しないのでラテアートも安定しませんが、夏場はアイスラテも手軽に楽しめて妻にも楽しんでもらえています。

愛媛に移住して7年くらいロードバイクにハマってました。休日は近隣の坂道を塗りつぶすように走り倒したり、オンラインサービスSTRAVAで近隣のサイクリストとセグメント争いをしたり、石鎚山ヒルクライムに毎年出たり。気が狂ってたんですかね。徳島西阿波地区で開催されていた「ツール・ド西阿波」というイベントの鬼脚コースという、高縄山3つ分ぐらい獲得標高のある狂気のイベントに2回ほど参加して果ててしまいました。誰よこれ。

ロードバイクにハマっていた2018年頃。愛媛マラソンに抽選落ちし、県外枠で参加しやすいと会社メンバーと高知の竜馬マラソンに参加したこともあります。「マラソンなんて絶対嫌」と思ってたけど、初のフルマラソンなので「止まっても良い。走り切る」と目標を定めトレーニング。また気が狂ったように毎日走り込み、走れない日が不安になる。サブフォー目指しましたが4時間27分でゴール。ゴール後は生まれたての小鹿状態。まぁ初フルマラソンだし頑張った。えらい。でももうマラソンはお腹いっぱいになりました。

その頃の肉体は今や見る影もなく、ご飯をお腹いっぱい食べてすくすく大きく育っています。初老でも成長期。信じられませんが真実なのでしゃーない。受け止めよう。

「飽き」の語源

このように、あれこれ熱中しては飽きてはを繰り返していますが、一部で続いているものもある。「飽きたもの」に共通する事として浮かぶのは「ちょっとやりすぎた」ではないかと思います。かっこよく言うとバーンアウト。

読書や学習は仕事に転用されるといった報酬イベントがあったり、何より「知りたい」という知的欲求に抗えない。「やりすぎた」という限界もない。「わかった」の直後に「わからない」が果てなく続く。コーヒーも狂ったように飲めるものでもないので、程よく続けられている。

「飽き」の一般的解釈を疑ってみる

Geminiで「飽き」の意味を調べると、感情的に「うんざりすること」とありました。さらに類義語を調べると「倦怠」「退屈」「食傷」「辟易」「マンネリ」などが挙げられます。

この回答に対して、皆さんもさほど違和感はないと思います。つまり「飽き」への一般的解釈はネガティブな印象なんだろうかと思います。

が、ここに問いを立ててしまった。
この疑いこそが、今回のタイトルにある「飽きと創造性はつながるのではないか?」の発端となります。

私が過去あれこれやって「飽きた」わけですが、この「飽き」の感情は「嫌いになったわけじゃなく、夢中だった熱が冷めただけなんやけどな」です。別にうんざりもしていない。だから「飽き」の一般的解釈に「ほんまか?」という素朴な疑問が生じました。

ならばと語源を辿ったところ、1冊の書籍にめぐり逢います。

書籍:ひらがなで読めばわかる日本語 中西進

日本語は漢字、カタカナ、ひらがなと使い分けられます。
漢字は1つ1つの文字に意味が込められる「表意文字」。
一方でひらがな、カタカナ、英語も「表音文字」。文字そのものに意味はなく、組み合わせた音に意味が込められる言語となります。

漢字は中国から渡ってきた「借り物」である事はご周知のとおり。
この本は、日本語が持つ本来の深みや意味を探るべく、借り物である漢字を一度取り払い「ひらがな=やまとことば」から音が持つ意味を辿り考察・類推することで、ことばの背景に描かれる豊かな情景や感情を探求してみよう。というものです。

そして、私が知りたいのは「飽き」の語源です。

先に結論を書くと「飽き」の語源は「秋」だそうです。
ふむ。
なるほど。
え、どゆこと?

「飽き」をひらがなにすると「あき」。
「あき」は「飽き」「秋」どちらにもつながります。
この繋がりは偶然か、必然か。

書籍を引用します。

秋は収穫の季節です。十分に食べることができる。だから、充足するという意味で、秋は「あき(飽き)」と名付けられました。

ひらがなで読めばわかる日本語 中西進

続けて、「あき(飽き)」のよい面と悪い面についても記されています。
よい面 → 満ち足りる
悪い面 → 十分すぎてもういらない

さらに「明らかにする」「諦める」も「秋」「飽き」の仲間だそうです。
明らか→あきらか→すべてが完全にクリアになる→「あける」「あく」
覆っていたものがなくなり、明らかになる。例えば「夜が明ける」

諦める→あきらめる→ものごとの状態を明らかにするよう十分に努力し、もうこれ以上できないというところで諦める。

あれ?「諦める」ってもっと匙投げる的なネガティブなイメージじゃなかったっけ?
中西氏の説く「諦める」の解釈はポジティブな発見に満ちています。

さらに「あきらめる」を横に掘ってみると、英語の「ギブ・アップ(give up)」も同じであると展開します。
は?
どゆこと?

「ギブ」を「アップ」する。あることを成し遂げるために八方手を尽くし「ギブ」していく。そして、もう「ギブ」できないところまできて「アップ」する。そういうふうに考えれば、ただ「降参する」のではなく「十分」という意味が生きてくるでしょう。

ひらがなで読めばわかる日本語 中西進

天才か。いやこじつけか?

つまり「飽き」も「飽き性」も、一定熱中したからこそ成立する。
熱中からたくさんの気づき・知識・感動・体験といった経験(果実)が成り、次につながる種ができていた。単に嫌になってやめたおしまいじゃなく、なんかしらの途中で終わらせたとしても、お腹いっぱい満たされたわけだし悪いことは一つもないやんと前向きに考えることができそうです。

アイデアが「降りてくる」のは法則があるって知ってました?

ある日、おじさんはXで流れるポストを眺めていると、こんなnote記事が川上からどんぶらこしてきました。

ひらめきの背後にある科学:インキュベーション効果の秘密[note]

私たちが直面する日々の問題や挑戦において、答えがすぐには見つからないことがよくあります。頭を悩ませ、答えを見つけるために必死になっても、進歩が見られないことも珍しくありません。しかし、問題から一時的に離れることで、まるで魔法のように解決策がひらめく経験をしたことはありませんか?この現象は「インキュベーション効果」と呼ばれ、心理学と創造性の研究で広く認知されています。

おじさんは「コレめっちゃあるあるやなぁ」と思ったと同時に、この閃きの秘密については古今東西いろんな人たちが論じ、考察し、研究してきた事でもあるよなぁと、過去に読んだ3つの書物を思い出しました。もわもわもわ。

書籍:アイデアのつくり方(ジェームズ・W・ヤング 著)

アメリカ最大の広告代理店のジェームズは、創造的な人達はどんな思考の特長があり、どんな技術、方法論ですごいアイデアを生み出すのか?の方法論を導き出そうという本。

その中にある5つのステップでは「飽き」と「閃き」に近いプロセスが書かれています。
下記は書籍をもとに書いた図解。

書籍:思考の整理学(外山 滋比古 著)

「思考」そのものや「思考の整理」について過去の伝承や研究を引用しつつ、エッセイ的な切り口であーでもなくこーでもなくと考察。記憶力が軸になりやすい教育制度によって「考える力が低下していないか?」というエッジの効いた問いから、大きく6つの段階で思考について論じている。

「アイデアのつくり方」の原著1940年から46年後の1986年出版。個人的に「アイデアのつくり方」と通底するものを「思考を寝かす」や、思考を深めるための「忘却」のくだりから強く感じました。

書籍:BRAIN DRIVN〜パフォーマンスが高まる脳の状態とは〜(青砥 瑞人著)

創造性の法則や、人が創造的になるとき何が起きているかを脳科学の観点からアプローチする。
特筆すべきは「デフォルトモードネットワーク」という脳の状態で、「問題に向き合っている状態ではないが、記憶の片隅に残っていてふわっと考えている状態」みたいなのを指すそうです。車のアイドリング状態のような。

これは、先に紹介した2冊にある「問題から離れる」「忘れる」の後のフェーズと言ってることが近しい。

これらの3冊に共通する事

今挙げたこの3冊には「アイデアはどうやって生まれるのか」の法則が共通していました。

  • たくさん情報を集める
  • 実際にたくさん使ってみたり、試したり体験する
  • 1回離れたり、忘れたり、距離を置く

似た話はまだまだあります。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

公子 論語より

「結晶性知能」も言うてること同じ。

忘却と睡眠時に起きる記憶のメタ化

エビングハウスの忘却曲線

あれは私が12歳中学校一年生の時。理科の初めての授業で、担当教諭から「修学旅行で何食ったか覚えてる?」という質問から「忘却曲線」の話を聞いて「すげぇー!」と感動したが、それ以外何も覚えていないのは大変申し訳ないと思いつつ。

人は覚えたことを時間の経過とともに忘れていくが、繰り返す事で記憶に定着するという単純な法則。

気になったのは2つ。

  • 記憶は薄れていくが残るものが一定ありそう
  • 体験が深く多く長いほど定着するものは多くなる

この2つを組み合わせると「残った記憶」を「積み重ねる」事で結晶化し、自身に刻み込まれていくと考えられます。

睡眠時、人間の脳で起きていること

もう一つの忘却シーンは「睡眠」。

寝て忘れる。が、全部忘れているわけではないらしいです。

睡眠は、単に体の疲れを回復させるだけでなく、脳内では記憶に関するいくつかの活動も行われているそうです。皆さんもご存知であろう夢を見やすい「レム睡眠」と、深い眠りと言われる「ノンレム睡眠」。ちなみにノンレム睡眠にも「浅い」「深い」があるそうですが、その方向で話を深掘ると帰ってこれなくなりそうなので一旦置いといて。

睡眠時は、起きてる間にあった体験や感情などの情報を整理し、記憶として定着させたり固定化させる作業が行われるといわれています。

睡眠中にも記憶の「忘却」「整理」「定着」が起きている事がわかります。

アイデアの定義

書籍「アイデアのつくり方」には、アイデアの定義としてズバリこう書かれています。

アイデアは既存の要素の新しい組み合わせ

「存在する何かと何かを組み合わせ生まれた別の何か」と。このときの「何か」の有形無形は問わず、無形でも概念としてあるなら存在するものと理解しましょう。

まじか。
アイデアってもっとなんかこう、アレ…すっごい何か…じゃなく。
「無から有」みたいなのじゃないらしい。
実際にアイデアと呼ばれそうなことを思い返すと、確かにそうなんですよね。例えば。

たらこパスタも、カリフォルニアロールも、iPhoneも、スケボーも、てりやきも、あんぱんも。すべて既存の何かと何かを組み合わせたもの。

ただ、アイデアを具体性を持って考えないといけないってなると、それぞれの「要素」を知ってるだけでなく、どこまで深く理解しているかがとても重要であるという話は先述の書籍にあった通り。だからいっぱい調べたり体験したりする。

まとめ。飽き性の創造性

ようやく結論。

冒頭の「どうでも良さそうな体験談」から「飽きの再解釈」の話に飛び、「先人達によるアイデアの考察」を引用展開。「忘却による情報のメタ化」でアイデアの種の発生源を再確認。この一連の流れをたどることで、冒頭の「飽き」と「創造」の繋がりが見えてきます。

①熱中する
②お腹いっぱいになり飽きる(“飽き”をネガティブに解釈されたなら語源の話から読み返してください)
③離れる事で記憶が薄れる→記憶がメタ化される→メタ要素の結合→アイデアの発露

今まで「私って飽き性なんです…」としょぼくれていた人も「熱しやすく冷めやすい」と自虐気味に自己紹介されている方も、それって実はアイデアの種をたくさんあつめていた…!ならば

飽きて良いんです。

むしろ積極的に飽きるまで熱中した自分を褒めて誇ってください。

飽きるまでやったのなら、そこには何かしら結晶化された創造性の源泉があると考えてみてください。自分にはすごい可能性があるのだと。

ABOUT ME
町田 祐一郎
1980年生まれ 専門学校卒業後、大阪の会社でWebデザイナーとして社会人スタート。 大阪でWebデザイナー、神戸でWebデザイナー、大阪でWebディレクターと関西圏でWeb制作のキャリアを積む。 2012年に愛媛に移住し、同時に株式会社アイムービックに入社。 ディレクターとして自治体、企業のWebサイトの企画設計、リニューアル提案、制作ディレクションに携わっています。 大阪でのマーケティング会社在籍の経験を活かし、マーケティングとWebの知識をバランスよく配合し、生々しい現場のための現実でロジック立てた企画を組み立てるのが好き。 たてヨコ愛媛では、たてヨコ愛媛のWebサイトや松山テイクアウト部のWebサイト制作も担当しています。 愛媛に移住して8年経過して今なお関西弁を使いますが、そんなボケまくったりしません。どっちかというと恥ずかしがり屋の人見知りです。
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