Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

哲学を掘り下げ分解して見えた「3つの力」と鍛え方

前回の私のコラム すべてのビジネスパーソンが持っておきたい「編集力」とか考えてたら仏教につながった を読まれた方は、私の事を「面倒くせっ」とご理解いただけているかと思います

残念ですが、今回のコラムはさらに面倒の奥底「哲学そのもの」を探っていこうと思います。
念のため先にお伝えしておきますが、私は哲学科を出たとか哲学の専門家でもなく、ネットや本でかじった浅知恵と考察を迷惑考えずつらつら書いてるだけなので、ぶっちゃけ真面目に読むだけ時間の無駄です。(9,000文字近くあります!)

なので、タイトルだけさっと読んで、たてヨコ愛媛のFacebookプライベートグループで「哲ですね!面白かったです!」とかテキトーにコメントいただければ大喜びします。チョロいですね。

「哲学」とは一体何なのか?

それでもこのコラムを読み進めようとされる心優しいあなたのために一所懸命掘りますディグります。

「哲学ってなに?」私にこの問いが生まれたのは確か1999年〜2000年頃、専門学校生だったような。Yahoo!はありますが、GoogleもWikipediaもない。
きっかけすらも覚えていませんが、なぜか哲学に興味を持った私が噂を頼りに手に取ったのはドストエフスキー著「罪と罰」

上下巻ともに分厚めで「訳書は読みづらい。よーわからん。」と思いつつ、当時の私には物語以上に深堀りすることはなくで終わってしまいました。結局、哲学について深掘ることもありませんでしたが、学生時代の先生の勧めで「陰翳礼讃」や、サントリーのロゴ(「響」をモチーフにドット絵のようなマーク)などを作られた五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ)さんの書籍「デザインすること考えること」や広告批評や、陰翳礼讃から「著者の谷崎潤一郎はほかにどんな本を書いたんだろう」と純文学に寄り道したりしながら「本質とはなにか」「コンセプトと完成がキレイにつながるデザイン」に魅了されたりしていました。

いきなり現代に戻って2022年。
「風の時代」「VUCAな時代」「ニューノーマル」などなど予測不可能な世の中では、「正しい」とされていたことに対し、突如として「正しさとは?」と問われる時代になりました。(てゆーか「失われた30年」って言い方は、頑張ってた人達へのリスペクトがあまりにもなさ過ぎる‥)

ビジネス界隈でも「パーパス」「アート思考」「人間中心設計」「ゴールデンサークル」「哲学」といったエッセンシャル(本質)なキーワードが注目されている背景には、変数が多くなりすぎた現在の世界ではロジカル(教科書通り)さが成立しづらい事にみんなが気づき始めたからなのかなと思っています。

iPadを買ってからというもの、手書きであれこれ思考したりまとめたりする遊びをする機会が増えました‥

そろそろ話を戻し、我が家のアレクサに問います。

ちょうだ

アレクサー。哲学って何?

あれくさ

こんな説明が見つかりました。
哲学とは、原義的には「愛知」を意味する学問分野、または活動である。現代英語のフィロソフィーは「哲学」「哲学先行コース」「哲学説」「人生観/世界観」「達観」「あきらめ」などを意味する。

哲学を哲学する的な事を言いだした。頭痛が痛いかまえだまえだかチゲ鍋か。てゆーかあきらめって何さ。俺があきらめたいわ。

しかし、1つ気になるキーワードが出てきました。「愛知」です。って県じゃないよな?
アレクサはさらに説きます。

あれくさ

「愛知としての哲学」は知識欲に根ざす根源的活動の一つだが、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し、哲学は主に美学・倫理学・認識学という三つで形作られるようになった。

ちょうだ

なるほどね。わからん

僕ももうすぐ42過ぎのおっさんなので、ここで匙(さじ)をポイ捨てせず粘って掘ってみようそうしよう。

哲学の語源について調べてみた

よくわからないことは、一度根っこから順を追って辿ってみると「あーだからそうなってるのか」と理解しやすい。てことで語源から追ってみることにします。

日本語の「哲学」

「哲学」は1874(明治7)年に西周(にしあまね)による「百一新論」で最初に出てくる造語だそうで、様々なサイトで見たところによると、以下のような意味を内包するようです。

  • 真理を追求する知的営み
  • 世界の根源や本質を見極める
  • 知的他探求を方法的に進める
  • 愛知を意味する学問分野
  • 知を愛する。愛知の学というという意味

書かれていたことを抽出すると、日本語での「哲学」は動詞的だなと感じましたが、個人的には原義である「愛知」の方がしっくりきました。なぜか。それは英語の語源に由来します。

英語のPhilosophy(フィロソフィー)

「哲学」の元である英語「Philosopy」の語源は、古典ギリシア語「Philosophia(フィロソフィア)」に由来します。フィロソフィアは「愛」を意味する「フィロス」の動詞形「フィレイン」と、知(智)を意味する「ソフィア」が合わさったもので「知を愛する」つまり「愛知」を意味するそうです。やっぱり県ではない。

動詞(行為)的な解釈も好きですが、個人的には心の在り方や生き方といった曖昧さを含むフィロソフィア「知を愛する」の考え方が好きだなと思いました。

また、古代ギリシアの哲学者 アリストテレスやプラトンは「哲学は驚きから始まる」と説いたそうで、無知に対し恐怖せず包み込むような眼差しをもつ、といった解釈だと思うのも一因にあります。

人は、太古の昔からよくまぁこんな事延々と考えられますよね。きっと暇だったんでしょう。と思ったらこんな書籍もあります。暇な時に読んでるのでまだ読み終えてませんが。
暇と退屈の倫理学/國分 功一郎 (著)

言葉の意味を掘っていくと、少しだけ本質に近づいた気がします。しかし思ったのは、翻訳することで解釈が加わり、本質的な意味が多様化する可能性も感じました。
そういや訳せないことばをまとめたこの本、ステキですよ。
翻訳できない世界のことば/エラ・フランシス・サンダース (著), 前田 まゆみ (翻訳)

「在り方」と「行為」の哲学

どちらが「正しい」としてしまうと思考を鈍らせてしまいます。
語源(概念)について掘り下げた時に垣間見えた「在り方の哲学」「行為の哲学」2つの側面について、具体にするとどう違うのかを考えてみました。

在り方の哲学

哲学を「愛知」として捉え「心の在り方」と解釈し、もう少し平易に言い換えると以下のようなものが浮かんできます。

  • 知的好奇心
  • 考え方
  • 価値観
  • 解釈の枠組み(ナラティブ)

個人的には、ストレートに「知的好奇心」こそが哲学だと思いました。つまり「オラわくわくすっぞ」は哲学だといえます。人はこれをこじつけと言います。

行為の哲学

次に哲学を「行為」と捉えてみるとどうでしょう。
行為すなわち活動には時間軸が伴うため「思考すること」も同意と考えられそうです。
先述した「驚きは哲学の始まり」であれば「行為としての哲学」とは何か?とつなぐと「問うこと」だと考えました。どういうことか。

哲学は驚きから起こり(ゼロ地点とも考えられる)、「①問いを立てること」で文字通り起こる。
そして立てられた問いに対して、最後には「③解を出すこと」が求められます。

問を立て、解を出す。
この2つを結びつける要素として、さまざまなパターンの「解くべき問い(いわゆる式や方法)」を見つける必要があります。辞書やネットで調べたり、知ってることを引き出したり、組み合わせたり、違う角度から見てみたり、仮説を立てたり、試してみたり、あらゆる方法を探る。
それが「②問いを拡げること」です。

そして私はこの連なる3つを「問いにまつわる3つの力」と命名することにしました。勝手に。

この「3つの問いの力」を使う順番①問いを立て→②問いの解き方を拡げ→③定めた問いを解くなのですが、学校教育に置き換えると③実践により技術を身につける→②技術のパターンを知る→①自ら問いを立てるの順となっていると思われます。なぜか考えましょう。

学校での学習プロセスは守破離が元になってる?

学校では先生やテキストから教わる「解き方(お手本)」に習い、用意された問いに答えていく。
解くべき問いが明確であるほど、最終の解は限定的であり、同時に解き方も絞られます。
そして、その方が教える方も学ぶ方も効率よく進められますし、なにより「できた/できない」の判断がしやすいので評価もしやすい。

「詰め込み教育の典型」と言うと悪習っぽく捉えられてしまいそうですが、これが「このプロセスは、海外からも注目される、日本古来から存在する”守破離”という学習プロセスです」と言われると「なるほど理にかなっているなぁ」とかうっかり言ってしまいそうですね。逆輸入効果!

事実、学ぶ(真似る)を繰り返し体に叩き込み、簡単な問題も瞬時に解ける状態にすることは、次のステップに進む上でわりかし大事なことでもあります。(例えば、パソコンで文章を打つ時にいちいち「Rはどこだっけか」だと仕事が先に進まない)

「問いにまつわる3つの力」ってなんやねん

ひたすら「③問いを解く力」を求められていた小学校から、中学では数学や理科などの論理思考に徐々に触れたり、高校では倫理といった「複数の答え、複数の式」を考えるような「②問いを拡げ、掘る力」が求められるようになり、大学と進むと(私は専門学校卒ですけども)学びの本質である「①問いを立てる力」、「自分の頭で答えのない問いを考える」時間が広がっていきます。

そして、いよいよ社会に出ると、数年か半年か3ヶ月か‥あるいはいきなり「自分の意見」を求められます。ついこの前まで「正しい答え」を出せばよかったのが、「そもそも目的は何?」「なぜこれをするのか?」「なぜそう思うのか?」「正しいって何?」「お前は何をしにここに来た?」と、あなたの解釈を問われる。ちょっとまって意味分からん。立場が逆転さぁたいへん。

今まで指示されたことや、予測可能でロジックを組み立てて再現性のある未来(マーケティング思考の究極とも言えますね)が正解とされていたのに、そんないきなり「問いを立てろ」と言われましても‥。
と、いう声が聞こえてきそうです。

ですが心配しないでください。
実は「問いを立てる」ことは小さな頃からみんなが当たり前にやっていたことだったりします。
単に今は慣れていない、あるいは忘れてしまっているだけですので、脳の奥にあるマッスルメモリーの種に養分を与えれば、きっとまた元気に復活してくれるはず。

「問いにまつわる3つの力」を少し具体的に。

「①問いを立てる力」の鍛え方を探る前に、この「問いにまつわる3つの力」の理解を深めましょう。めんどくさいですね。以下のようになります。具体性の高い③から見ていきましょう。

③問いを解く力

式:4+4=◯
「この式の答えを求めよ。」といった具合の答えが1つしかないような問いに答える力。作業スピードと効率性が命。

職域的には技術者、作業者、オペレーターといった所になります。ちなみに見下してるわけではなく、このプロセスをきちんと理解しているからこそ再現が可能になるので、手順化、平準化、マニュアル化、自動化といった効率化が可能になります。

また、この力は守破離の「守」となる部分なので、「②問いを拡げ、掘る力」のステップへ進む前にきちんと押さえておきたいところです。でないと「型無し」になります。

②問いを拡げ、掘る力

式:◯+◯=8
やりたいこと、目的、実現したいビジョンは明確だが、どういった方法でこの問いを解けば良いのかを探る必要がある状態。実現させる方法(パターン)を探り、どの方法が現実的なのか、最適なのか、短/長期的にシミュレーションしたり、定めたり絞ったりする必要があります。
いわゆる企画や設計に関わるディレクターや課題解決型のデザイナー、エンジニアもこの領域での活動が求められます。

プログラミング思考が注目されているのは、まさにエンジニアが日常的に行う「解き方を編みだす思考プロセス」を身につけよう。という狙いかなと思います。

①問いを立てる力

式:◯+◯=◯
そもそもの問題は何?本当にこの問題で良いのか?「正しい」の価値観がくずれたらどうなる?
など、答えも式も問題も明快さがない状態。まさに現在ですね。そういった不確実で不安定な状況では、クリティカルシンキング(批判的思考)のように、「正しい」とされることに対して「ほんまでっか?」と前提を問いてみたり、SF作家が物語をつくるかのように「もし、世界が◯◯だったら」と想像しバックキャスティングしてみたり(実際、海外ではそういった開発手法もあるそうです)、目の前にある問題に対しての観察ではなく、問題そのものを思索するようなスペキュラティブ思考や、常識を横に置いて別の確度から問いを立てるラテラルシンキングといった、方法論はまぁいろいろありますが、とにかく柔軟な思考力が必要になります。

なぜか、3のときだけアホになる、世界のナベアツを思い出します。

結局のところ「問いを立てる力」はどう役に立つの?

町人Aさん

やいやいやい!

ちょーだ

おう。どうした?

町人Aさん

つらつらつらつら面倒臭ぇ話で煙に巻くような真似しやがってよう。
おめぇさんがさんざ能書きまくってる「行為の哲学≒問いの力」ってのは、結局のところ一体全体何の役に立つってんだい?

ちょーだ

その質問待ってたぜ!今回のコラム真打ち登場でさ!
専門家でもなんでもないオイラが思う「問いを立てる力がどう役に立つのか」をいくつか教えてやろうってばよ!

問いを立てる力が身につくと何ができるのか(期待値)

  • メタ認知能力・思考力が身につく
  • 物事に意味を見出し、目的意識を持つことができる
  • 意味がよくわからない経営理念の意味がわかる
  • たとえ話がうまくなる
  • 新しい知識や価値観を受け入れることができる
町人Aさん

おい。ちょっと怒られそうな書き方してねぇか・・?

結局のところ、上記のような「経営理念」「価値観」だけでなく「知識」も、哲学は抽象の領域に漂う思考です。見た・聞いた人によって解釈が異なるため、そこから具体に落とし込まれた時、人によって少しずつ形が異なる性質を持っています。

そしてこの流れでの「力を持つ」が何を指すかというと「伝えることができる」となります。
みむらさんのコラムにも書かれていた「ラーニングピラミッド」がほんそれ。

「相手が理解できるよう噛み砕き伝えられる=抽象的な物事をズレを少なくコミュニケーションできる」ことは、つまり抽象と具体の行き来が上手いということであり、思考としては先述のようなことができると考えました。
ここでまた1つずつ深ぼってみたい所ですが、めんどくさくなってきたキリがないので締めにもっていきたいと思います。

「真打ち」とか書いておいて中途半端かもしれませんが、ここに書いた役立て方はほんの一例であり、私の解釈であるので、この問いの答えは読み手であるあなた自身が導き出すことに意味があります。なので、ちょっといじわるかもしれませんが、ここで止めるのは読後効果を最大化するための策であり、決してめんどくさいからではありません。勘の鋭い方はもうわかりますよね。ただの詭弁です。

そういえば「最近の本は小難しく回りくどく変な言葉遣いして言葉の美しさや本質的な話を台無しにするような本ばっかじゃんかよ!」みたいなことが哲学名著と言われる「読書について/ショーペンハウアー」に書かれていました。

「問いを立てる力」の鍛え方を3つほど考えてみた

かなり脱線してしまいましたが、途中「問いを立てる力は、実は小さな頃は当たり前にやっていた」「今は忘れている/慣れていないだけで、呼び起こすことが可能だ」と書きました。
哲学を紐解き、具体化するための「力」の存在を示したので、最後に「それをどうやって身につけるのか?」を示したいと思います。

問いを立てるトレーニング①「強制哲学モード」

語尾に「〜とは?」をつけるだけの一番簡単な方法です。強制的に哲学モードが発動されます。

んなアホなと思った方。実際やってみてください。
どんなしょーもない事でも手軽に哲学がおっぱじまり、なぜか深く賢そうに振る舞うことができます。このトレーニングは、簡単に始めらるけど即効性のある上腕哲頭筋が鍛えられるtheコンビニエンス!

  • 学びとは?
  • 発見とは?
  • 知的好奇心とは?
  • デザインとは?
  • 猫とは?
  • 経営理念とは?

問いを立てるトレーニング②「好奇心の塊!なぜなぜモード」

3〜4歳の子どもが発動する「なぜなぜ期」を中途半端な知識と常識に凝り固まってしまった自分に発動させる方法です。さらに効果を出すには、単に発動させるだけではなく、大人気なくしつこく掘り続けることで思考の芯につながるインナー哲ッスルを鍛えましょう。

なぜ猫は可愛いのだろう?→なんで猫?→猫って何?→犬との違いは?→猫が寄ってきた時の「嬉しい」と犬のときのそれとの違いって何?→なんで猫は気分屋なの?→本当に気分屋なの?→実は‥

好奇心は鍛えられるのか?→好奇心とはなにか?→先天的か後天的か?→鍛えるとは後天的→後天的なら鍛えられる?→どんな方法が考えられる?→あなたは好奇心のプロとしたらどう答える?

ファシリテーションっぽいですね。

問いを立てるトレーニング③「ソクラテスプレイ」

ソクラテスとプラトンの漫才対話による問いを深める方法に習い(問答法を深堀りするつもりはないです)、2人以上グループで楽しく創発的に問いを深める方法です。誰ですかただの飲み会やんけとか言う人は。

最近ではたてヨコ愛媛で「哲子の部屋」という飲み会対話式哲学イベントが開催され、レポートも見る感じかなり楽しく熱量を帯びた時間だったようです。いいなー呑みが進みそう。
実際、ワークショップでも個人ワークとグループワークを交互に繰り返すことで、アイデアや発想も広がりやすくなると言われます。ジョグ&ダッシュのような、タバタ式のような。

このトレーニングにより、粘り強く長時間の思考にも耐えうる大腿哲頭筋が鍛えられます。だから次「哲子の部屋」するときもぜひ呼んでください。(前回は所用で参加できず)

さいごに:アイデアや創造性に関する書籍から得たもの

今回のコラムを書きながら、あるいは少し前から今回のテーマの穴掘りをしていました。
「どうすれば人は前向きに学習ができるのか」
「どうすれば人の知的好奇心を育てることができるだろうか?」
「人によって学習方法のコツは違うのか」
といったことを、あれこれ思考したり気になった書籍を手にとりながら、悶々と考えていました。

そのなかで今回のコラムを書き進めるにあたって思考の整理に役立った書籍の紹介と、その内容(引用ではなく書かれているニュアンスですが)をお伝えして締めたいと思います。

「アイデア」の原則と生み出し方が記されたバイブル

アイデアのつくりかた/ジェームス W.ヤング

原著は1940年頃で日本語版が1988年発行にも関わらず、今なお増刷し続けるアイデア発想のバイブル的書籍。
本編は1時間程で読めちゃう薄さですが(後半は解説で、ここも味わい深い)、本質的かつ具体的なアイデアのつくり方がかかれていてすごい納得感。

この書籍の有名な一節「アイデアとは?」への解答「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ」と、その「組み合わせ」を作り出すための5つのステップが書かれています。

「シャワー浴びてるときにアイデアが振ってくる」の理由がここに

模倣と創造/佐宗 邦威(著)

普段から絵を書いたり本を読むのが好きな娘が手に取るのを想像しながら買った一冊。(実際読んでくれて「よくわかんねぇ」と感想いただきました)
私自身、感覚的になっていた「創造性やアイデア発想力ってどうやって育むのか?」という問いに対し、沢山の知識・情報・具体例を交えながら書かれていました。

「アイデアのつくり方」と「模倣と創造」に共通する重要な1ステップ

紹介した2冊で紹介されているアイデア発想のプロセスは、本質的な内容であるため似ているところがあるのですが、その中には努力と根性が割と好きな日本では見落とされそうなステップが記されていました。

それは「問題や課題から離れる」こと。

膨大な情報を集めたり、集めた情報を組み合わせたり、実際に作ってみたり、完成イメージとの差分について考えてまた繰り返したり‥と、取り組むべき事に集中するだけでなく「忘れる」「離れる」といったプロセスの重要性について書かれていて、目から鱗だなーと感じました。

まぁそんなわけで皆さんで集まってワイワイする時間は、まさにその「自身に眠る豊かな創造力のため」でありますので、次回の哲子の部屋は以下略
※書籍で書かれている「余白のつくり方」は飲み会とは違うのですが、詳しくは書籍を読むか私を飲み会に誘っtry

ABOUT ME
町田 祐一郎
1980年生まれ 専門学校卒業後、大阪の会社でWebデザイナーとして社会人スタート。 大阪でWebデザイナー、神戸でWebデザイナー、大阪でWebディレクターと関西圏でWeb制作のキャリアを積む。 2012年に愛媛に移住し、同時に株式会社アイムービックに入社。 ディレクターとして自治体、企業のWebサイトの企画設計、リニューアル提案、制作ディレクションに携わっています。 大阪でのマーケティング会社在籍の経験を活かし、マーケティングとWebの知識をバランスよく配合し、生々しい現場のための現実でロジック立てた企画を組み立てるのが好き。 たてヨコ愛媛では、たてヨコ愛媛のWebサイトや松山テイクアウト部のWebサイト制作も担当しています。 愛媛に移住して8年経過して今なお関西弁を使いますが、そんなボケまくったりしません。どっちかというと恥ずかしがり屋の人見知りです。
PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com