
稲見さん、町田さん、秀野さんに続き、今回わたし越智が引き継がせていただく『問い』のコラムシリーズ。(私でよかったのかしら。笑)
前回、秀野さんのコラムでテーマになった「セイケイはありなのか?」という問いに対して、私はコメント欄で「アリアリのあり!🐜 だって、”Your life, your will. Your body, your will.”だから!」と書かせていただきました。
みなさんのご意見を読んでいても、やっぱり「個々の自由でいいよね」「選択は人それぞれだよね」という声が多く、私自身もとても共感しながら読んでいました。
そんな中、秀野さんとのやりとりの中で「will(意志)」という言葉がキーワードになりそうだね!という話になり……今回の私のコラムでは、その “will” をテーマに、たてヨコのみなさんと一緒に考えてみたいと思います。
題して、【“頑張らない”という意志】。
私の過去の経験談を交えながら、「不器用な努力家」越智のエピソードをちょっとだけ真面目に、でも楽しく!お届けします⋆*❤︎
1. 「頑張ることが正しい」と思い込んでいた
”頑張ることが正しい”
みなさんはそう言われることに、どこか違和感を覚えたことはありませんか?
私は、生まれたときからずっと、頑張ることが当たり前の人間でした。子どもの頃から繊細で、人の心の動きに敏感で、いつも顔色を伺いながら生きていた私。
だからこそ、「いい自分でなきゃいけない」という思い込みとプレッシャーの中で、“とにかく頑張ること”を自分のデフォルトとして生きていました。
そうやって人から認めてもらえる自分でいなきゃ
“ちゃんとした人”ではないんだと、どこかで思い込んでいました。
でも、学生時代のあるとき、ふと自分の中にこんな『問い』が浮かんだのです。
💭「私は、誰のために生きているんだろう?」
💭「この頑張りは、本当に自分のためのもので、“自分の魂からの意志”なのか?」と。
2. 「頑張ること」に縛られていた過去
「がんばり屋さんだね。」
人からそう言われるたび、私はなぜか胸の奥が少し苦しくなるのを感じていました。
“ちゃんと頑張っている自分”でいなければ受け入れてもらえないと言われているみたいで…
「頑張らない私には価値がない」と、見えない鎖で縛り付けられているみたいで…
人より少しでもちゃんとしていなければ、自分には意味がない。少しでも休んだり手を抜いたりすると、ダメになってしまう。そうやって私は、自分を追い立て続けていました。
どんなに体調が悪くても、心が苦しくてもう悲鳴を上げていても、「ちゃんとやらなきゃいけない」「休んではいけない」。そんな思いに縛られて、何かができない自分を責めながら、それでも走り続けることを止められませんでした。
3. “頑張らない”という意志との出会い
もちろん、頑張ることのすべてが良くなかったわけではありません。
他人のためとかプレッシャーの中でとかじゃなく、夢や目標があって、“自分の意志”で頑張ることだってありました。そのおかげで得たものも、自分の人生の財産となってくれたものだってたくさんあります。
ただ、そのエネルギーを向ける方向と、頑張り”過ぎること”には注意しなきゃいけなかったんですよね。不器用な私は、いっつもいっつも全力で、「休みたい」っていう自分の声を無視して走り続けちゃったんです。
でもある日、ふとした瞬間に、限界がやってきました。気づけば私は心も身体もボロボロになっていて、「もう生きることすらやめたい」という”意志”すら持ち始めてしまっていました。
そのとき、どこからか沸々と、こんな声が湧き上がってきました。
「もうこれ以上自分を追い込みたくない!」
「私は本当は、頑張りたくなんてないんだ!」
それは、静かで小さな瞬間でした。でもそれは、私の心の奥底からの大きな叫び声でした。
そしてそれは、私の生き方を大きく変える重要な転機でした。
それから私は「頑張らない練習」をしました🌿
…と言っても、それはただ怠けるという意味ではありません。
『休むことを許すこと』
『やらないと決めること』
『“今日はこれだけで十分”と、自分に言ってあげること』
それまでの私なら“甘え”だと思っていたことを、
“意志ある選択”として受け止めるための練習でした。
頑張ることって、ある意味では簡単です。ただ走り続ければいいだけだから。
でも、立ち止まることはそれよりもずっと難しい。止まってしまったとき、誰かの目や、自分を責める声と闘うことになるからです。だから、立ち止まって自分と向き合うことのほうが、私にとってはずっと難しかったんです。
それでも私は、「もっと自分を追い込む」よりも、「もっと自分に優しくする」ことを選ぶようにしていきました。
最初はそんなこと出来なくて、つい「頑張るほう」に逃げてしまいがちでしたが、それでも意識して、「頑張らないことが私が選ぶべきこと。それが私の魂の“意志”なんだ」と自分に語りかけ続けました。
今思い返すと、その選択には思っていた以上に、勇気と、自分に対する本物の優しさと、強い“意志”が必要だったんですね。
4. 小さくても確かな “will”
“will(意志)”という言葉には、「目標に向かって突き進む力」や「何かをやり遂げる強さ」という固くて強いイメージがあるかもしれません。
でも私は、「もうこれ以上、自分を追い込まない」「穏やかに生きていたい」。そんなやわらかくて優しい意志もあっていいと思うんです。
それは「逃げ」ではなく「守ること」。
「怠け」ではなく「受け入れること」。
頑張るのをやめたその先に、ようやく私は自分と穏やかに向き合うことができるようになりました。
“頑張らない”という選択は、決して弱さではありません。むしろ、ずっと頑張り続けてきた人にとって、それは新しい勇気であり、自分自身ともう一度手を取り合うための優しい意志です。
私はあのとき、『頑張らない自分』もちゃんと抱きしめてあげようと決めました。
『ずっと頑張っていた自分』もたっぷり労って、「ありがとう。でも今はもう大丈夫だよ。」と離してあげました。
“本当はやめたいのにやめられていないこと”を手放すと、人生に余白が生まれます。
そしてそこには、新しい自分やもの、人、環境が入ってきます。
もしかしたら、それにそっと気づいたとき、そこから新しい一歩が始まるのかもしれませんね☺️🌿
【問い】
みなさんが今
“本当はやめたいのにやめられていないこと”
は何ですか?