Ⅰ まくら:メディア論としての五条もとい5文
- 前回、「鬼滅の刃」と『負債論』に通底する資本主義の暴力性=数量化の話をしました。
- たてヨコFBコメントで「次は呪術廻戦で書いて!」リクエストをいただき、13巻まで一気読みしました。
- 伏線が多く作品全体には手が出ませんが、五条悟という人気キャラの必殺技を通して、現代の情報環境への言及ができるのではと思いつきました。
- 五条だけに、今回は1パラグラフ5文、5パラグラフで構成します。
- 五条のダジャレはともかく、日本人の5割は5行以上の長文読めない説に触れて、5文(5行じゃないけど)を方法論的に採用してみようと思います。
Ⅱ 起:五条悟とドゥルーズ
- 五条の「無量空処」は、領域内の相手の五感を無限化することで大量の情報が流入し続け、逆説的に何も感じられず身動きさえ取れなくする術式です。
- 人気漫画の最強キャラの必殺技が、59ZBのスーパー「スマホ脳」の現代人みたいな話で、情報過多なメディア環境への批評として読めます。
- 「つながり=接続」を称揚した哲学者ジル・ドゥルーズの裏面を解説する千葉雅也著『動きすぎてはいけない』に、この領域からの脱出のヒントがあります。
- ドゥルーズはナン・センスに意味なく切断されることで、過剰接続して「みんな一緒」にならない=個体化する=アクションできることに言及しています。
- NHK「チコちゃんに叱られる」唯我独尊ゲームのように物事は非意味的に接続させられるということは、逆に=同時に、ナン・センスにいい加減に切断=脱出できるとします。
Ⅲ 承:5行未満は確認?5行以上で思考?
- ドゥルーズと同時代の哲学者ジャック・デリダの著作がある東浩紀氏は、5行以上読めない説に「新しいことを伝えるためにも、人には考えてもらいたいけど、時間とられるからってテキストが読まれない」と話しています。
- 東氏は『動物化するポストモダン』などで、近代的理性(長文テキストの精読・熟読)だけで現代の人間像をつかむのには無理があり、人間の動物的な側面(5行的なファストフード的消費財への耽溺)も考慮した上で、両者をいかに架橋するかを問うています。
- ファストでアディクト(中毒的)なSNSなどは、身体性にフックするポスト・モダン(後-近代)なメディアです。
- ポスト・モダンだけが暴走すると、人間を統計処理して動物的に、モノ的にコントロールできるケンブリッジ・アナリティカな世界の到来を危惧します。
- 例えば新聞は、文字だらけの紙で、理性に沿おうとする近代的なメディアですが、過剰飽和する情報からのいい加減な切断という意味では、ポスト・ポストモダン(後-後近代)になれないかと夢想しました。
Ⅳ 転:いい加減なメディア
- 外勤記者の私は以前、見出しや記事の割り付けなど紙面デザインやレイアウトをする部署にいました。
- 読まれなくなっている新聞の満足度や、見出しから本文への誘因率を上げるため、某大手広告代理店と共同研究に取り組んだことがあります。
- アイトラッカーで、新聞紙というインターフェース内の位置、写真、見出し、長文記事の視線遷移データを収集しました。
- データを統計処理すると、性別、年齢、既読習慣の有無で身体反応の違いが浮かび上がり、広告クリエーターと一緒に新しい紙面デザインを考えました。
- デジタル・アディクトな現代人の身体反応を、デジタル・デトックスな紙媒体にいざ実装しようとすると・・・会社がゴニョゴニョ、既存読者にはモニョモニョ、今さらブクブクブクw。
Ⅴ 結:ごめんなさい
- 周回遅れの新聞を逆手にとれないか探る人間がFBコメントきっかけにこんなコラム書くなど、たてヨコ愛媛は縦に横に、そして実は斜めにもつながれるコミュニティーです。
- ただし、つながり過ぎるとフリーズしてしまうので、「弱いつながり」よろしく、適度適当に切断できるくらいのいい加減さが、クリエイティブなアクションを生むだろうと思います。
- それこそが「無量空処」的情報環境からの脱出方法であり、動画で東氏が言うところの「既知の確認」から「未知への思考」の可能性のはずです。
- 最近、たてコラムの更新スピードに同期し切れず、FBにコメントできずゴメンナサイ。
- 「接続と切断のバランス&スイッチング」という
言い訳理論に基づき、近いうちに非同期の創造性を発揮したコメント書き込んで、またつながっていきたいと思います。
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