みなさん初めまして、愛媛発のサステナブルファッションブランドで起業を目指しています白石綾(しらいし あや)です。
今回が初タテヨココラムの投稿なので自己紹介を交えながら、なぜ私が愛媛発のサステナブルファッションブランドを作ろうとしているのかをお話させていただきます。少し長くなりますがお付き合いいただけると嬉しいです。
憧れの「ファッションデザイナー」になるまでの道のり。
小学生の頃の夢は、「世界で活躍するファッションデザイナーになること」でした。18歳で地元 新居浜を離れ、大阪のファッション専門学校に入学。卒業後は、東京のアパレル企業で働きはじめました。商品企画の職種で入社しましたが、初めは顧客ニーズを掴むために販売からと言われて2年間百貨店での販売を経験。3年目に、オフィスカジュアル系のブランドで晴れてファッションデザインの仕事を始めました。
ブランドの顔であり売上の源である商品づくり、絶対に妥協しない姿勢を学ぶ。
商品企画をする上で、イメージしていた通りのデザインに仕上がっているか、値段相応のクオリティをお客様に届けられるか、着心地が良く女性を美しく見せられるかについて、絶対に妥協しないことも上司や先輩方から徹底的に学びました。
店舗スタッフがお客様からいただく生の声を活かしながら1点1点 商品を企画する毎日。職場の雰囲気も良く自分の好きなデザインの世界で働けていて、はたから見たら文句なしの生活だったと思います。
やりがいのある仕事。なのに、なぜアパレル業界から離れることを決意したのか。
子どもの頃の「世界で活躍する」という夢は少し形を変えましたが英語を習得したいという気持ちは捨てきれず、デザインの仕事を一通り経験したら語学留学に行く。と決めていました。
当時の職場は働きやすい環境でしたが、すでにその時に服の生産の現場に再就職しない!と周囲に宣言していました。
そう思うに至った理由は、大きく2つです。
1. 納期や値段などの無理な交渉を取引先に行う自分
2. 売れる時期が過ぎ倉庫に戻ってくる過剰在庫の山
言い換えると、取引先に無理を言ってまで生産する、そうして出来た服も大量に売れ残り必要とされていない。という現実にぶち当たった、ということです。
もちろん全てがうまくいったなと思う瞬間もあるのですが、こんな風に作っていて良いのかという気持ちが拭いきれませんでした。
自分の経験と業界の課題が重なった瞬間、罪悪感で心がいっぱいになった。
長くなるので割愛しますが、時は流れて留学から帰国後2019年にお付き合いしていたイタリア人の男性と結婚し、イタリアに移住することになりました。
移住後すぐにコロナ禍となり、当時のイタリアは外出規制が厳しく家の外にも出られない状況でした、そんな中私がやっていたこと。といえば、Youtubeを見漁ることでした。笑
たまたま見た動画で、現代社会の服の生産と消費がどのように地球環境に結びついているのかが解説されていたんです。
それは自分の経験と業界の課題が重なった瞬間でした。
先ほどの私がアパレル業界から離れた理由の延長線上には、こんな大きな事故や社会問題がありました。
1. 納期や値段などの無理な交渉を取引先に行う自分
→ラナプラザ崩壊事故
バングラデシュ首都にある商業ビル「ラナプラザ」には世界的なアパレルブランドの下請けをする縫製工場が複数入っていました。違法建築で建て増しされた8階だてのビルは、事故前日には危険な亀裂が見つかり、ビルの使用停止が警告されていました。それにも関わらず、ビルのオーナーはそれを無視し操業。縫製工場の経営者たちも、発注元のブランドからの契約停止を恐れ、従業員をそのまま働かせ続けました。結果2013年4月24日午前9時ごろミシンの稼働と同時にビルが一気に崩壊し1,100人以上の方が亡くなりました。
詳しくはこちら:https://eleminist.com/article/783
2. 売れる時期が過ぎ倉庫に戻ってくる大量の自分が生産に関わった洋服たち
→アフリカ大陸にたどり着く捨てられた服たち
先進国で消費された古着はパキスタンやインド、マレーシアが多く輸入しています。そこでも買い取り手がなかった場合、さらに別の国に輸出されます。最終的に誰にも買われなかった衣服がチリやガーナなどに送られているとみられてます。西アフリカのガーナでは、毎週1500万着もの古着が輸入されていますが、約4割がゴミとなります。それらは町中に放置され有毒ガスが発生するなど周辺に住む人たちの健康と安全を脅かしています。
詳しくはこちら:https://www.bbc.com/japanese/video-58839356
ミラノでサステナブルファッションの基礎を学び、日本で国内の事情を深く理解した2年。そして日本に帰国することが決まる。
調べていくうちにこれらの課題を解決しようとする動きもあることが分かりました、まずは体系的にこの問題について学ぼうと決め2019年Milano Fashion Instituteでサステナブルファッションのコースを受講しました。
イタリアをはじめとした欧州では企業が個々に企業努力をするだけではなく、何社かが組合をつくり業界全体の課題として解決に取り組んだり、非営利団体・各省庁との連携も測っていたことに深く感銘を受けました。
徐々に「では日本はどうなっているのか?」という疑問が湧き、受講したのが長年アパレル業界の労働環境の改善に関わってきた青沼さんが代表理事を務める一般社団法人鎌倉サステナビリティ研究所(以下、KSI.)のサステナブルファッション講座です。この講座が「自ら変化を起こす人(チェンジメーカー)になること」を目的としていたこともあり、自分がファッション業界の課題にどう関わることができるのか自然と考え始めていました。
同時期に家族の事情で日本に帰国することが決まり、もう一度自分の生き方を考えた時「自分の時間と能力を持続可能な社会の実現のために費やす」というのは最低条件でした。
日本での再スタート。もちろん既存の大きな企業やファッションブランドで経験を活かしながら仕事をすることも考えましたが、自分がそれぞれの生産工程の方々と直接繋がり、サステナブルな会社経営の一例になることが、これからの社会全体にとってより良い流れを生み出すことになれるのではないかという考えに至りました。
帰国から現在までは、ワークショップや勉強会などのサステナブル関係のイベント企画を行う。
講座がきっかけとなり、現在はKSI.のイベントや広報などのお手伝いをさせていただきながら、起業準備を進めています。
2年ほど前から講座を通して知り合った仲間と任意団体を立ち上げてサステナビリティについて情報交換する場を運営したり、同じ社会を目指す仲間と共同で勉強会やサステナブルファッション関連のイベントを企画するなどの活動をしています。
そういったご縁もあり、日本各産地のものづくりの現場に足を運んだり、各工程の現場で働く皆さんのヒアリングをさせていただくなど、日本のファッション業界のリアルなお悩みを聞いてきました。
なぜ愛媛で起業し、サステナブルファッションブランドをやりたいのか。
業界の課題はまだまだ山積みです。各地の課題を聞いていて、何か一緒にできることがあるんじゃないか。と思うことはたくさんありました。ですが、「私だからこそ解決できる(=私がやりがいを持って臨める)ことなのか」という自分への問いにピンとくるものはなかなか見つかりませんでした。
でも、地元愛媛でやれることがあるんじゃないかと考えた時に、スッと受け入れることができたんです。
これは18歳の時に「ここでやりたいことはできない」と県外にでた自分への挑戦でもあります。県外、国外に出てはじめて分かったこと、経験と知識を活かして愛媛でチャレンジしていきたいです。
愛媛県も今治タオルを代表するように繊維産業が盛んで、素晴らしい職人技術がありますし最新の研究開発もなされていますよね。まだこちらに帰って来て日も浅く勉強不足ではありますが、たくさんの可能性を感じています。
今ある美しい自然を後世に引き継ぎ、地球に住む全ての人が安心安全で心身豊かな生活を送れるようさらに発展をする社会を目指す。
さて、ここまで”サステナブル”という言葉を何度も使ってきましたが、英語の言葉でよく分からないですよね。
私は「サステナブルってなんですか?」と聞かれたら、「今ある美しい自然を後世に引き継ぎ、地球に住む全ての人が安心安全で心身豊かな生活を送れるよう、さらに発展をすること」です。と答えます。
自分の孫の世代に「おばあちゃんは昔なにやってたの?」と言われた時に、「こんな社会を目指すために働いていたんだよ。」と胸を張って言えるおばあちゃんになりたいです。
ブランドを通じて、持続可能な社会をつくる仲間を増やしたい。
正直、自分一人でファッションブランドを経営していても、この社会は達成できないと思います。
私の事業は、まずは愛媛、そしてファッションからですが、この社会を目指すのに業界や立場、住む場所などは関係ないと思っています。たくさんの方と協力し、知恵を出し合い、より社会的なインパクトを与えられる方法に挑戦していきたいです。
今はまだまだ遠い夢みたいな話ですが、私の会社で働く中でノウハウを身につけ自分の関心のある分野で活躍してくれる仲間も増やしていけたら最幸だなと思っています。
最後になりますが、夢は大きいけどまだまだ皆様のお力添えが必要です!
こんな感じで夢は大きいのですが、経営スキルも仲間集めもまだまだです!こんな社会を目指しているなら、一緒に何かやろうよ!話だけでも聞いてみたい!などお声がけいただけますと嬉しいです。
私もサステナビリティを学び始めてから早4年目、まだまだ日々勉強中ですがお手伝いできることもあると思います。同じ社会を目指している人のお力になれるようであれば何でもやります!ぜひお声がけください!