こんにちは!松山市議会議員の松波ゆう大です。
今回も、食をテーマにお届けするコラム。今回のテーマはこちら
ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50
福田里香/著 オノナツメ/挿画
フード理論とは
物語を進めていく中で、主人公、ヒロイン、悪役、などなどいろんな役をもった人物たちが登場してくる。その中で食べ物(フード)と人物との関わり方から、ある決まった法則を著者は提唱している。その中で特に大きな三原則を
フード三原則
1.善人は、フードを美味しそうに食べる。
画像の中で、誰かが大きな口を開けて美味しそうに食べ物を咀嚼してごくんと飲み込めば、鑑賞者は親近感を持ち、信頼を寄せる。その人物が腹の底を見せたからだ。
また、調理した人も潜在的に、悪人とは見なされない。善人が、それを美味しく腹に収めたからだ。
2.正体不明者はフードを食べない。
みんなで食事をする場面で、1人だけ何も食べないやつがいれば、鑑賞者は怪しんで訝しく感じる。なぜなら、その人物の腹の底が見えないからだ。例外として食べる場合は「なぜそんなものを?」という常人には理解不能な物質だ。例えば、ドラキュラが血を吸う、ゾンビが人肉を食らうというような。
3.悪人は、フードを粗末に扱う。
この場合は、食べても食べなくても、どちらでもいいのだが、誰かが美味しそうに焼けた目玉焼きに吸いさしのタバコをジュッと突っ込んだとしよう。確実に善人には見えない。食べ物を粗末に扱えば、鑑賞者は悪人として認識するのだ。
みんなも、これを聞いたら
あーなんかわかる!となるのではないか?
ならない人は、すでに悪人、もしくは正体不明者という認識になるぞ、、
そして、この原則を最もわかりやすく体験できるのは、日本を代表するあの映画監督作品たち
そう、みんな大好きジブリ映画
風の谷のナウシカでは貴重なチコの実をキツネリスのテトに食べさせる
天空の城ラピュタではシータを救い出した後に海賊たちと共にごはんを食る
そして、宮崎駿監督作品では、戦いにいく前に必ず食事のシーンがある、これは「人間は食べないと力がでない、食べる事で心が通じ合う」という考えではないかと言われている。もともと児童文学のサークルにいた宮崎監督は子供に通じる物語の中に「食」の大切さを書いていた。
食を通じた繋がり
コロナ禍の中で、失われた時間
それは、共に食事をする時間。なのではないだろうか
自分1人で食事をし続けても、誰にも腹の底を見せたことにはならない
僕が美味しい食事が好きなのは、きっと、それを提供する人が美味しいだろ?と腹の底を見せて喋りかけているように感じるからかもしれない。
1人で飯を食べるのも、もうみんな飽きたでしょう。
あぁ、みんなでご飯を食べながら、腹の底を見せ合いたい。
そんな中で、ご飯に手を付けない人や
ご飯を粗末に食べる人がいたら、要注意だ(笑)