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I am naganoマン

Prologue

本投稿 最初のお話は「naganoマン」こと 私の紹介を兼ねたお話です

これまでの 軌跡を 各 chapterその 人生で得たコト のひとつを 最後の章で紹介します、なお 本投稿の元ネタは 2019年1月27日 に開催された「Life is Roller coaster」のセミナーイベントにて お話しした内容を再編集しております、予めご了承ください それでは  数々の 軌跡を どうぞ お楽しみください

Chapter One

1992年 当時は バブルの最高潮、20以上の 就職内定から 選んだのは 東京の 中規模独立系 コンピュータソフトウェア会社、松山大学(旧 松山商科大学)を卒業して上京

出典:シャ乱Q 『上・京・物・語』(Sony Music (Japan)

とにかく 松山を離れたかったので 場所も会社も どこでも良かったのですが、数年後に 松山支社設立と その幹部という条件に惹かれて入社を決意、ところがすぐさま バブル崩壊、会社も社会も 入社前の気前の良さは微塵もなくなり、支社(全国に数か所の支社設立条件で 他県からも新卒入社があった)の話も白紙

当然、同期入社全員が荒(すさ)みます、なお 暴動ではないの お間違えないように

入社1年は研修と配属、ルールや業務を覚える期間ですが、最初の 1年は 呑み会と 土日の外出を繰り返しました次第(支社設立ご破算により)

渋谷 原宿 新宿 上野 下北沢 横浜 恵比寿をはじめ、松山在住時代に テレビ・雑誌で観ていた 23区+横浜のほとんどの スポットを網羅するも 薄給ですから 街ブラのみ、たまに節約して 1000円ランチ や Tシャツを買ったりはありましたが、そんな生活は 続きません

現実、超のつく不景気は回復することなく、将来に不安を感じた 同期は次々退社し 数人まで減ります、私は 最初の研修で落ちこぼれて以来 日々不安を感じていましたので 退社以前に 明日が来るかで精いっぱいだったことが 退社という二文字に縁がありませんでした、ところが ある朝、突然 C言語を理解(バックトゥザフューチャーの ドク博士こと エメットブラウンが 便所で転んで 次元転移装置を閃くがごとく)することができ そこからは データベース をはじめスルスルとコンピュータを理解、、いつしか稼ぎ頭の一つの 部門に異動することになります、ちなみに この時代の データベースは UNIX 上で稼働する Oracle/ Sybase/ Informix/ Ingres/ Teradata/ SAS/ HiRDB/ DB2/ ADABAS その他で それらを扱い、対応するOS であるUNIX も10以上を管理していました(これ、ちょっと自慢です、これくらいはお見逃しください;)

エンジニアとして認められ 仕事は順調にも拘らず、会社の窓から見えるディズニーランドを眺めながら「このままで良いのかな?」と考え始めます、そこで リクルートに転職相談、その結果 進められた会社へ 初めての転職

-この時代からの教訓-
劣っているのは 自分の一部分でしかなく、全部ではありません
何かを変えようと考えたら、それは変わる時がきた、ということでしょう

Chapter Two

この時代 人生の転換点に遭遇

まず 人生最初の転職先は「日本オラクル株式会社」、詳しい会社内容は Google 先生に聞いてみてください

ちなみに これから 都内流転の人生が始まります、1996年には 23区内に引越し 以降 賃貸契約更新のタイミングにて 引越しを繰り返します

エンジニアに 多少の自信をもっていましたが、ソフトウェア開発は米国本社のため、営業中心の組織だったことから 転職当初は居心地良くなかったです

転職して 3か月後に 異動辞令をうけます、これが人生の転換点です

当時業界で有名な異端児社員の部下になります、自称「神様」という人でしたが 私の マーケティング スキルの基本は 彼に叩き込まれ、その後も 10年近く仕事を共にし、今なお 付き合い続けています

さて そうして会社に慣れたころに結婚、将来に向けて 盤石な設計図を描こうとしますが 「オープンソースソフトウェア」の登場に目を奪われ、その末に 会社設立を オラクル(日本米国本社)に提案、結局 提案は受け入れられ 会社設立プロジェクトの中心メンバーとなって、本社承認から4か月で創業(これ マヂできつかった・・、会社作ったことないし)、実際 表立った協力は 親会社の経営企画室の2人のみで、あとは独断でバックオフィス部門長に掛け合い 個人的な協力を仰いだ次第、その部門長たちは 社内でも一騎当千クラスですが 結構フランクに むしろ時間を割いてまで手伝ってくれました、これには本当に感謝感激で 今も忘れられません

-この時代からの教訓-
早く慣れるコツは、ヒトのモノマネです、それも優秀なヒトのモノマネです
環境に慣れたら 夢や希望も見るようにするコト、そして 何よりも行動

Chapter Three

2000年 ミラクル・リナックス株式会社(現:サイバートラスト株式会社)という 日本オラクル株式会社 の子会社を設立し転籍

創立メンバーは大変優秀で 全然言うことをきかない(時もある)キワモノ揃いのなか、私は社長補佐の 経営管理バックオフィス、そして マーケティング プレーヤーも兼任

業界変える野心で始めた会社ですが、最初に ぶつかる壁は「経営」、人事法務総務会計 を取りまとめつつ、親会社への報告・調整 に加え 各専門家とのやり取りに追われ、睡眠時間3時間前後も日常茶飯事

PexelsによるPixabayからの画像

3年目で 黒字化し 順調に右肩上がり、福利厚生も充実させ 年1回の社員旅行は、国内から海外へとランクアップ しかし 経営者が進める 海外進出とブランド政策に対して 国内需要と開発者連携を主張する先輩&同僚&私とで 衝突もあり 創立メンバーの退職が相次ぎ、古参の居ない場所に未練を感じなくなったときに 自らも退職

ーこの時代の教訓ー
ヒトは必ずしも同じ考えをもっていません
何かを成し遂げるためのギリギリの葛藤はヒトを成長させます

Chapter Four

気持ちと勢いの退職から、やる気が起きない毎日が数か月 続きますが、ある日 オラクル時代の先輩から連絡を受け ある会社を紹介されます、それが「日本マイクロソフト株式会社」、2006年 のこと

一言でいえば「異世界」、服装は自由・海外流のビジネスマナー・ルールや文化もアメリカの本社的日常に戸惑う毎日でしたが、数が月で慣れました

業務面の話をすると 社員は部門に所属しますが 一方で個人事業主の立場になります、予算をもち 目標に合わせたプロジェクトを立ち上げ所属部門以外の利害関係者とチームを組んで目標を達成する活動を行います

目標達成には法律や社内ルールを逸脱しない限り、どんな突飛なことでも 許容されます、そうした社風において 在籍 8年の間には 直接間接大小 100前後のプロジェクトに関わります

プロジェクトにかかわるほど その取組みと結果は経歴に加わります、会社は社員が自発的に活動するように福利厚生面も充実させますから、ある種の中毒というか 常習性を感じさせます、良い意味で

とはいえ、天秤とはよく言ったもので 仕事の充実差に対して 失うコトもあります、離婚しちゃいました、テヘペロ(๑´ڡ`๑)

さらに ここにきて、ある日
異常な寒気で体調不良を感じ病院へ診断は鬱精神的より先に体調に来ました、既に 突発性難聴や白内障手術など 内在する問題が一気に吹出したんですね、強制休職です、テヘペロ(๑´ڡ`๑)
 
ーこの時代の教訓ー
仕事量も大事ですが重要なのは中身
そして 自分の中の比重を常に調節しておくことです、健康第一

Final Chapter

強制休業 から数か月後 職場復帰して間もなく、日本マイクロソフト株式会社を退職します、同時に 22年間の IT業界を卒業となります

それでは これまで 私の軌跡の 成果を数値で示してみましょう

 

棒グラフは サラリーマンの平均年収と比較し、ついでに 日経平均の推移も折れ線グラフにして反映(かなり大雑把な重ね方ですので 厳密に観ないようにしてください)してみました、上京時は サラリーマンの平均年収 1/3以下、IT業界卒業時には平均年収の3倍以上※ にしてやった次第 (^皿^)q どないや! と自慢はともかく・・・

ふと 脳裏に浮かんだことは、会社は軍隊、社員は兵隊年金はほとんどもらえない、ならば 一人で 出来ることを考えよう ➡ とりま、飲食店を開業しよ と決めて行動開始

2014年新宿調理師専門学校」に通い「調理師免許取得」し 銀座の飲食店に勤務しましたが 無茶して腰を痛め、結果 複数(銀座・新橋・日本橋他 )の飲食店での短時間アルバイトに切り替えて 現場の調理技術と運営方法を盗みまくりました テヘペロ(๑´ڡ`๑)

会社員時代から一貫することですが、ここぞという時の出会いには 恵まれているようです、昔気質風や ちょっと寡黙な 調理人の皆さんとも、なんかしら 仲良くなって 色んなこと教えてもらいました、おかげで 10年で教わることを 2年余りに圧縮(あくまで職場のヒト曰くです、社交辞令かもしれませんので 寛容な気持ちで読んでください)して 2017年には 東京そのものを卒業

出典:サザンオールスターズ – 東京VICTORY (at DOME)「おいしい葡萄の旅ライブ -at DOME & 日本武道館-」(サザンオールスターズ

 

そうして、2019年 飲食店「食堂 めしや」を開業して、2020年 新型コロナウイルス に見舞われながらも 孤軍奮闘中

What I want to tell you through

ー通して伝えたいコトー

ヒトはいろんな経験を並行して もしくは重ねていると捉えます

それは一つの枠の中で起こった経験と考えます

つまり 仕事が中心の時期はそれが分母になって経験はプライベートも含めてその範囲にある束ということです、私を例にとれば そのほとんどが 仕事を分母にした経験の束だったということですね、

さらに もっと 大きな視点でいえば「東京」という分母にあったことなのかもしれませんね

出典:PIZZICATO FIVE / 東京は夜の七時(PIZZICATO FIVE Official

ヒトは、幹の中に複数の経験をもっていてその経験の数で 幹を太くします

幹は太いほど自信につながり周囲からみれば その幹が「オーラ」であり、それが ヒトの大きさ(ヒトの器 を感じさせるのかな、と考える次第です

 

以上 「I am naganoマン」でした

最後まで読んで頂きました 皆さま、ありがとうございました m(__)m

 

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冒頭からの紹介を前置きにした 最後の章の「伝えたいコト」は 人生で得た中の ひとつです、気が向いたら 一つずつ記事に紹介していけたら と考えています

最後 チョイと真面目で固い内容になってしまいましたので 和みもかねて 癒しと笑いの「食堂 めしやCM集(定休日前の告知動画)を 用意しました、 下記画像をクリックしますと ご覧いただけます、気になる方は アクセスしてみてください

それでは アデューだに~~

 

ABOUT ME
Hiroshi Nagano
現在「食堂めしや」店主(調理含) 1992年 - 2017年まで 東京在住、22年間の IT業界 会社員、その後に飲食業界に転身(調理師免許取得、飲食店の調理勤務) IT 業界での職種は SEおよび マーケティングスペシャリスト・経営管理含めバックオフィス業務にも携わる、得意分野は マーケティング全般