※このコラムは、大賞をいただいたこのコラムの、その後。を意識して書いています。※
皆様。
コラムはちょっとお久しぶりになります。
相も変わらず説明がめんどくさいCHAOSな生き方をしている岡田です。
最近、本職内でもパラレルワークしまくっているのですが、それはまた次に置いといて。

自分の職能を越境していろんな活動をしていると、ありがたくもいろんな領域の方からお声掛けいただいたり、職能上の立場が変わったり、新しい肩書をいただいたりするのですよ。
そうなると、岡田なりに、
「○○の立場だから、こう振る舞わなきゃ」
「この肩書きがある以上、もっと頑張らなきゃ」
って思うのですが、
ここ数年、なんと私から大事なあるモノがなくなってきてしまってるのです。
それが

やる気です。
(「え?岡田が?」って思わないで。個人の見解ですが、本当に最近やる気なし子になってるんです。)
「やらなきゃ」 に縛られた国で生きるわたしたち

日本には、「勤勉であれ」「他者のために尽くせ」「努力は美徳」という価値観が根付いています(私もです)。仕事でも家庭でも、「やらなきゃ」という言葉が前提になり、それが社会の秩序を支えている側面もあるように思います。
その使命感が、その人を突き動かすこともある反面、「私がやらなきゃ」が溜まってきて、「やらなきゃ」に追われている。やるべきことが山積みなのに、手につかない。それどころか、どんどん自分を責めて、動けなくなっていく。

「おいおい。私は、ダメな人間なのか?」
「やらなきゃ」と思いすぎる人が、最も動けなくなるパラドックス

「やらなきゃ」と強く思う人ほど、実は動けなくなることがある。これは精神的な問題だけではなく、神経科学的にも説明がつくようで。
発達特性のひとつとして知られるADHD(注意欠如・多動症)では、脳のワーキングメモリ(作業記憶)の機能が低下しやすく、タスクが多すぎるとパンクしてしまう。普通の人よりも、「やらなきゃ」のプレッシャーがかかると動けなくなることが多い。うつ病やバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥る人の多くは、もともと責任感が強く、「やらなきゃ」と思いすぎる傾向がある。真面目で勤勉な人ほど、タスクを抱え込みすぎて、自分の限界を超えてしまう。
これは、自己犠牲を美徳とする日本社会の価値観とも深く結びついている感覚があって。「みんな頑張っているのだから、自分もやらなきゃ」という圧力が、心身の健康を削っていくのでは、と思うのです。
それって、幸せなのかなぁ。
「やらなきゃ」を減らしたら、「やれること」も「やりたいこと」も増えた

ここで岡田が試してみたのが、「やらなきゃ」の棚卸し。
まず、リストアップしてみた。「やらなきゃ」と思っていることを全部書き出して、その横に「これ、誰かに任してもよくない?」と問いを立てる。
すると、驚くほど「本当にやる必要がないこと」が出てきた。
削れるものを減らしていくと、「やれること」が増え、さらに「やりたいこと」にも手を伸ばせるようになった。「やらなきゃ」を減らすことで、「今、やりたい」と思うことに意識を向けられるようになった。すると、やる気も自然と湧いてくる。
義務感に追われる日々から、「これ、やってみようかな?」と自分の心の声に素直に従う日々へ。
結果として、「やらなきゃ」を減らしたら、「やれること」も「やりたいこと」も増えた。

もちろん、「やらなきゃ」ゼロで生きるのは現実的には難しい。でも、「本当にやらなきゃいけないこと」と「思い込みでやらなきゃと思っていること」を分けるだけで、人生の自由度はぐっと上がる。
そして、何より。
ちょっとラクに、ちょっと楽しく、生きられる。
そもそもみんな、行動の起源は、「やりたい」から、始めたことばかりなはず。

以前、ワーク・ライフ・バランスがストレスっていうお話をしたと思うのですが、仕事のなかでも「やらなきゃ」の意識を減らすことで、生き方もモチベーションも変わる気がするのですよ。もっとも今の仕事を選択したのって「やりたい」から始まった人がほとんどだと思いますし。
けれど、いつの間にか「やりたい」ではなく「やらなきゃ」に置き換わってしまっている。それが重くなりすぎると、仕事そのものが苦しくなってしまう。
「やりたい」ことを増やすために、「やらなきゃ」の呪縛を少しずつ解いていく。
そうすることで、自分の人生をもっと楽しめるのではないでしょうか。
「やらなきゃ」を減らしたら、「やれること」も「やりたいこと」も増える。
これって、案外シンプルな話なのかもしれませんね。
「やらなきゃ」の呪いから少しでも解放されたい人。

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