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たてヨコラム

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セイケイって、どこまで、誰なら、アリ?ナシ?

稲見さんが立ち上げた新企画「問い」シリーズ第3弾、
2走の町田さんからバトン受けました秀野です。
400mリレーだと3走はオーバーランのリスクがあり難しいそうです。

たてヨコラムへのコメント書き込み率は99%(自社調べ)なんですが、2、3ヵ月まとめてやるのが悪いクセです。今回も新スタイルが立ち上がっていたことを知らず。

稲見さんの画像を拝借

まずは2人へのアンサーを「コメント欄に書くには時宜を逸した」と言い訳して自コラムに取り込み縦糸にします。 そこに「ふまじめ」な哲学書と炎上広告とカンヌ受賞邦画を横糸に差し込み、問いを立てます。

テーマは「セイケイ」です。

稲見Question:インバウンド

稲見Q:愛媛のインバウンド観光客は少ないのか?多いのか?
秀野A:もっと増えてほしい、愛媛が、世界が、平和になるために。


ネタ元は『観光客の哲学』(東浩紀著)です。
anywhere vs somewhere(「どこでも族 対 ここだけ族」という腹落ちする訳がありました)の隘路に陥らない、テクノリバタリアンにも排他的なナショナリストにもならない第三の道として、観光客という道があるという話です。

この哲学思想の中身には深入りしません。ただし、下部構造(経済、欲得、下半身)的な、ややもすると「ふまじめ」と見られる理由で人間は行動している。それを除外しないで考えようという話です。

どんな下部構造に基づき、人は観光するのか。食事、遍路、サウナ、そして解決すべきインフラ問題―――。稲見さんの問いに、皆さんさまざまなアイデアを挙げていました。
意外に出てこなかったのが、美容観光です。医療・美容・整形インバウンド市場は伸びているそうです

ルッキズムと結びついた資本主義を先鋭化させていくと整形ツーリズムに行き着くのではないでしょうか。 受け入れ側の医療がゆがんでしまうなどさまざまな問題が指摘されているわけですが、身も蓋もなく言ってしまえば、ダウンタイムもあり、滞在時間が長く消費額は伸びるそうです。

ただし、稲見さんの問いには「ここでしか」の要素をどうするかが含まれていました。 これは最後にもう一回、考えます。

町田Question:タイムスリップ

町田さんの画像がタイムスリップ

町田Q:タイムスリップして、昔の自分に何を伝える?
秀野A:やけどの跡、消してみる? ほっといても消えるけど。

子どもの頃、バイクのマフラーで右ヒザ裏をやけどし、シミのような跡が残りました。普段、自分では見えない場所です。だからこそ、他人にどう見えているのか、すごく気にしていました。結局、手足が伸びていくうちにほぼ消えてしまうんですけど。

町田的タイムスリップルールは、過去の自分に何を伝えようと、今の自分に帰る、つまり社会も自分も変わらない、というものです。インストゥルメンタル(未来主義・手段的)に若かりし自分を今の自分のためには扱えない。であれば、過去の自分をその瞬間において(だけ)救うコンサマトリー(現在志向・自己充足的)なのがベストユース、ベストアンサーかなと思いました。

成長段階において、問題の重みが変わることがあります。
以前、高校生向け二重整形の広告が炎上しました。

▲引用元:https://x.com/Leo_nomura/status/1626114762903023616

この広告のどこが問題なのかを考えるWebセミナーに参加しました。
そこで初めて「二重糊(のり)・アイプチ」の存在を知りました!
そんな「努力」、そんな「技術」があるのかと大変驚きました(他の女性参加者は、皆さんは当たり前に知っていたわけですが)。ただ、この「糊」は時間はかかるし、まぶたの皮膚が伸びて将来垂れるといった副作用もあるそうで、ならば糸を抜けば元に戻るとされるある種のプチ整形の方がいいのか(医学的な作用、副作用についての情報の正確性は担保できないので、表現はぼかします)。いや、そもそも二重=カワイイというルッキズムをどうにかしようよ、などいろんな意見がありました。

ただ、介護メイクなど、外見を美しくすることで心が救われることがあります。10代の秀野少年のやけどは、40代の秀野中年から見れば、もうどうでもいいことですが、当時は深刻な悩みでした。広告の惹句は「たって3年の高校生活。1秒でも長くカワイイ私で過ごしたい」。 うう~ん。

形成外科の定義に、16世紀イタリアの医師のこんな言葉があるそうです。

我々は、自然が与え、運によって奪われた部分を復元、修理、そして完全にする、目を楽しませるためではなく、苦しんでいる人の精神を高め、心を助けるために

人工的な癒やし?

最後の横糸が映画「ナミビアの砂漠」です。
21歳の女性主人公は美容サロンで働いています。そこには全身脱毛する中年女性や、大学に入学したての10代の学生たちが体験脱毛しようとする場面が描かれます。 監督はあるインタビューでこう語ります。

脱毛サロンって、資本主義とルッキズムがかたく結びついた、東京の象徴(中略)若者ほど、その強迫感に取り込まれやすい(中略)カナ(筆者注:主人公)の場合は、サービスの提供者としてその構造に取り込まれているわけですね

映画3.0 集英社オンライン

この主人公がスマホでしょっちゅう見ているYoutubeが、ナミビアの砂漠です。砂漠の人工水飲み場を固定カメラでひたすらLive中継している実在する番組です。

動物が渇きを癒やしに人工水飲み場にくる、その人工的な映像が(東京などの)渇いた現代人の癒やしになっている、のかどうかは映画を見てみてください(FBコメントは映画未見でも大歓迎です)。

ちなみに主人公は美容サロンを辞めます。美容がコンサマトリーだといった批判的思考に基づいてインストゥルメンタルに辞めるのではなく、突然コンサマトリーに辞めます。

Facebookグループのコメント欄で話したいこと

愛媛インバウンドの「ここでしか」をここで回収します。逆説的に人工的につくってしまうとどうでしょう。
Natural (自然な、生まれついたもの)が価値が高いでしょうか。
Plastic(人工的な、形作られたもの)を誇るのはまずいでしょうか。

さて、そんなこんな思考のジャーニーを経て、あらためて老若男女の皆さんに今回の問いです。

整形って、どこまで、誰なら、アリ?ナシ?

ABOUT ME
秀野 太俊
3年間の愛南町赴任を経て、2022年4月から再び松山市勤務。記者(ライター)職のままですが、所属が編集局から営業局になりました。種々の問い合わせ随時受け付け中です。
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