Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

エッセイ

道後温泉と、文化財保護と、「流行り病」。

みなさま、こんにちわ。

コロナに翻弄されるなか、社会人大学院生を満喫している岡田未奈です。

 

えひめから一歩も出ずに「芸術大学院生」になった話。 前記事を書いてくださった小松さん(記事はコチラ)は、ほんの約2か月前に愛媛県人になったとのこと。本記事を書いている岡田...

西条のコワーキングスペースでつけてもらったあだ名「みなぴん」が、なんと学校でも定着中です。

創造力を加速させるデザイン思考が私のメインとなる分野・研究ですが、アイデア創出のためには「旧きを知る文化・伝統の探究力」も必要となります。そのため、伝統文化の探究も学習の一環となっています。

 

この夏は歴史的景観保全をテーマとしたフィールド調査として、「道後温泉」を熱く研究しました。

熱くなりすぎて「研究の一環」と称して大和屋別荘を満喫しました。

 

 

…え、えぇ…。真面目にフィールドワークしておりましたとも。

ド理系の私が歴史文献調査なんて…( ˘•ω•˘ )、と思っておりましたが、

知れば知るほど道後温泉の歴史は奥深く、そして、ちょっと現代に通ずる話題もありましたので、こちらのブログでシェアさせてください。

道後温泉本館 改修工事の歴史

平成6年(1994年)、道後温泉本館は公衆浴場としては初めて国の重要文化財の指定を受けました。

 

これを機に、文化財として保存活用するために多くの議論が行われ、平成12年(2000年)に実施した調査から、道後温泉本館は大規模な保存修理工事が必要であるという結果に。さまざまな事前準備を経て、2019年1月から本格的に改修工事が始まりました。

©TEZUKA PRODUCTIONS

工事中の素屋根に「火の鳥」とコラボレーションしたラッピングアートはとても素敵でしたね。この工事は2024年12月まで行われる予定となっているそうです。

道後温泉本館は、長い年月の間で幾度の増改築や部分的補修作業を行っていますが、歴史的に大きな意味を持つものの代表として明治23年(1890年)、道後湯之町初代町長である伊佐庭如矢によって行われた三層楼の大改築があります。

伊佐庭町長の「本気」。

明治初めの道後温泉本館は老朽化が進んでおり、地元民からの悪評もあったそうです。

伊佐庭は県知事らと共に道後温泉本館の大改築を計画しましたが、財政破綻や入場料上がることを危惧した周囲の猛反対を受けました。

道後温泉史料として残されている『紛紜解決書』には、約1か月間にかけて町と住民の間に論争や非難中傷があったことが残されています。

この時代から道後温泉を中心とした地元経済と文化財の結びつきはすでに強かったようですね。

道後の未来を本気で考えた伊佐庭が行ったことは、私財の担保

伊佐庭は自らの給料をも犠牲にしながら反対派を説得し、明治27年(1894年)に現在の道後温泉である木造三層楼が完成しました。

しかし、伊佐庭が行ったのは道後温泉本館の改築だけに限りませんでした。

周囲との「共生」を図った伊佐庭の取り組み

「この道後温泉が100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある。人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる。」

伊佐庭はこの言葉と共に、温泉客の便を図るために道後鉄道敷設や、雑草や雑木が生い茂る土地を整備し「道後公園」を開設するなどインフラ整備も図りました。

道後公園は温泉客の散策地として新たな観光資源となり、当初は反対していた町住民も、公園整備のために寄附を行いました。

このように、伊佐庭は道後温泉という歴史的建築物を保存しながらも、町の観光地化と経済的発展を進めたことがうかがえます。 

実際、これらすべての取り組みによって道後温泉の再生・興隆化は実現し、明治36年(1903年)には皇太子嘉仁親王(大正天皇)も来県され、温泉に入浴せられています。

伊佐庭如矢の活躍は、現在も道後温泉本館横や道後公園内に石碑として残されています。

道後温泉本館とその周囲が発展した歴史と先人の業績は、単に史料や書物として残すだけでなく、地元民や観光客の目に触れる石碑としても可視化され、道後温泉の歴史的景観の一部となっているのです

道後温泉と流行り病の密接?な関係とは

道後温泉は松山市を代表とする観光的シンボルであったがゆえに、今回の工期が長期にわたることによる経済的影響が危惧されました。完全閉館や部分開館など、あらゆる想定を行ったとしても475億円から190億円までの幅でマイナスになることが試算されました(参考記事はコチラ)。

しかし、県外観光客や消費額の大幅な減少を阻止するために、工事中の取り組みとして、道後温泉本館を全館閉館せず部分営業しながら入浴可能とするほか、「道後REBORN プロジェクト」と題して日本文化をイメージする「火の鳥」とコラボレーションしたプロジェクションマッピング、さらに、実際の解体状況は常に報告展示され、見学会も開催しています。

このように、「今しかみることができない」と思わせる観光誘致戦略を実行しているのにも関わらず、現在、新型コロナウイルス感染蔓延によって、残念ながら道後温泉周囲の観光産業に影響が出ています。

実は、明治の大改修においても、観光地化推進の取り組みの裏でコレラが蔓延していました。

現在の状況を彷彿とさせる歴史が、道後には残されていたのです。

コレラによって多くの町民だけでなく、伊佐庭如矢の妻や、伊佐庭の片腕として活躍した船田市蔵が亡くなりました。しかし、町民や医師がコレラの対応に忙殺されるなかでも、先人は歴史的文化財保護と共に町の景観と繁栄を守っていたのです。

必ず、乗り越えられる。愛媛のチカラがあれば。

新型コロナウイルスが収束する兆しがまだ見えませんが、そんななかでも道後温泉に少しでも人々を寄せようと、あらゆる分野や業界の人たちが道後温泉の文化財保護と経済発展に協力しています。明治時代の先人たちがそれを乗り越えたように、今の流行り病にも打ち勝てるチカラが愛媛・道後にはあると信じています。

先月まで「クリエイティブステイ公募プログラム」の参加クリエイターも全国で募集していましたね。この冬、どんなクリエイターたちが道後を盛り上げるのか、とても楽しみです!

 

 

在住が西条市なのをいいことに…応募した人がここにいますよ。

ABOUT ME
岡田 未奈
愛媛県松山市出身の平成生まれ。 「いのちのエンジニア」である臨床工学技士として県内の医療施設に従事。人工透析を主業務として、呼吸治療、心血管カテーテル治療、不整脈治療、医療機器管理などを兼務。 一方で、『医療にDESIGNを。』をコンセプトとしたパラレルワーキングをしており、ライター、グラフィックレコーダー、プレゼンテーションデザイナーなどマルチクリエイターとして多彩な顔を持つ。