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たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

SDGsビジネス事業教育歴史

「いい人にいいタイミングで出会う」

はじめまして河野遼兵(こうのりょうへい)と申します。

僕の父は、愛媛県伊方町(旧瀬戸町)出身の世界的な冒険家である故・河野兵市という冒険家です。小さい頃からサッカーをやっており、プロ選手になることを目標にしておりました。その中、選手ではなくビジネスという視点でスポーツを支えていきたいと思い、大学院へ進学しスポーツビジネスを専攻しておりました。

その後、新潟県にあるプロサッカークラブにて約3年半勤務し、現在もスポーツビジネス(スポーツマーケティング)に携わっております。

昨年より自分の事業を進めており、愛媛県においても少しずつでありますが活動しております。

今回、ご縁あってコラムを書かせていただくことになりました!

※細かな自己紹介はメンバーページを見てください ⇒ https://tateyo.co/?author=365

つたない文章ですが、皆様の大切な時間を割いていただくわけですから楽しいコラムであるべきです

本コラムを読んだ後には、「前向きな気持ち」になっていただける内容になっております

そんな気持ちになりたい方、僕について知りたいと思った方は、是非とも一読いただけますと幸いです。

なので、一生懸命に書きますっ!!!時間がない方は、また今度、時間があるときに読んでみてください!!!

また、読んだ方は感想などコメントをいただけると嬉しいです。

本コラムでの学び

①失敗ばかりのなかでどんなことをしたのか

②自分のやりたいことを実現するためには何が必要なのか

本コラムの構成は3部構成

①スポーツを仕事にする

②冒険家の息子の僕なりの『冒険』

③まとめ「何が発見であったのか」

①スポーツを仕事にする

2019年に早稲田大学の大学院※ に進学し、スポーツビジネスを専攻しておりました。

それこそ、大学院は首席で卒業をしてまして、卒業しての時は沢山の生徒の前で表彰をされました!

また、アメリカにある「メジャーリーグサッカー」というプロサッカーリーグを研究対象にしておりました。最近ですと、メッシが本リーグに移籍したこともあり、さらに注目されるリーグでもあります。僕の研究も、当時は新しい題材でもあり、2019 年2 月第6 回日本スポーツ産業学会第6 回冬季学術学会若手研究者の部にて最優秀賞を受賞しました

大学院ので学びを活かすべく、ご縁があった新潟という地で新卒からアルビレックス新潟レディースにて勤務をしておりました。

新卒でプロスポーツクラブ(球団)で勤務

それも、マーケティング担当で、自分が主軸となって事業を進めていくポジション

スポーツを経験してきた方からすると、とっても憧れるお仕事です。

アルビLは、分社独立したばかり、いわばスポーツベンチャー企業でもありますのでやりがいもあります。プロリーグへの参入、プロリーグの初年度を運営していくなど、社会人1~3年目が担当できる領域以上にたくさん業務を担わせていただきました。

(死ぬほど大変な思いもしましたが)本当に「かけがえのない時間」でした。

※早稲田大学大学院は、学科や所属する研究室によって入学の制度がそれぞれ存在してます。僕の出身である平田竹男研究室では、社会人として1 年間で修士号を取得できる1 年制コースと2 年間で修士号を取得する2 年制コースの2 コースがあります。経済界で活躍する社会人やトップアスリートが入学されており、僕のような一般学生と一緒に肩を並べて研究を行います。社会人・アスリート・学生とそれぞれの立場のものが集まるからこそ、化学反応も起き、深い学びとつながりを創出にすることが狙いです。卒業生には経済界で活躍される著名人や元読売巨人ピッチャー桑田真澄 氏などのアスリートが学びの門を叩いております。同期入学には、アルビレックス新潟の創設者である池田弘 氏、青山学院大学駅伝部監督原晋 氏、EXILE TETSUYA 氏、アテネ五輪柔道無差別級金メダリスト鈴木桂治 氏などです。元トップテニスプレーヤー伊達公子氏、元全日本バレーボール代表監督植田辰哉氏ともに修了(卒業)をしました。

そんなカッコイイ自慢話をしたいわけではありません。。。

僕の人生は、本当に失敗しかないです。

沢山怒られて、沢山手厳しく指導されてきました。

だからこそ、僕が経験した失敗談をお伝えしたいんです!!

(上記からすると)ハイスペックな人材のように感じるかと思いますが、失敗の連続です。

例えば…

・現役での大学受験は失敗し、1年間浪人を経験

・浪人したにもかかわらず合格したのは滑り止め大学のみ

・技術も気持ちも続かずサッカー選手・フットサル選手にはなれず

・就職活動も思い通りにいかない

・大学院に進学してもミスばかり

全然うまくいかないことばかりです。

就職活動という点に絞って失敗を振り返りるなら、大学4年生のとき、いいなと思う企業からは、「不合格・不採用」の連続でした(50連敗くらいです)。

えげつないことに、大学院2年生のときも「不合格・不採用」の連続でした…

適正検査・書類選考、グループディスカッションという初期段階で不採用になることも多く、自分の想いを採用担当に伝えることさえできません状況でした。

今振り返ると不採用の理由は、

1、志望している企業に対して、自分のスキルや能力、経験が見合っていなかったこと(高望み)

2、自分自身が「不一致」していることに気づいていないこと(←これはマジ深刻でした)

3、自分をきちんと理解・分析することもできていなかったこと(浅はか)

です。

なので、何度やってもミスの連続です。

次第に心も疲れてしまい、行動も減ってしまいます。

すごく辛くて、鬱っぽくなって、人と接するのが本当に嫌な時期でした。

例えるなら、ビジネスパーソンとして目の前の目標・売上・KIPに対して、やり進めなくてはいけない。けど、成果が伴っていない、立ち止まるのも怖い。だけど、気持ちも続かない…。そんな負のスパイラルです。

そんな当時のダメな僕でした。。。

そんなダメな僕でしたが、「立ち止まること」をやってみました

単純に「立ち止まって『考える時間』をつくる」。それだけです

少しだけ工夫をしたのは、自分の頭で考えるのではなく、周りにいる人に相談するということでした

カッコ悪いし、恥ずかしいし、なんかダサい否定されるかもしれないから怖いそんな気持ちで不安でした

でも、「素直な気持ち」で周りにいる人へ相談をしてみるようにしました。

大学院2年生の夏、大学院の卒業生との会合があり、恥ずかしいけど今の実情を卒業生の皆さんへ素直に話してみることにしました。

「僕、就職先がまだ決まっていないんです…」と伝えました。

同期入学をしたアルビレックス新潟の創設者の池田弘 氏から「本当はどうしたいんだ?」と聞かれ、

素直な気持ちで「スポーツをやりたい、自分で事業を創りたい」と伝えました。

そしたら、その場で「おめでとう!明日新潟に来れる?」と手を伸ばしてくれました。

びっくりもしましたが、その場「はい!行けます!」と伝えました。

どんな仕事をするか、何をするか、なんて全く決まってません。

けど、「こんな僕に手を差し伸べてくれるのであれば、掴むだけ!」そんな思いで「はい!」と返答をしました。

すると、おもしろいようにトントン拍子で話が進んでいくんです!

翌日、翌週には、人事の方と会い、面談を行いました。

僕が入社する数か月前に、アルビレックス新潟レディースは、Jリーグ(男子)アルビレックス新潟から新プロリーグ参入に向けて、分社独立したタイミングでありました。そのため、人材を求めている状況でした。

そして、池田弘 氏から「アルビレックス新潟レディースで立ち上げをやってほしい」と話がありました。

答えは「YES!」の一択でした。

でも、心の奥にあるのは、「少しの不安」です。

新潟で、女子サッカー、大丈夫か…。そんな不安がありました。

けれど、池田弘 氏からもう一言ありました。

失敗していいからやってみなさい

僕はこの言葉に背中をドンと押された気がしました!

これまで迷い不安に感じていたものが吹き飛んだ気がしました。

失敗してもいいんだ!こんな機会をいただけるならやってやろう!

失敗してもどうにかなる!そんな覚悟が決まった瞬間でもありました。

実際にアルビレックス新潟レディースに入社してみると、パソコンもなければ、名刺もない、机すらない…本当に何もない状況でした。

でも、迫りくる試合を準備しながら、一つ一つを揃えていくことは緊張感と責任の伴う仕事であり、とてもエキサイティングでありました。

②冒険家の息子の僕なりの『冒険』

スポーツビジネス、プロスポーツクラブでの仕事は、本当に充実したものでした。

これまで喉から手が出るほどやってみいたいと思った仕事に携われる。発展途上のリーグ・クラブをどうやって素敵な空間にしていくのかを想像(創造)していくことはとても楽しい時間でした。四六時中、サッカーのことを考え、行動していくことには難易度も高く、成果を出ないもどかしさがありましたが、仕事ができることそのものに楽しさと責任を感じていました。

それこそ、新潟という地には知り合いもは誰もいない環境です。

そのため、自己紹介や生い立ちを話す機会が多々ありました。そのたびに「えっ冒険家の息子?」「早稲田の大学院を首席で…トップで卒業??」「サッカークラブで働く?」と驚かれることがありました。

そんな中、「新潟のアニキたち」と言える方々に出会ったことが大きな変化がありました。

「新潟のアニキ」たちに、はじめお会いしたとき、いつものように自分の生い立ち・学歴・仕事などを一通り話した時、新潟のアニキたちから言われたのは

河野くんは、自分のことをやった方がいい

河ちゃんは、今話している内容の方が目が輝いているよ

応援するからやってみなよ!

そんな言葉でした。

その時、新潟のアニキたちがいいね!と背中を押してくれたのは、サッカーやスポーツではなく「家族の話であり、父のこと」でした

「僕の話を聞いて楽しいと思ってくれる人がいる。

僕も話ができて楽しい。

こんな経験ができたのは、初めてだ。

自分の話を通じて元気を届けれるなんて、こんなにうれしいことはない!

と感じるきっかけでもありました。

父が亡くなったのは、2001年。今から約20年前です。

1997年日本人で初めて北極点へたった一人で歩いて到達した、偉大な記録をもつ世界的な冒険家です。

「そんな父の想いを後世に伝えていきたい」という想いに賛同していれたのがとっても嬉しかったんです。

そんな父が亡くなり20年の歳月が経ち、「父の活動拠点でもあった愛媛県においても父の活動を知る方も少なくなったなぁ」と感じます。
時代は流れ、移り変わるものですから知らない人が増えるのも当然です。

お恥ずかしい話ですが、僕も父についてよく知らない一人でした…。

2021年より愛媛県生涯学習センター内にある愛媛人物博物館にて、小さくでありますが父の常設展示というものが始まりました。

常設展示開催に伴い、今一度、父について調べ直してみました。

そしたら、一つわかったことがありました。

それは「オトン、めちゃくちゃカッコイイじゃん!!!」ということです。

調べれば、調べるほど「オトン、すげぇなー!カッコイイなー!」と思うんです。

自分の気持ちに真っ直ぐに『やりたいものはやる』と決め、やり抜くんです

簡単なことだけど、簡単ではないです。

父について調べてみると、名立たる山々を登頂したり、世界中を旅したり、と本当にカッコイイことばかりでした。

動機はとっても単純で「行ってみたい」それだけです。

もちろん、冒険の最中は、大変なこと、苦しいことばかりです。

それでも自分の想いのままに乗り越えて、やってのけていったんです。

そんな姿に本当にカッコよさを感じました。

社会人になり、自分のやりたいと思った仕事に従事していますが、自分に限界を決めて、楽な方に逃げたくなってしまいたくなるときがあります

だからこそ、感じるんです。オトン、カッコイイなと

そんなことを考えている中で一つやりたいことが見つかりました。

父が冒険の旅の中で考案していた童話を絵本にして、「愛媛の子どもたちに『冒険家 河野兵市』を知ってもらう機会をつくりたい」というものです。

制作費などの事業計画を作り、費用はクラウドファンディングを実施すれば、何とかなる!

父のことをよく知らない子どもたちに「河野兵市ってめちゃくちゃ面白いじゃん!こんな人がいたんだ!」と僕と同じように共感してもらいたい!

だからこそ、クラウドファンディングを実施することを決意しました。

この時もたくさんの方に相談をしてアドバイスをいただき、計画を進めていきました。

CFサイトページはこちら ⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/539051

※絵本も全ページ無料公開をしておりますので読むことができます

結果、目標金額100万円に対して、合計で260%のご支援をいただき、達成することができました!

昨年(2022年)には、愛媛県伊方町の幼児、小中校生、愛媛県内の社会的養護施設に約800冊の絵本を寄贈することができました。また、愛媛県だけではなく東京三鷹市などでも講演活動などを行い年間40回を超える地域訪問と延べ1500名を超えること皆様と交流をすることができました。

絵本の寄贈に関してのNEWS ⇒ https://youtu.be/4fMNXo1rdMk

③まとめ

このクラウドファンディングや地域活動の成功をすることができたのは、これまでの失敗経験があったからです。

こうして振り返ってみると、

立ち止まって、自分のやりたいことを考える、人に相談する、素直に想いを伝えること

それが成功の秘訣でありました。

そうしたことで、数珠つなぎで人を紹介してもらえたり、解決策が見つかったりしました。

だからこそ、僕は「いいタイミングでいい人に出会うことができたんだな」と思います。

1か月前、このコラムを書くなんて考えてもいませんでした。

たてヨコ愛媛の代表の稲見さんにご挨拶をいただき、今回の機会をいただきました。

これも「出会い」なのだと思います。稲見さん、ありがとうございます!

このコラムを読んでいるあなたも、もしかしたら、明日、素敵な出会いがあるかもしれないです。

そんなときは、ご自身の想いを素直に言葉にして伝えてみてください。

きっといい出会いにつながるはずです。

最後に、父であり、冒険家の河野兵市の言葉をお伝えして終わりたいと思います。

「冒険とは、今いるところから一歩踏み出す勇気のことだ」河野兵市

冒険は極地にいくことだけではないです。

河野兵市は、技術や体力があったから冒険ができたわけではないです。

河野兵市は強い「勇気」をもっていたから冒険ができたのです。

あなたがやりたいと思った時点で、「あなたなりの冒険」は始まっています。

是非とも、少しだけ勇気を出して、あなたの素直な想いを言葉にしてください。

その想いを大切に育んでください。

そうすることで、冒険は成功に近づきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

是非とも、ご感想をいただけると幸いです。

ABOUT ME
河野 遼兵
1993年生まれ、東京都育ち、ゆかりの地は東京都、愛媛県、新潟県です。 父は、愛媛県出身で、1997年北極点単独徒歩での達成という記録をもつ日本を代表する冒険家、故・河野兵市(こうのひょういち)です。母は、横浜中華街にて占い店「えがおの神様」を営む起業家です。 2019年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(スポーツビジネス専攻、平田竹男研究室)を首席で修了しました。大学院のご縁から、新卒にて新潟県にある株式会社NSGホールディングスへ入社しました。同年、株式会社アルビレックス新潟レディースへ出向し、スポンサーセールス、マーケティング(チケッティング・プロモーション)、広報、イベント運営を担当しました。女子サッカー・女性スポーツから新潟、日本中へ元気を届けるような業務です。同クラブは2019年にJリーグアルビレックス新潟より分社独立した言わばスポーツベンチャー企業であり、2021年より開幕する日本女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」へ参入が第一目標でした。資本金の増資や営業収益の拡大を行い、無事にプロリーグ参入という目標を達成し、初年度をマーケティングリーダーとしてプロリーグ初年度を経験しました。 2022年株式会社アルビレックス新潟レディースの出向の任が解け、NSGホールディングスへ帰任。ハウスエイジェンシー・広告代理店株式会社アイ・シー・オー(現職)へ転籍し、Jリーグアルビレックス新潟をはじめとするスポーツクラブのスポンサーセールス業務にあたっております。 加えて、副業(家業)として、母が経営する株式会社こころに夢(河野兵市の商標権を管理事業)取締役を拝命し、母の占い店の手伝い、父である冒険家河野兵市の想いを後世に伝える事業を行っております。主な活動は、講演会、絵本制作、展示会の開催です。2021年4月には愛媛県松山市「生涯学習センター人物博物館」へ常設展示を開館しましたし、父考案の童話『おうちへ帰ろう』を絵本に自主出版し、愛媛県の子供たちへ無償で寄贈するクラウドファンディングを実施しました。2022年度では、講演会やイベントなどの地域訪問は40回を超え、延べ1,500名の方々と交流をしました。 将来は、両親同様に自らの冒険へ挑戦を行いつつ、起業家・事業家になることを夢みております。
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