Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイ

はじめまして、広島県出身の大学生、半アクティビストです。

はじめに

私は広島で生まれ育って大学進学と共に愛媛にやってきました。広島はご存じの通り原爆が投下された都市の一つで私の祖父母は被爆者です。私は孫なので被爆三世になります。
原爆以外にも幼稚園の時から戦争や平和を身近に感じていた私は物心ついたころから「平和な世界のために何かをしたい」と強く思っていました。

高校生の時、念願だった平和活動を始めることができました。具体的には高校生一万人署名活動実行委員会という団体に所属し、核兵器廃絶のための署名活動に勤しんでいました。そして高校2年生の時には高校生平和大使に任命していただき、そのフィールドを海外にも広げていました。

平和大使は毎年夏にスイスジュネーブの国連軍縮部訪問します。その時の写真

そんな私は大学受験に失敗し、泣く泣く愛媛に来ることになりました。もともと愛媛に進学する予定は1ミリもなかったため、土地も人もまったくつながりがなく、本当に”ゼロ”からのスタートになりました。
上京した友人が精力的に活動しているのをSNSで横目に見ながら羨ましさと同時に悔しさを感じていたように思います。
私はこの時これまで自分のアイデンティティの一つだった「アクティビスト」という肩書きを失いました

振り返ればこの時は「ただの大学生」というのが嫌で仕方がなかったなあと思います。社会に対して影響を与えられていないというか、なんというか。
でもこのいわゆる「リセット経験」は私自身の生き方や「アクティビスト」そのものについて考え直すきっかけをくれました。

なんのための社会活動なのか?

愛媛に来てから活動ができないことを環境のせいにして(本当は自分次第だということも後で学びました)嘆いたり、「やってらんねー」と踏ん反りかえっていた私ですが、それでもこのままではいけないと思い、少しずつ行動を起こすことにしました。

ただ、一緒に活動してくれそうな知り合いに連絡をしたもののうまくいかず。
結局私はどこの団体にも所属することなく、「やりたいときに友人と一緒にディスカッション型のオンラインイベントを開く」という方法で自分なりの「社会活動」を続けました。

オンラインイベント開催時に使ったバナー画像

核兵器問題や人権問題、日本の加害の歴史認識についてなど私の興味のある分野を主に選んでイベントを開いていたのですが、その中のオンラインイベントの一つが私の在り方を変えるものになりました

それは日本でナチスドイツの軍服を着ていた人を見たという私のエピソードからナチスドイツの軍服を着ることはコスチュームであっても許されるのかというテーマを話し合うものでした。

私は断固反対。それはナチスのしてきたことや歴史を振り返れば当然のこと。実際ナチスを想起させるような言動はドイツでは犯罪に当たる。コスチュームであってもありえない…といった風な調子で自分の主張を伝えていた時、ある人から

「その絶対性が怖い」

というコメントをもらったんです。

その時は「えぇそんな…」と面食らっていたのですが、後でよくよく考えると「平和を創る」上でとても重要なことを教えてもらいました。

これまで「アクティビスト」として活動していた時の私は自分の主張を「絶対」だと思っていました。核兵器はいらない。絶対に。ナチスドイツの軍服はコスチュームであっても来てはいけない。絶対に。とこんな感じで。 

「対話が大事」「対話が平和を創る」と口では言っていても心の底では自分の主張は「絶対」でした。

社会をよくしようとしているのに私は今まで自分の主張を社会の正義だと思って相手に押しつけてきたんじゃないか。
意見の多様性を認めずに相手を頭ごなしに否定する私のやり方って全然平和を作ってない!

それを気づいたときはすごくショックでした。一体だれの何のための活動なんだろう。

そして私は自分の在り方から見直すことにしました。

あちこちの「絶対」

自分のあり方を見直すようになってから自分が作り出しているいろんな「絶対」に気づくようになりました。

遊ぶことは絶対自分ためにならない。
学歴は高い方が絶対に幸せ。
失敗したんだからうまくいかない。絶対に。
田舎より都会の方が絶対いい。
愛媛には仲間もいないから活動なんて絶対無理。

「ははは。そんなわけないやーん」と今の私なら笑い飛ばせるし、読んでる方もそう思うと思います。
でも当時の私は常にこんな感じで、一喜一憂がとにかく激しかった。

この世に「絶対」なんて存在しないし、人生に「絶対」なんてない。それなのに私は「絶対」と言うことで相手を否定したり、相手の意見を聞こうとしなかったりして平和を創るよりもむしろ対立を生んでいました。しかも自分の人生まで「絶対」でがんじがらめにしていました。

言い換えれば「1か100かで考えていた」と言えます。(これもある人から頂いた言葉です。)

在り方から平和を創る

自分のあり方を見直したことで社会活動の意味や自分の人生を見つめ直すことになりました。
私ははどうやって平和をつくっていきたいんだろう。と考えた時、まだやり方はわからないけど自分を基点にして広がる平和をつくっていきたい!と思うようになりました。

どんなことをするのかよりもどんなふうに在るかということの方がよっぽど平和を創っていること、そして私が平和でいることが周りに平和を創っていくことに気づいたからです。

地域をフィールドに平和を創っている素敵な人達

ローカルベンチャーが多い岡山県西粟倉村に2週間ほど滞在しました。

これまで平和=外交、国際関係という大きな枠組みでしか見ていなかった私ですが、同時に地域にもとても興味がありました。
それは多分在り方から平和を創っているなと感じたからです

自分と目の前にいる相手を幸せにする。そしてその輪をちょっとずつ広げていく。そんな風にして地域にある課題に対していろんな取り組みをされている方は私の憧れになっていきました。

タルマーリーの取り組みは私の関心ドストライクです!!

これから私がやりたいこと

今海外大学院に進学すべく、興味のある分野の文献を読んだり、その分野で関わってる人たちに連絡したり、留学体験者の人に話を聞いたり、英語の資格試験のために勉強したり、その傍らで細々と活動したり…と毎日せわしない日々を送っています。

大変なこともやりたくないこともないわけではありませんが、何か行動をすれば新しい発見があるという感覚、少しずつでも前に進んでいる感覚、そういう「1か100か」の枠にはまらないような微妙な変化を受け入れることができるようになった私は今最高に人生を楽しめている気がします。なので今が一番楽しいです!

そんな私が「なぜ海外大学院?」と思われると思いますが、「国際関係学ではない新たに関心を持ち始めた分野を海外で学びたい」と思っているからです。
具体的に今の自分の関心がどの専攻分野に当てはまるのかまだはっきりしていないのですが、(アカデミックに詳しい方教えていただきたいです涙)開発学や地域研究、文化人類学の一つなのかなと思っています。

今の大量生産・大量消費の暮らし方を経済や食の観点から見直して、一人一人の暮らしから平和な社会を創っていくために私は何ができるのかということを深めたいと思います。

そしていつかは日本に帰ってきて日本の地域で自分の居場所を創るのもやりたいことの一つです!

私の人生の船旅は始まったばかり。
これから失敗や成功、挫折などどんなイベントが待っているのか!ワクワクしています。

今日も私は私のやり方で、在り方から平和を創っていく。完璧な「アクティビスト」ではなく、いい意味で中途半端な「アクティビスト」、「半アクティビスト」として。

2019年に乗ったピースボートから(向こうに見えているのは北海道です。)

ABOUT ME
小林 美晴
広島県広島市生まれ。愛媛大学法文学部人文社会学科3年生。 幼稚園の園長先生の話をきっかけに平和と戦争に強い関心を持つようになる。小学1年生の時に自分が被爆三世だと知り、原爆に対して当事者意識が芽生える。高校入学と同時に核兵器廃絶に取り組む団体「高校生一万人署名活動実行委員会」を知り参加。高校二年生の時には第20代高校生平和大使広島県代表に選ばれ、スイスの国連欧州本部を訪問。帰国後は市民の活動から政府が主催するイベントまで幅広く活動に取り組む。高校卒業後、愛媛大学に進学し、その年の夏に国際NGOピースボートの日本一周クルーズに「おりづるユース特使」として乗船。その後、コロナ禍において活動が難しくなる中、オンラインでの平和活動に取り組む。大学二年生の秋からNPO法人PCVに参加し、平和公園ガイドや平和教育プログラムに携わる。今年の5月には「議員面会プロジェクトin愛媛」という新たなプロジェクトを愛媛で立ち上げる。現在愛媛と広島を中心に平和活動を展開中。 私でしかできない方法で平和を創り続けたいです。
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