自己紹介
松山市役所産業経済部の宇野です。
読者からは平凡に見えると思いますが、私の33年間の市役所人生を振り返りながら、自身のキャリアからたてヨコ愛媛に至るまでを紹介いたします。
現職として、文字にできないこともありますので、何かの機会にお会いした時にでもお声がけいただければ詳しくお話ししたいと思います。
私は、生まれてから高校まで周桑郡丹原町(現在の西条市)で、そして大学は広島で過ごし、昭和63年4月1日に松山市役所に入庁しました。
以下、これまでの経歴です。
【納税課(S63~H5)】
税金の滞納者から税金を徴収する業務
【下水道整備課(H6~H13)】
下水道工事に係る予算管理と補償業務
【財政課(H14~H20)】
市全体の予算管理業務
【行政改革推進課(H21~H24)】
市全体の定数管理業務
【子育て支援課長(H25、H26)】
児童クラブの整備や医療費助成、ひとり親家庭などの支援業務
【シティプロモーション推進課長(H27)】
市政広報と移住定住対策業務
【地域経済課長(H28、H29)】
企業誘致や商業振興、新産業創出、中小企業対策などの経済活性化業務
【産業経済部副部長(H30~現在)】
地域経済課、観光・国際交流課、道後温泉事務所業務
各部署で得た副産物等
【納税課】市内の地理
松山市に縁もゆかりもなかった私は、国道11号線を通れば実家に帰れるけれど33号線と56号線がどこに向かうのかさえ分からない状態でしたが、滞納者宅への臨戸訪問により松山市内の地理や住所を覚えることができました。
【下水道整備課】国と基礎自治体の関係・つながり
事業課としての予算管理を業務としていましたが、当時はバブル崩壊もあり国の度重なる景気対策の一環で議会ごとに補正予算を編成するような状況でした。お金の流れは、国から県、県から市になりますが、要望は逆で市から県、県から国となります。国や県からの要望調査などが来るまで受け身で待っていると間に合わなくなることもあり早め早めの情報把握の重要性に気づき、その頃から日経新聞を読むことを毎朝の日課とするとともにニュース番組などにも興味を持ち始めました。おかげで、国の動向や社会情勢などから新たな施策展開を迅速かつ的確に行えるようになったことは自分の中でひとつの転機になった気がしています。
【財政課】お金の面から見える各部署の業務と市の全体像
市全体の予算管理を行いますので、市役所内の様々な部署の業務をお金の面から把握するとともに松山市がどこに向かおうとしているかが理解できました。
また、歳入に占める割合が大きい地方交付税制度の分析や地方債の金利負担軽減のための金融機関との交渉なども経験させていただきました。
さらに、野村證券本社での研修により松山市の基金の運用益を1500万円から3億円まで伸ばしたことや愛媛県初の住民参加型ミニ市場公募債の発行なども担当させていただきました。
さきほど下水道整備課時代が転機と申し上げましたが、財政課での経験は尊敬できる上司に恵まれ、また、優秀な同僚からの刺激もあり、自分を大きく成長させてくれたと思います。
【行政改革推進課】法令や例規から見える各部署の業務と市の全体像
松山市全体の限られた職員を各部署の業務量を調整しながら必要人数を配置する定数管理を行うことで、お金の面だけで捉えきれない課の業務を理解することに役立ちました。
具体的には、管理部門の職場は事業がないため、お金の面からは何人分の人件費がかかっていることしか分かりませんが、定数管理ではそれぞれの業務に人がどのように関与しているかを積み上げますので、業務内容を理解できます。
各部署の業務は事務分掌や職務権限などの条例や規則で細かく定められていることが具体的に理解でき、公務員に課せられた「法律による行政の原理」を再認識できたように思います。
これまで、例規関係について苦手意識を持っていた私にとって弱点を克服できたことは貴重な体験になりました。
【子育て支援課、シティプロモーション推進課、地域経済課】現場にヒント
課長になってから、3つの課を経験しました。人口減少対策はこれからの松山市の維持・発展に不可欠で、その対策の3本柱は、少子化対策として「つながる未来を応援する」、移住定住対策として「松山への定着と新しい人の流れをつくる」、地域経済活性化として「魅力ある仕事と職場をつくる」ことなのですが、この順番ですべての業務に携わることになりました。
注目される業務である一方で、これらの職場は全て私のこれまでのキャリアでは未経験でしたので、課員だけでなく市役所外の方々との意見交換なども活用して、各種施策を立案できたことは有意義でした。
たてヨコ愛媛への参加動機
市役所には100を超える課等があることからも分かるように様々な業務があり、課長で異動した場合にはその課の全ての業務を1から理解する必要があります。
特に、私が平成28年度に異動した地域経済課は業務の質・量ともに盛りだくさんで、正直、自分に務まるかどうか不安で一杯でした。また、前任者は在課年数が13年の生き字引のような大ベテランでしたので、少々頑張っても足元にも及びません。業務内容をひと月くらいかけ、これまでの資料をもとに職員にも教えてもらいながらひと通り理解したものの、それだけでは政策の企画立案はできません。
そこで、「政策は現場にある」との思いで考えたのが自席を離れ、外に飛び出して様々な方からお話を聞いてみようということです。まずは、商店街の関係者から始め、各種経済団体や個別企業の方々からもお話を伺いました。もちろん、勤務時間外でも足を運び、飲食を伴うこともありましたが、腰を据えて長時間意見交換すると名刺交換を兼ねた挨拶程度では決して得られないような情報が一杯です。私の知らない見たことのない世界が広がっていました。例えば、日経新聞で経済情勢が理解できていると思っていると、ある精密加工メーカーの社長さんから「新聞では半導体関係が下降局面に入ると書いてるけど、それは3ヶ月前の話で、現状は上向きで受注も増えてるんですよ。」と言われました。また、災害や現在のコロナ禍の中、利他の精神で様々な社会貢献に取り組む方々。自分が世間知らずで井の中の蛙だと気付くだけでなく、仕事を越えて社会人としての生き方も学ばせていただきました。
中には愚痴や苦情のようなこともありましたが、お世辞を鵜呑みにして政策判断を誤るよりはよっぽどましです。こうしたことを繰り返していると直接、電話などをいただくことや本音で話せる機会も増えました。机に座っているだけでは得られない生の情報が集まり始めるとともに、これまで見えなかったことが見えるようになり、少しずつですが的確な課題把握と新たな施策展開に活かせるようになってきました。
たてヨコ愛媛へ参加するに至った経緯は、こうした情報収集のための現場行脚の一環で地域クラウド交流会やスタートアップウィークエンド、ニューズピックス勉強会などでご一緒した方々とのお付き合いの中でお声がけをいただきました。また、業務の一環で松山市はサイボウズさんと働き方改革の連携協定を締結していますが、その中で、サイボウズさんの松山オフィスを無償解放した様々なイベントの中でも多くの出会いに恵まれました。
あとがき
最後に人との出会いが高じて、神々しい体験をしたことを紹介します。
以前に東京の丸之内朝大学の方と神社仏閣の話で盛り上がりまして、その後、「山伏修行に一緒に行きませんか。自分も行ったことがありますが、修行後にはみんな感動で涙を流します。」とのメールをいただきました。
知人からの誘いであったことや興味があった半面、変な宗教に巻き込まれたらどうしようと思い、松山の友人3人に事情を説明して総勢4人で参加することにしました。
場所は修験道の聖地と言われる山形県の出羽三山。出羽三山とは羽黒山(414m)、月山(1984m)、湯殿山(1504m)の総称です。羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)として、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」となって広がったそうです。
修行は7月の2泊3日ですが、旅行ではないので制限があります。なんと、修行時は動物が行う動作以外は禁止、具体的には、スマホ・時計禁止、私語の禁止、風呂に入れません、さらに、歯磨きや顔を洗うことさえできません。唯一許されるのが寝る前に白装束を着替えて寝ることだけです。時間は朝の4時から夜の11時まで、山登りや滝行、神社仏閣巡りと読経、そして、一日の最後に「南蛮いぶし」(目と喉が大変なことになります)と休む間もなく修行が延々と続きます。山伏修行に興味がある方のために敢えて各々の修行項目の詳細は控えますが、修行終了次第、松山からの4人組は一目散に下山し居酒屋にて俗世間の煩悩と共存できる幸せを堪能しました。
最後に3つの感想と総括を述べさせていただきます。
≪感想≫
・滝行の水の勢いと冷たさは半端じゃない。
・何回、お経を読んだのだろう。
・「南蛮いぶし」は異次元に苦しかった。
≪総括≫
人は生きている限り煩悩を絶てません。煩悩があることが生きている証なのです。煩悩と上手に付き合うことが重要です。
「袖振り合うも多生の縁」、「一期一会」の気持ちで、業種や世代を問わず様々な方々との交流を通して「彼を知り己を知り」たいと思います。皆さん、何卒よろしくお願いいたします。