はじめまして、高岡と申します。不可思議な偶然が織りなすご縁で、コワーキング・マツヤマンスペースを運営する中央会計に社員として籍を置いています。
そんな「会計事務所勤務」な私ですが、大学の専攻は生物学でした。最初に就いた仕事は「博士の助手」。某国立研究開発法人の分子生物学ラボで、遺伝子を切ったり貼ったり、タンパク質を作ったり絞ったりしながら13年ほど、微生物と共に研究の日々を過ごしていました。
リアルこんなかんじで13年。。
今回のコロナ禍を眺めながら思うのは、月並みですが「サイエンスの本質は、見えないものを可視化することである」のと同時に、「ときに、科学の進歩が病気をつくる」というちょっとパラドキシカルな一面です。
「見えないものを可視化する」の例はもう枚挙にいとまなく、レーウェンフックによる顕微鏡を使った微生物や精子の発見(1674年~)、X線を利用したレントゲン撮影の実用化(1961年)、蛍光や放射性同位体で生体内物質に印をつける技術、島津製作所の田中さんが2001年にノーベル賞を受賞した質量分析技、などなどなどなどなどなど。
分子生物学分野でなくてはならないツール「緑色蛍光タンパク質/GFP」
とにかく「研究対象にするためには、人類が取り扱い可能な何らかの波長で『今そこにある現象を検出して画像化(あるいはデータ化)』せねばならぬ」というのが、多くのサイエンティストの大前提。人間はこんなにも視覚に頼って世界を認識しているのだと改めて驚かされます(※数学者を除く。彼らは3次元世界のねじれ位置あたりで生きている。)
一方で「ときに、サイエンスの進歩が病気をつくる」ことについて。
例えば今、次々と見つかっているコロナの「変異株」も、2006年の次世代DNAシーケンサー(※)登場以前なら、まず発見されることはなかったはず。
※次世代DNAシーケンサー:2006年に初号機が発表された、DNA塩基配列解読のためのエグい超高速チートツール。例えば、1990年に始まり10年の歳月を経て約30億文字のドラフト版を発表したヒト全ゲノム配列も、現代最新の技術なら6日で読了してしまう当社比600倍超のスゴ技。
「変異株」がこれほど迅速に発見&検出できるようになっていなければ、今頃世界は「流行開始から2年を経て、重症者の割合が減ってきましたね!集団免疫が獲得されてきたと見ていいでしょう ^-^」なんて感じで、流行が徐々に収束する安心感に覆われていたのではないか、という気さえしています。
その場合、もちろんパンデミック初期の不安は今の比でなく、ワクチンの開発もこんなに早くは実現できなかった訳ですが…
(高岡が2020年4月頃に投稿していた「PCR検査の仕組みと、おそらく不眠不休で頑張っている研究者のこと」のFBリンク貼らせてください)
閑話休題。
今後の文章は、いわゆる「バイオロジカル・コレクト」(生物学的にはまぁ正しいけど倫理的に問題があるかもしれない)な姿勢でコロナウィルスの立場や気持ちに寄り添って行く方向です。コロナ禍に苦慮している人間世界に配慮を欠く表現が登場する可能性が高いことを予めご了承ください m(_ _)m
菌マンガ「もやしもん」5巻144-145p より
ウィルスが生命か否かという議論はさておき。
※「生物=自己複製能力を持つもの」と一般に定義されているが、ウィルスは単独で増殖できず、生物の細胞の中でのみ自己複製が可能なので、生物と物質の間にある存在と言われることが多い。どちらかというと、物質・モノ寄りの微妙な扱い。
生物の存在理由が「増殖」である以上、感染によって劇症や重症化をもたらすことは、ウィルスの生存にとってちっとも有利に働きません。宿主(人間)にすぐ感染を気付かれ、「隔離」という原始的かつ非常に有効な手法で増殖を阻まれてしまうからです。感染れない。増えられない。社会的ジレンマを含むゲームの最適解は誰もが知るとおり「同害報復/報恩謝徳」なのです。
なので生物らしく「増殖」を最大の目標においた場合、ウイルスが取るべき最善の策は
・強い感染力を持つ
・可能な限り、宿主に害を与えず無症状で増殖する
の2点!!
コロナの身になって思いを馳せてみれば。
最初の『COVID-19武漢株』が元々の宿主と言われる野生のコウモリから地球上最多の生物・人間に感染して、その個体数と生活密度の凄まじさに気付いたとき「俺めっちゃすごいことした!増え放題パラダイスやん!!!!」と快哉を叫んだに違いありません。
が。調子に乗って感染ってみたところ、宿主が高確率で重症肺炎を起こす致命的な存在になってしまったのは正直壮大な計算違いだったはず。「間違って肺に入ったら人間の免疫過剰反応して健康な組織まで破壊して肺の中で大暴れとか別にそんなん別にしたくもないし!宿主あってこそのウイルスですよ?それくらい分かってるって!!!!!」と、かなり焦ったことでしょう。
・・・ところで。『言語を伴わない思考』というものが生物には絶対にあるはずなのですが、それが一体どういうものなのか、考え始めると頭の中がもわんと霧に包まれて先へ進めなくなってしまいます。ハナカマキリが蘭の花そっくりに進化したのも、ウツボカズラが昆虫を誘い込んで溶かして吸収し生長の糧にするメカニズムを作り上げたのも、はたまた武漢株に始まったCOVID-19が変異を繰り返しながら再生産率の向上と軽症化を実現しているのも。彼ら、絶対にめっちゃ考えてやってるはず!でもどうやって…。「言語を伴わない思考」について一家言ある方、ぜひお話し聞かせてください。
左から、蘭に擬態するハナカマキリ/ウツボカズラ/コロナウィルス(Wikipediaより)
話が逸れました。
COVID-19にとって「ヒトに感染して肺に入ることは、ほとんどメリットがない」と言われています。本来、気管支や唾液腺で増えて、くしゃみや咳で外に出て新天地を開拓する(新しい人に感染する)ことこそが、彼らの本来目指すところなのだとか。
…というわけで、もちろん重症化する方が一定数いる以上、感染拡大が起こらないよう人間社会は注意を続けるべきなのだけど、コロナはコロナで、あるべき最適解に向かって進化しているのだなぁ…と、オミクロン株の報道を見ながらそんなことを考えている今日このごろ。
『武漢株』のエラー箇所に次々とパッチを当てて、本来の目的である「なるべく宿主に気付かれずご迷惑を掛けないよう、多くの人に感染して自らを増やし続ける」というミッションを達成する方向に向かっているように思えるのです。頭をよぎるのは、免疫学者・多田富雄先生(故人)の言葉。「僕は絶望はしていません。長い闇のむこうに何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっている。予言です」…そうだといいなぁ。
無症状無自覚で人間の中に潜んでるウィルスだって、取り立てて騒がれないだけで、実際山程いるわけで。今後COVID-19は、どんな変異の道を歩んでいくでしょう。
人類史上、ここまで詳細に感染拡大と変異に関するデータが得られた感染症は「COVID-19」以外にないと思います。一時期「ソ連型のBCGワクチンを接種していた国では新型コロナの重症者が少ない」という報道がありました。今回のコロナワクチンも、何十年も経ってから以外な副効果が出てくるのかもしれません。メーカーや接種年齢、回数によって違ったりもするのでしょうか。こちらも人類史上類を見ない、壮大な治験みたいなものだと感じています。
「B.1.1.7株(アルファ型)およびB.1.617.2株(デルタ型)のSNV(1塩基変異)数の推移」国立遺伝学研究所/静岡県
マメすぎて引くレベルの研究(ごめんなさい!!
願わくばCOVID-19には、宿主になるべく危害を加えない、生物として賢い方向に進化していただきたい。しかし私ごときが要らぬ心配をするまでもなく、生物が試行錯誤の末、生存に最適な解を導き出すことを歴史は証明しています(それができなかった生物は絶滅する。人間どうかな!)
というわけでコロナ禍、早く収束するといいですね。
ニュースで日々報道される「感染者数グラフ」の数字が、「コロナを発症しており、かつPCR陽性だった人の数」なのか「PCR検査で陽性が出た人の数(症状の有無を問わず)」なのか。PCR検査の数自体が以前に比べてどれだけ爆発的に増えており、その母数と「陽性者数」の関係性はどうなっているのか。はっきりと明記し、または説明しているメディアは現状ほとんどありません。
▲ ニュースなどでよく見るタイプのグラフ(Googleより)
▲検査実施数と陽性結果数を対比したグラフ。こちらの方がよりフェアな情報開示だと感じます(Googleより)
コロナ流行を振り返ったとき、社会の副産物としてその程度の「Statistically Correctness(統計学的正確性)」の概念が広く根付くことに、淡い期待を抱いたりもしています。