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「ななめ」を生む贈り物と「たてヨコ愛媛」

せっかくのリレー寄稿なので、前の話題からつなげてみようと思います。

町田さんが紹介するアナロジー思考とはAから類推、類比してBを導く、例え話の思考でした。この類比する思考そのものを類比すると「野生の思考」という別の類比思考が浮かび上がってきます。

アナロジーを過剰に繰り返すと元いた場所から遠く離れ、別物になります。ブレストでアイデアを拡散し続けていると、突飛なしかし時にクリエイティブなアイデアが出てくるのと似ています。

今回はこの「野生の思考」を経由した「たてヨコ愛媛」の話です。

書かれていない「ななめ」

たてヨコと来ると「ななめ」と続けたくなります。「たて」と「ヨコ」の本来の意味(正史)は稲見さんが書いていますので、私は書かれていない「ななめ」について触れます。

書かれてないものが、すなわち存在しないわけではありません。大美さんが紹介した明文化された法律に対して、不文律というものがあります。

例えば野球のメジャーリーグ。ルールブックには一言も書いてないが、破ると死球をぶつけられる禁じられた行為があります。こうしたunwritten rulesは洋の東西にあり、テイトさんが言うように文化・習慣に多少あるいは大いに違いを生みます。

一方、書かれていないことを自由に想像、創造できる余地として、利用し楽しむこともあります。架空戦記という小説や漫画のジャンルなどがそれでしょう。

「たてヨコ愛媛」には、実は書かれざる「ななめ」が隠されているというフィクション(偽史)を展開してみようと思います。

見返りを求めない贈り物

https://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/CA8.html

私にとって「ななめ」といえば、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースです。彼は部族社会(国家なき社会)の家族集団の形やルールの中に「ななめ」を見つけました。

例えば交叉イトコ婚。誰が誰と結婚することが好ましいのか、逆に禁じられているのかという規制です。今回は詳しい説明は置いておいて、家族・親族・人類・集団の存続は「ななめ」によってもたらされる、とざっくり、ばっさり言ってしまいます。

「ななめ」が合理的、合目的的だという話です。

この合理的な「ななめ」の関係を生み出すのが、贈与、贈り物です。交換は自分が欲しいモノのために、それと同等・等価と思われるモノを差し出すことです。対価を払ってモノやサービスを得る私たちの資本主義経済も交換の一種です。

一方、贈与は大切なモノ、価値あるモノを見返りを求めないで一方的に与え、差し出します(でも実は「見返り」がある、というのが非常に重要な部分ですが、今回は話が膨らみ過ぎるので省きます)。資本主義的な発想から見れば、過剰な行為です。

交叉イトコ婚では、女性が贈与され家族集団が生じます。贈与によって集団は他集団との戦争を回避して拡大存続し、文化状態へ移行します。一見なんでそんなことするんだろうと思える過剰な行動が実は理にかなっているんです。この集団を存続させる合理性は、西洋の近代合理主義とは別の様式です。こうした様式を「野生の思考」と言います。そして「野生の思考」は現在の私たちの日常生活の中にも作動しており、芸術領域では特に見いだされます。

贈り物の時差

例えば山田さんが自身のデザイン方法を惜しげもなく開陳しています。

あの投稿が贈与になるのは、そこに価値があることに誰かが気付いた時です。先日、オンラインイベントのアウトブレイク時の雑談で、「山田さんの投稿はやばいわ」といった発言に出会いました。山田さんの話は、ある種の人たちに価値あるものとして届いていました。

ただし「届く」には時間がかかります。

投稿を読んだ人が瞬時にその価値を理解したとしても、送り主(贈り主)が送った瞬間からは原理的にどうしようもなく遅れます。この時差が、AからBにあるアイデアが伝えられた(送られた、贈られた)という、一見ヨコ移動にしか見えないものにたて方向を加え、結果として「ななめ」を生み出します。女性が隣(ヨコ)の部族へ贈られ、世代(たて)が生まれ、メタに見れば「ななめ」が現れるのと同じ構造です。

「たてヨコ愛媛」内の投稿の数々も、その知識、経験をどこかの誰かに贈与する行為です。こうした贈与の連続で、このコミュニティーは成り立ち、存続しており、それは実は世界も同じだと話は一気に飛躍します。

目の前に見えている事象・現象の下に見えない構造が隠れていて、それによって世界が、社会が、集団が、個々人の行動が支えられ、促され、存続しています。コンピューター分野からリアル世界にも広がるアーキテクチャを想起してもらえばイメージがわきやすいでしょうか。

ビジネスパーソンをつなぐコミュニティーを標榜する「たてヨコ愛媛」の皆さんに、「たてヨコ」には実は「ななめ」が折りたたまれ隠蔵されているが、実は既に常に「ななめ」が作動しているというフィクション(物語)を通して、「たてヨコ愛媛」にさらに興味を持って参加してもらうと同時に今の社会を相対化する視点を提供できれば、という話でした。

秀野 太俊

付記

中盤で省いた贈与の「見返り」問題は、実は贈与された側の問題です。受け取って「しまった」側はどうすればいいか。朝河さんが紹介してくれた台湾では、聞きかじりによると、もらったモノと同等のモノを返礼するのが礼儀だそうです。高すぎても、安すぎても問題が起こる。でも、もらったモノをズレなく返すことは可能なのでしょうか。これらを返礼贈与の問題といい、純粋贈与の不可能性なんていったりします。が、それはまたいつかどこかで誰かが。

ABOUT ME
秀野 太俊
3年間の愛南町赴任を経て、2022年4月から再び松山市勤務。記者(ライター)職のままですが、所属が編集局から営業局になりました。種々の問い合わせ随時受け付け中です。
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