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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

SDGsエッセイ

アートの世界に「障害者」「健常者」の概念って必要なの?

はじめまして、あるいはご無沙汰しております、中里美咲です。

前回のコラムからだいぶ時間が開きましたが久々にエントリーして、今回で3回目になります。

さて、今年は最近まで暑い日がありましたが今は10月、秋ですね!

秋と言えば皆さんは何を思い浮かべますか?

食欲?スポーツ?レジャー?それとも読書?

私は真っ先に「芸術の秋」を思い浮かべますね♪

・・・ですが、とある芸術について私はほぼ毎年この時期になると考えてしまうことがあります。

それは、「障がい者アート」。

県の文化祭などでも「障がい者アート展」が開催されますが、このことについて私が思っていることを書いてみますね。

その前に、前置き。

①あくまで中里の私見であり個人的な考えを述べているので、「障がい者アート」に取り組まれている方々自体を否定するものではありません(結果的にそう捉えられるような書き方をしていたらスミマセン)。

②中里自身、発達障害という生まれつきの障害を抱えています。診断名はADHD(注意欠如多動性障害)でアスペルガー傾向ありです。今回は詳しい説明を省略させていただきますが、要は障害のある当事者が書いているコラムだ、ということです。

さて、本題です。

正直に言って私は、「障がい者アート」が好きではありません。

理由は大きく2つ。

①障がい者に対する正しい理解につながらない気がするから。

②障がい者のなかのエリートを決めるようなものだと思っているから。

それぞれの理由を述べます。

「障がい者アート」を通して障害者への理解を深める、というけれど…

まず①について。

今回、このコラムを書くにあたって「障がい者アート」について調べました。

「障がい者アート 目的」でググると、AIによる要約でこんなふうに書かれていました。

・障害者の自立と社会参加を促進する

・障害者への理解を深める

・人と人との垣根をなくし、多様性の理解を促す

・障害のある人の個性を発揮して、心豊かに生きることができる社会を創造する

うん、なるほど。

「障害者の自立と~」のくだりはまだ分かるのですが、その下の「障害者への理解を深める」「人と人との~」の部分に首をかしげる私。

というのも、テレビで障害のある方のアート作品展の話題になったとき、そこへ来場している方々の多くが「障害があるのにこんな素晴らしい作品を作れるのがすごい、感動した」という反応をしておられるのを見たことがあるのです。

はい、そこ、何か違和感を覚えますね・・・。

「障害があること」と「素晴らしい作品を作れる」ことは本来、切り離して見るべきだと私は考えています。

例えばとあるアーティストの作品が何の情報もない状態だと評価されなかったのに、「障害者が作った」という情報を付加したとたんに「すごい」「素晴らしい」「感動した」と絶賛されたとしたら。

その作品を「すごい」「素晴らしい」と感動する感性や作品そのものの価値に「障害者が作った」という色眼鏡をかけて見るのは、本質とは違うのではないでしょうか。

その時点で健常者目線から障害者を見下していると感じてしまいますし、

「健常者」と「障害者」の垣根が生まれてしまっているように私は思います。

障害者だって一人ひとりがオンリーワンだ!

もうひとつの理由、②について。

「障がい者アート」の作品展では応募作から選考を経て展示されるものとすべての応募作が展示されるものの両方がありますが、いずれにしても多くの場合は審査員によって入選作が選出されますし、来場者の投票によって賞を決めることもあります。これは一般の作品展でも同様でしょう。

しかし、「障がい者アート」の作品展でそれをすることは、障害者のなかのエリートを決めることのように私は捉えます。障害者と一口に言っても様々な種類があって、同じような種類の障害者でも障害の程度はいろいろあります。当然ですが障害者一人ひとりがオリジナルの個性の持ち主であり、障害の種類や程度によって優劣、ましてやエリートの障害者など存在しません。それなのに「障がい者アート」から審査や投票によって展示作品の選出や入選作(たいていは入選のなかにもランクがある)を決めることは、「選考を通過した人がすごい」「入選した人は障害者のなかのエリート」というような意識をしているのでは、と、ついつい考えてしまいます(考えすぎですかね?)。

「障がい者アート」から「ボーダレス・アート」へ

ちなみに。

「障がい者アート」について調べていたときに、滋賀県近江八幡市にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」という美術館の存在を知りました。

この施設では「障害者と健常者」をはじめとした様々なボーダーを越えていこうという取組をしていて、つまり障害者と健常者の作品が区別されることなく一緒に並べて展示されているのだとか。

そう!私が芸術の世界について理想としていることはまさにこれ、「ボーダレス・アート」そのものなのです‼

芸術作品の価値に「障害者と健常者」のボーダーは必要ない。障害者が作るアートはもっと、健常者の作ったそれと同列に扱われていいはずです。

いつか「障がい者アート」に代わり「ボーダレス・アート」でいっぱいの日本になることを願って…。

以上、私が「障がい者アート」について思っていることを書き連ねました。

とはいえ、「障がい者アート」を必要としている方々がいらっしゃるだろうということも分からなくはないです。

必要とされている限りは続いていくでしょうし、私がいくら願おうとも変わることもないかもしれない…とも思います。

あと、何か中里が「障がい者アート」について誤解や勘違いをしている、というのなら、ぜひコメント欄で指摘してくださいませ。

最後までお付き合いありがとうございました!

ABOUT ME
中里 美咲
1991年愛媛県宇和島市生まれ。2014年松山大学人文学部社会学科卒業。自ら発起人となり18名の仲間とともに2019年6月にアマチュア吹奏楽団「ウインドアンサンブルいよかん」を創立し、2021年5月まで初代団長を務めた。2022年1月現在、松山市在住だが同年5月には某愛媛県内自治体の公務員として再就職予定。
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