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日記にでも書いていればいいような話

初投稿の新山洋介と申します。

子供のころからゲームが好きで、そのまま大人になってしまい東京と松山で18年くらいゲーム開発を生業としています。

先日、高田さんが書かれていた「好きなことを仕事にしている人」のコラムがありましたが、自分が変人かどうかはあれとして、当てはまることは多かったです!

タイトルの通りなのですが、まずはみなさんに自分を知ってもらうため、はたまた老後に書くであろう自伝のためのメモ書きになります。とっ散らかった文章になってますので最初に謝っておきますすみません。

これまで

早速ですがパーソナルな情報を漏らせるだけ漏らしていきます。

昭和56年2月松山生まれ、物心つく前から小学校にあがるまで警察官の親父の転勤に合わせて県内を転々(津島、今治)としてきました。

幼稚園のころ高所から飛び降りる遊びが流行っていて、2mくらいのブロック塀からずり落ちた結果、右すねに大きな切り傷が残っています。

就学以降はこんな感じ。

垣生小→垣生中→伊予高→自衛隊@善通寺(2年)→専門学校@東京(2年)→ゲーム会社@東京(12年?)→ゲーム会社@松山(6年今ココ)

小学生の時に遊んだドラクエ5くらいからゲームを作る仕事に興味を持ち始めたと思います。なり方は分からなかったですが。

高校くらいでオタクをこじらせて黒い服を好むようになりました。最近はTシャツハーパンの下にロンTとタイツの釣りスタイルです。

高校卒業後は4年ほど自衛隊と専門学校で自己研鑽を重ね、無事ゲーム業界に就職しました。まだなんとか働けてます。

30歳くらいで同郷の嫁と結婚し、結婚5年目くらいで娘が生まれ、関東での子育てもまぁまぁ大変だったので子育てをしやすい環境に移ろう、ということで2015年10月に愛媛にUターン。

東京の会社に勤め始めたころは「一生東京ですごすんやろなぁ」と思っていたのですが、子供が生まれて1年足らずでUターンさせるとは子供の力ってすごい!

結婚して11年、小1の娘が1人、月の小遣い35,000円、趣味は釣り(堤防、砂浜、ボート)、ゲーム、漫画、アニメ、好きな銀河英雄伝説のキャラクターはシェーンコップです。色気のあるおっさんって良いですよね!

デジタルだけでなくアナログのゲームも好きで、カタン、モノポリー、カルカソンヌなど運とテクニックが絶妙に混ざったゲーム性のものが好みです。嫁が最近麻雀をはじめ、練習ついでに娘にも仕込み始め家族麻雀を楽しんでいます。

マイカーは軽トラで、(主に釣りで使用)カヤック2艇とSUPが1つあり、水辺での活動が活発です。

7月末からようやくpaypayを使いはじめましたが、漫画はまだ電子書籍には抵抗があります。デジタルな業界に居つつもデジタルに染まり切れない、そんな感じの新山洋介40歳です。

んー、伝えたいことの8割くらいは伝えましたので、もう少し掘り下げてみたいと思います。

上記の個人情報で引っかかる部分っていうと「自衛隊」と「ゲーム会社」の2つくらいでしょうか、あとの情報はただのオタクのおっさんの自己紹介でしかないですね。

それではいってみましょー

自衛隊

まずは自衛隊についてですが、高卒すぐに入隊しました。自衛隊に入ったのは完全に金が目当てです

自分の国は自分で守る、困っている人の助けになりたい、とか崇高な目的はなく、完全に金です。

元々兄が自衛隊におり(今では教育隊の教官してます)飯も住むところもタダでまぁまぁ金がもらえる、という話を聞いていました。

そんで高3の自分はゲームを作る学校に行きたかったのですが、両親の許しは得られなかったため「ほしたら自分で稼ぐわい」ということで自衛隊へ。

【重要】ここからの自衛隊の話は全部昔の話なので、現在は違うかもよ、ということは予め言っておきます。

半年間の新隊員教育を経て、香川善通寺の部隊に配属されました。

自衛隊での普段の仕事は機材の整備と体力錬成。とにかく本番にむけての準備ですね、物と体の。

そんで2ヶ月のうち2〜3週間くらいは山に入って演習というものを行います。規模の大きなサバイバルゲームみたいなものですが、ヘリコプターなんかも飛んできます。稀に熊もでますが、熊が出たら一時中断です。鉄砲には弾が入っておらず、その他の装備は研いでない銃剣なので熊とは戦えません。ゴールデンカムイのようにはいかないです。

自分は普通科中隊の施設小隊にいて、主に地雷処理をしてました。

地雷処理というとゆっくり地雷を掘り起こしてコードを切断して、、、ということをイメージするかもしれませんがそんなことをしていると時間がかかるので、基本的には地雷の上に爆薬を置いて吹き飛ばす、という方法です。お手軽。(火薬を使う訓練は稀で、大体は手順だけで爆破したテイにすることが多いです。)

写真は鉄パイプ?にTNT(白いの)を詰め込んで鉄条網にぶっさして吹き飛ばす「破壊筒」というアイテムを作っているところです。日米合同訓練にて。

逆に地雷を埋めたりもしてました。(対戦車地雷)さすがに模擬弾ですが、1個5kgくらいのコンクリの円盤を夜中に手作業で埋めていきます。埋めた場所は全部メモっておき、演習が終わったら全弾回収します。

駐屯地に帰ったら演習で使った機材を整備して次の演習に備える、ということを繰り返します。

続いてみんな大好きお金の話ですが、20年前の自衛隊(陸上)の一般隊員の給料が額面で、

 1年目16万4千円。賞与4ヶ月分くらい

 2年目17万くらい。賞与6ヶ月分くらい

 2年任期満了時に60万くらいの退職金だったと記憶。

ちなみに自衛隊内の銀行?に預けていると年間利息3%でした。しゅごい!(上限300万円まで)

高卒すぐにこれくらいのお金がもらえるので、パチンコとか酒(未成年ですし)や夜の街に溺れない限りは結構お金が貯まったんですよ。でも溺れる人が結構多かった印象です。

自分としては学校の学費と当面の生活費を稼ぐ必要があったので2年で200万くらいを目標にしてましており、僧侶のような慎ましい生活のおかげでそれくらいの貯金ができました。

あとお金以外の副産物が大型自動車の免許です。

自衛隊ではほぼ全員が大型免許を取るのですが、自衛隊の免許事情は少々特殊です。

なんと自衛隊の中に自衛隊による自衛隊員のための教習所があり、教官も自衛隊員がやっています。

本来大型免許って普通免許を取って3年とか経過しないと取れないのですが、自衛隊では無免許の状態からでもいきなり大型免許が取れます。

自分は入校時に中型バイクの免許しか持っていなかったのですが、いきなり大型トラックに乗せられて「ほれ、出せぇ」と言われたことを覚えています。意外となんとかなりました。

今は知らんですが昔の自動車教習所の教官って怖いイメージがありますよね、教習所の中で1人くらい棒を持った教官がいてちょっとし名物教官になってたりして。

でも自衛隊の教習所では9割くらいの教官が各々お気に入りの棒を持ってました。

余談ですが自分が入っていた教習所の道路挟んで隣にはとある大学のキャンパスがあってフェンス越し(有刺鉄線つき)に同年代のキャンパスライフを見せつけられていました。なんつーか色が違いましたね。キラキラしてて。僕らの日常は緑一色でしたから。

とはいえ民間で普通免許から大型免許まで取得すると60万円くらい必要ですが、この免許取得の費用も無料なので多少の青アザができるくらいは我慢の範疇ですね。

そんで免許としては大型免許しかとってないので、免許証には「普通自動車」がなく、「大型自動車」のみが記載されます。ここを見ると元自衛官かどうかが分かります。

金が目当てとは言ってましたが、根はまじめなので在籍している2年間は精一杯お勤めしました。先輩や同期ともいまだにつながりがありますし、人間として成長できる点も多く、外では経験できないことがたくさんでき仕事でも話のネタにできるので大いに役立ってます。(日米合同訓練とか大型トラック四国一周の旅とか)

ちなみに上京して学費と尞の家賃1年分を払って60万円くらい余りまして、これで1年間バイトをせずに学業に専念しようと思ってましたが、束縛された自衛隊からいきなり東京で自由な生活を手に入れたことで、楽しかったんでしょうね、めちゃくちゃ遊びまわりまして2ヶ月でスッカラカンになりました。

東京怖い。

ゲーム会社

続いてゲーム会社ですね。具体的なタイトルも出てますが、オープンになっている情報を書いてます。

自衛隊の後、専門学校からそのまま就職しましたが、ゲームの受託開発を行う会社です。

僕はゲームプランナーという職種でして、ゲームの企画や仕様、アイテムやキャラのパラメータなどを作ったり、雑用、進捗管理をする仕事をしています。

開発職だとその他にデザイナー(絵を描く人)、プログラマー(動かす人)、サウンド(音をつくる人)などの職種があります。

自分は子供の頃からドラクエが好きでして、面接でもドラクエが作れたら死んでもいい的なことを言っていたらなぜか入社できました。熱意採用だったと思います。

その時出した企画書は表紙にふんどしのおっさんがデカデカと載っており、素潜りをして魚をとって生計を立てるアホみたいなゲームです。

んで配属された先はPS2版ドラクエ5の開発チームで、当然開発情報など公表されていないのでその会社で作っていることなど知らず、ものすごい偶然でした。

ドラクエの開発が終わった頃(2004年くらい?)、世の中はガラケーでできるアプリが徐々に出回っており、小規模チームでも作れるアプリも作って行こうぜ!ということで僕はアプリ開発に回ることになりました。

PSとかの大きなゲームだとプランナー1人が関わるパートってメニュー画面だけとか戦闘画面だけとかパートごとに分業されて限定的になりがちなんですが、規模の小さいアプリだと大体プランナーは1人体制なので、全てを作らなければなりませんでした。

パズルからシューティング、RPGまで。アプリとはいえ要素の多いRPGはやりがいがありました。

当時はスーファミとかPCエンジンで出ていたレトロゲームをアプリでリメイクする、というのが流行っていて、私が関わっていて特に記憶に残っているのがPCエンジンの「邪聖剣ネクロマンサー」というゲームです。FOMA900に合わせてダウンロード100kb,スクラッチパッド400kb使えるリッチな仕様でした。今で言えばきれいな写真1枚以下の容量ですね。

PCエンジン当時のリソースとか何も残っていないので、何度もプレイしなおして仕様や会話データ、マップデータを洗い出して作り直してました。

版元さんからはヤフオクで買った三百円の攻略本が資料として送られてきました。大変助かりました。

この頃の記憶は本当にあやふやで半年くらいはちゃんとお日様を見てなかった記憶がありますが、きっと気のせいでしょう。東京ゲームショーで高橋名人に褒めてもらえたのはよく覚えています。

それ以降もRPGを作り続けていたのですが、ある時ファイファンのところから声がかかり、ファイファン4の続編を作ることになりました。

無理してファイファンって書いてましたが、やっぱり文字にするとモヤモヤしますね、FFです。

ドラクエもFF好きだったので、テンション爆上がりです、しかもオリジナル版のディレクターやドットの匠も関わってくれました。とはいえタイトルがタイトルなので生半可なものは出せず、独身でよかったなと思えるくらい仕事してましたね。

そんなこんなあって時代はスマホに移り、FFの流れでドラクエも作ることができました。

あ、スマホ版のドラクエ1~3とFF3〜5は僕がしっかり関わっているので買ってくださいね。

そんで世の中にソシャゲが増えてきて自分も携わることになり、ソシャゲの開発がいまいちピンとこなかったり娘が生まれたことなどもあって松山へUターン。

松山では東京でできなかった釣りや水辺での遊びも堪能できて充実した日々を過ごしています。

これから

愛媛に帰ってきて6年くらい経ち、娘も少しずつ大きくなってきて今後は自分が関わる範囲も広げていきたいと思いまして今回たてヨコに参加させていただきました。

自分がどういうことをしてきた人間なのかは述べましたが、基本的にはソロ活動が多く、これまで積極的に集団に入っていくことをしていません。とはいえ誘われると気にはなりますし、なにかしら関われたらとは思っています。明確にこれやりたい!と言えずにすみません。。。

もしこれを読んで新山を加えてやってもいいんじゃない、と思うような事がありましたらお声がけください。どこかで腰をあげたいとは思ってます。

それでは今後ともよろしくお願い致します。

ABOUT ME
新山 洋介
高校卒業→自衛隊→東京でゲーム開発→愛媛でゲーム開発 ベビースターと釣りとゲームが好きです。 堤防に行ったり渓流に行ったり2馬力ボートを出したり幅広い釣りに挑戦中です。カヤックもあります。 ドラクエとファイファンではドラクエの方が好きで、どちらも開発経験ありです。