Column

たてヨコラム

たてヨコメンバーによるフリーテーマのコラム

老いてゆく父を見て思うこと

最近、父が老いていく自分に対して寂しい感情を抱いている。

自分の老いの不甲斐なさから母と喧嘩してしまうことがある。母は知らないが、私は母を怒らせてしまった父の哀しい顔を知っている。

先週末、父と親戚のお墓参りへ行って来た。

父は、無縁仏になった祖母の実家のお墓や、都会に出て帰って来れない従兄弟の代わりにお墓の世話をずっとしてきた。今まで親戚のお墓参りに、ほぼ付き合ったことのない私はお墓の場所を改めて確認した。父は掃除をしながらお墓のことや、亡くなった祖母の兄弟や思い出の話をしてくれた。

命の繋がりだけじゃなく、想いの繋がりも感じた。祖母のお父さんが、煙草を植える時期で忙しいから、孫を見るためにゆっくり日高地区から歩いて来てくれた話とか、祖母の兄弟の◯◯さんは末っ子で早くに亡くなったけど、祖母をはじめ、兄弟皆んなにかわいがられたみたいや、とか。『ああ、父の優しさは受け継がれたもので、私は父に育てられて良かった』と思わずにはいられなかった。

写真は、時折足が痛いと言うようになったのに、その時は「行ってみるか」としか言わず一緒に歩いて行ってくれた『大岩さん』への道の途中。『大岩さん』は、親戚のお墓に行く途中の山の中腹にある大きな岩。巨石信仰の遺跡の一つ。途中草が生い茂って、残念ながら見ることができなかったのだけど、私は一緒に行ってくれた、父の優しさがうれしかった。

私は上の兄姉と年が離れていて、父は小学生の時に戦争を経験している。

兼業農家をしながら兄弟の面倒を見て、リュウマチの祖母の面倒を見て、祖父の介護をして、長男としての責任を果たしてきた人。青年団や地域にも貢献した人で真面目でみんなのことを思い、人の短所も受け入れる優しい人だ。与える喜びを知っていて。愚痴や悪口をほとんど聞いたことがない。父は、かっこつけず、人が好きな人だ。

この年齢になって今更だけど、父似の人をなんだかんだ好きになってきたかもしれない。少しずつ少しずつ丸くなる父の背中。でも、尊くてあたたかさを感じる父の背中。父の背中を見ながら、父への感謝の気持ちでいっぱいになった。

ここまでの短い文章をfacebookに挙げていたら、何人かに「お父さんの背中を見て育ったんだね」「お父さんに似たんだね」と言われた。私も自分で書いていてそう思った。知らず知らずの内に父から影響を受けていた。考え方や価値観、周りに対しての行動の仕方。知らず知らずの内に私の中で育ってきたもの。

最近、思っていることがある。

それは『教育』とは何かということ。

子どもたちの教育について興味がある私のために、岩手県におもしろいフリースクールがあると知人が教えてくれた。そこでは学習支援、農業体験を子どもたちにさせているのだが、子どもたちが聞いて来ない限り、基本大人から教えることをしないそうだ。理由は、子どもたちの興味は一人ひとり違い、同じ内容でも興味を持つタイミングが違うからだ。それを聞いて、その考え方は子ども一人ひとりが学びをしっかりと受け止め、その学びを深めていく過程でとても大切なことだと思った。「なぜ」と自ら思った時や「やりたい」になったとき、子どもたちの知識や体験の吸収力はぐんと上がる。

では、極論教えない方がいいのだろうか…

ケニアのマサイ族の族長は『学校』というものはいらないと思っていた。変わらない伝統的な生活には、新しい知識が必要ないからだ。子どもは子どもで、少年少女は少年少女で、青年は青年で、その世代ごとに役割(課題)が与えられ、基本誰かが教えなくても共に生活することで、年長から年少へそれぞれの仕事や知識が受け継がれそうして伝統的な生活を続けて来られたのだ。

ところが今では、そんなマサイ族も学校制度を受け入れている。なぜかというと、マサイの村も水不足が懸念され、新しい知識を取り入れなければ、今までの生活を続けていけないと判断したからだ。

『教育』は『新しい知識を教えること』と定義づけることもできる。砂漠化の問題はマサイ族の人たちだけの問題ではない。文明が発達、環境問題や社会問題がグローバル化している昨今、やはり『教育』による知識や情報の共有は必要なはずだ。

ではどうすれば、できるだけ子どもたちの

それぞれのタイミングで学びを得ることができるのだろうか。

フランスの哲学者であるジャン・ジャック・ルソーは、その著書『エミール』で子どもたちへの消極的教育を説いている。それは、『子どもたちへの教育を積極的に行わない』という意味ではない。

大人が子どもの将来を勝手に先取りして教え込もうとする教育を批判してはいるが、子どもの自己成長力を信頼し、それが最適に発揮できるよう環境を整え、援助することが大切だと言っている。『人(子どもに関わる人)』『事(物・体験)』『環境』が整えば子どもは自然に育つ、子どもには自ら向上し成長していこうとする自己成長力があるのだから、その環境づくりを積極的に行いなさい、と。つまり、大切なのは私たちが子どもたちに教えることよりも、私たち大人が変わり、子どもたちにその背中を見せていくことが大切だいうことではないだろうか。その背中をみて子どもたちは成長する。私が父の背中を見ていつの間にか育ったように。

ばーりースクールでは、各活動でそのテーマに合った知識を伝えながら積極的に問いかけをし、決まった答えは求めず子どもたちが自由に答えを導き出せるようにしている。体験活動の中で子どもたち一人ひとりが感じた異なるものを大切にし子どもたちの成長、次の学びに活かせるように。

ABOUT ME
近藤 久仁子
私が世界の環境問題と戦争、貧困に興味を持ったのは小学校高学年の時。中学生・高校生になるにつれて、なぜ学校ではニュースでやっていることを勉強してないのだろう、もうすぐ一人で住むのに社会で必要なこと学べているのか、と思うように。 子どもたちと世界の問題について考えたいと、大学は教育学部に進学。在学中に小中高の教員免許を取得。しかし、小中学校の実習で学校では教えたいことが教えられないと実感。学校外教育を模索。2009年カナダに短期留学とワーキングホリデーへ。2012年東北へ震災のボランティアへ行ったあと必要性を感じ『忘れない東北被災地プロジェクト』を立ち上げ。愛媛県人8000人・500円の力でカンボジアに学校を建てようプロジェクトに参加。一人一人へ声をかけ3か月で108名の500円を集める。現在ばーりースクールを立ち上げ、仕事の合間に地球と子どもたちの未来をつなぐファシリテーターとして奮闘中。 趣味は、スポーツ、絵画鑑賞、ピアノ、博物館見学、企画すること。 今治在住のフィリピンの友達とのバスケットボールは7年前から。 ネパール支援、ブレインアナリスト、SDGsビジネスマスター(アクションカードゲームクロス)、BASEネットショップ『地球の小瓶』店主。