Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイライフスタイル

最後のディナーは鯛めしで♡ 

コラム投稿1回目で緊張します(;’∀’)
まだお会いしたことのない方、松山出身の安藤志珠です。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年1月2日夕方

仕事を始めてからほとんど料理をしなくなった私が久しぶりに台所に立った。
簡単で、一番失敗のない料理にしよう。
よし、土鍋で鯛めしだ!(本音:簡単なのに見栄えがいい)
付け合わせは茶碗蒸し!(本音:何十回も作ったから余裕~♪)
あ、冷凍庫に串揚げセットがあった。よっしゃ揚げもの!

「お母さん、今日は私がご飯つくるね。」
「本当?何つくるの?」
「鯛めしと茶碗蒸し。」
「素敵♡お父さん、茶碗蒸し好きよ♡」

おーーっ豪華な晩御飯が完成。
実家のキッチンで一人奮闘していた私。父は居間でテレビを見ていて、母は隣で100均のナンプレを真剣に解いていた。料理完成10分前に夫を電話で呼んで、みんなで晩御飯。平和なお正月となんでもない日常。

これが最後の家族団らんになるなんて、想像できる??

松山へUターン

2019年末、私は愛知県から夫と共に松山へ帰ってきた。夫にとっては移住となった。そこまで自分を駆り立てたものの正体を実はわからずにいるのだけれど、おそらく母との最期の時間を過ごす為というのは理由の一つだったと思う。母は以前胆管癌を患っており、癌が再発していた。

移住して以来2022年の正月明けに母が亡くなるまで、私たち夫婦は母の手料理に本当にお世話になった。〇〇作ったから取りにおいで♪というLineにいつも心踊らされながら自転車で実家へ向かった。そして帰る時、母は私が見えなくなるまで手を振ってくれた。

思い返すと母と娘の関係は難しい時もあった。いや、むしろ大人になってからは難しいことの方が多かった。毒親本を読み、愛情を重く感じることさえもあった。子供の時に母親を癌で亡くした母は子育てに不器用だったのではないかと、自分なりに理解しようとした。そんな私だったが、今では不思議といつもそばで見守ってくれているような気がする。例えばこんなこと・・・

1.急いで出かけないといけないのにストッキングが伝線、母のタンスに新品があった。

2.仕事で訪問先に遅れそうなのにスマホの充電が切れそうだし、道がわからない。母の形見のスマホのナビを使ってちゃんと時間に間に合った。

3.お財布に手持ちがないけどATMに寄る時間がない。母から預かったお金がカバンに入っていた。

こんな風に、仕事でバタバタしている時、何か困った時など、いつもどこからか手が差し伸べられるような気がするのだ。

家族や恋人や友人との時間を大切に過ごせている?

2021年9月に母が余命宣告をされた時、私は現実を無視していた。そういった事は自分と自分の母には関係ないと事だと都合よく信じていた。だって、余命宣告なんて嘘っていう類の本がいっぱいあるよね?

それでも、時計の針をぐ、ぐ、ぐーーっと戻せるなら、余命宣告日に私は病院へ付き添っただろう。一人で受け止めるのって苦しすぎる。もっともっと美味しいものをいっぱい食べに行っただろう。テイクアウトより、コックさん来てよ!行きたかった温泉の予約をして、旅館の一番いい部屋に泊まって一緒にマッサージをして朝まで語り明かしてこれぞガールズトークを満喫する!

でも、現実はほとんど何もできなかった。開業後1年足らずの私にはいろいろな意味でそんな余裕もなく、自分のことでいっぱいいっぱいだった。(言い訳)ただ、どんなに忙しくても自転車で半分眠りながらでもほぼ毎日顔を見に実家へ帰った。そして、キッチンで何でもない話をして両親とお茶をした。余命宣告を信じてない自分の頭と、残された時間は少ないぞと本能的に感じている身体とがアンバランスな動きをとっていたように思う。

余命宣告の秋から冬が来るのはあっという間だった。気が付いたら年賀状の準備やクリスマス、お正月のシーズンを迎えていた。12月25日のクリスマスにオードブルを買ってきてささやかなクリスマス会をし、年末には鏡餅を一緒に作った。そして年が明けて2日の夜、容態急変で救急搬送され、母は5日後に旅立った。亡くなる少し前にその頃飲んでいた薬がすべて痛み止めだったことに気付いた。母の死後見つけたメモ帳には宣告日の医師からの一言が書かれていた。「これにて治療は終了。」この日からどれだけの不安を抱えて生活していただろうか、メモを読んだ瞬間キッチンで泣き崩れてしまった。

母の死後しばらくして私は父と同居するようになった。正直、最近はギクシャクする日々が続いてあまり口もきかなくなっていた。そんな生活がしばらく続いていた時、仕事の合間に急に母の墓参りに行きたくなり、百合の花を買ってお墓へ向かった。といってもあまり時間がなく、百合をシキビの間に差し込んで、「ごめん、時間がない、またね。」というひどい墓参りをしてしまった。(誤解のないように説明すると、元々墓参りは大好きなことの一つで、良いことも悪いことも報告に行ったりしている。)今日、帰宅するなり父がポツリ。「お墓に行ってくれてありがとう。」なんだか、心が緩んだ。どんな形であれ、お墓へ行って良かったな、と思った。父と私のことを母が心配していたかもしれない(泣)

家族って??

Ohana means family, family means nobody gets left behind. Or forgotten.
オハナは家族 家族はいつも傍にいる たとえ何があっても 『リロ&スティッチ』より

あーすればよかった、こーすればよかった・・・。いろいろと考えてしまうけど、後悔がゼロの選択肢ってある?
落ち込んで何も手につかなくなっていた時、しずちゃんが頑張っている姿を見ていたからお母さんは安心して旅立つことができたんじゃない??ってある人から言われた。そうだといいな。

料理や裁縫がとっても得意でそして何より、たくさんの人から慕われていた母。自慢のお母さんだった。実は母を助けたくて始めた法律の勉強。私はこの秋から新しい目標に向かってチャレンジすることにした。

最後のディナーは手作りの鯛めしでよかったよね??

気持ちを伝えて、ハグよ♡

このコラムを書くことは自分自身への癒し。
家族って時として残酷で、嫌なこともたくさんあったりする。
それでも、一緒にいられる時間は永遠ではないし、なんでもない日常やささやかな幸せを大切にして過ごしていきたい♡
それと、大切な人の前で意地を張るなんて、時間がもったいない!素直に気持ちを伝えてハグよ♡

最後まで読んで下さりありがとうございました。

ABOUT ME
安藤 志珠
日本人も外国人もみんなが幸せに暮らせる街づくりを目指している行政書士です。
PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com